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原発被害の大熊町に子どもは戻るのか? 0~15歳を対象とする「ゆめの森」の挑戦 #知り続ける

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写真手前の工事中の場所が学校予定地。奥に広がるのは災害公営住宅(写真提供:大熊町)

福島第一原発がある大熊町で来年4月、独創的な公立校ができる。0歳から15歳まで通うことができ、幼保小中学校が一体だ。AIなどを取り入れた教育システムも導入。現在、会津若松市の大熊町立学校でその試みが始まっている。目標は従来の教育の見直しと大熊町の再興だ。一方でこの試みを懐疑的に見る保護者もいる。総工費45億円という学校の全貌と、町民の受け止めを取材した。(文・写真:ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

会津の学校に通う大熊町の子どもたち

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よさこいを練習する9人の小中学生

雪が一面に広がる福島県会津若松市の河東町地区。2月中旬、冷たい風が吹き抜けるなか、「大熊町立学校」と看板がかかった校舎の体育館の中では、熱い掛け声が飛んでいた。

<どっこいしょー、どっこいしょー! ソーラン、ソーラン!>

「よさこいソーラン」の音楽に合わせて、ステージで9人の児童生徒が元気に踊っていた。中学1年2人、小学6年2人、5年1人、4年2人、3年1人、それに学び直しで授業を受けている50代の聴講生。9人は3・11関連のイベントに備えて練習をしていた。

「はい、今日は(彼女の)誕生日だから、写真も撮るよー。集まってー」

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小6女子の誕生日祝いにみんなが集まる

練習後、教師が声を上げると、小6の女子を囲んで9人が仲良く写真に納まった。ステージ前には二十数人の大人がいたが、全員が同校の教職員だった。児童生徒の総数の3倍近い人員だが、そうなっているのは、二つの小学校と一つの中学校が1カ所で運営されているためだ。

大熊町には福島第一原発の1号機から4号機が立地する。2011年の原発事故で住民の多くが会津若松市に避難した。子どもたちが通ってきたのが、この町立学校だった。会津若松市に避難後、もともと大熊町にあった熊町小、大野小、大熊中は会津若松の廃校を借りて運営されてきたが、2021年4月に中学校も2校の小学校と同じ一つの校舎に集約された。

だが、この学校での活動もあと1年になる。2023年4月には大熊町で新しい公立学校が開設され、すべて移転される予定だからだ。

新学校は小・中学校が一貫し、認定こども園(保育園と幼稚園)の機能ももつ。対象は0歳から15歳までだ。学校の名は「学び舎(や) ゆめの森」と1年前に命名された。国からの予算をもとに総工費は45億3900万円に及ぶ。

このゆめの森の建設に「ようやく町に学校が復活する」と期待の声があがる一方、どれだけの子どもが通うのかという不安の声も出ている。

人口再興のための「ゆめの森」

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吉田淳・大熊町長(左)、木村政文教育長(右)

震災後、大熊の人たちはすぐに町に帰ることはできなかった。町民の96%が居住していた区域が「帰還困難区域」と指定されたためだ。復興への一歩を踏み出したのは2013年。町は、放射線量が比較的低かった南部の大川原地区を復興拠点と定め、除染と再開発に取り組んだ。同地区周辺では廃炉に関連する企業も拠点や寮を設置、町も役場本庁舎を2019年に開設するよう定めた。そうした流れのなかで持ち上がったのが、小中学校など教育施設の再建だった。

2017年11月、町は「大熊町教育大綱」を発表。2022年4月を目安に大川原地区に幼稚園、小中学校を新築する計画を明らかにした。

なぜ町は学校再開を決めたのか。吉田淳町長(66)は、子どもが通う学校が地域の基盤だからと語った。

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公立校「ゆめの森」の完成図(大熊町資料より)

「地域の基本は学区です。会津に避難したときも、(町民のための)学校づくりをまず優先しました。震災前の大熊町は子育て支援に力を入れ、若い世代を多く呼び込み、福島県内では人口が増えている数少ない自治体でした。それが今回の震災で(子どもや若い世代が)大きく減ってしまった。やはり学校がないとだめなんです」

学校再開にあたって、以前からあった小中学校を再び使う選択肢はなかったという。いずれも大規模な補修が必要なうえ、その周辺に住民が住むことも難しかったためだ。さらに、こんな理由もあった。

「大熊は、廃炉や除染を含め課題が山積しています。これに向き合うには、町の将来を担う人材を育成していくしかない。教育内容や施設をあらためて検討し、それにふさわしい学校をつくる必要があると考えた。それが、ゆめの森になったというわけです」

施設のつくりには力を入れた。外観は「ウェディングケーキ」のような形の2階建てで、中の教室は不均一。1階の中央には、長年「読書の町」を名乗ってきた大熊を取り戻すべく、大きな開放空間の「図書ひろば」を設置する。校歌は谷川俊太郎・賢作親子の作詞作曲だ。

「建物ばかりではありません」と木村政文教育長(63)が言葉を継ぐ。

「ただ学校を復旧すれば人が戻るかというと、そうではないでしょう。だとしたら、子どもたちが行きたくなるような学校をつくるほうがいい。そこで、ゆめの森では従来にない教育を取り入れていくことにしたのです」

新しい教育はすでに大熊町立学校でも導入しているという。

自習室のような静かな教室

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AIを使った勉強に励む小中学生

同校で児童生徒は二つの教室に分かれて勉強していた。小6の2人がいる教室と、小3から中1までの6人がいる教室。授業時間に入ってみると、自習室のような静けさだった。

6人の教室では、みなバラバラに座っていた。教壇から教師が覚えてほしいことを語るという一般的な授業の風景はなかった。子どもたちはそれぞれの机にあるタブレットとノートに向き合い、それに沿って個別に学習している。教員は黒板を使わず、児童生徒に寄り添い、彼らがわからない部分について静かに声をかけるだけだ。中1の女子2人は、一人は平均値の問題を解いており、もう一人は図形における長さや面積の問題に取り組んでいる。

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大熊町教育委員会指導主事の増子啓信さん

「AIを使った学習システムを使っています。東京の麹町中が使っていたものですが、これだと個人の進度に合わせて勉強を進めることができるんです」

佐藤由弘校長(59)はそう説明する。このシステムではタブレットに学習事項や問題が表示され、それを読みながらページを個々にめくっていく。その子がどの問題をどこで間違えたのか、その後に間違いを克服できたのかなど、児童生徒の進捗度や理解度を確認できるという。

「そこ、それでいいんだっけ」「さっきやったやり方と違うんじゃないかな」

聞こえてくる会話は、教師と児童生徒というより、家庭教師に近い。

そもそも現在の大熊町立学校では、児童生徒数よりも教員数のほうが多く、AIの教材など使わずにふつうのマンツーマン授業もできる。なぜこうした仕組みを取り入れるのか。大熊町教育委員会の指導主事、増子啓信さんは教育のあり方自体を捉え直していると説明した。

「黒板に教師が書いてそれを児童生徒が書き写す。こうした従来の教育方法はたしかに"勉強した"ように見えます。でも、じつは書き写しただけで、理解していないかもしれない。今回あえてAIを取り入れるのは、子どもたちが本当にどこまで理解しているかを随時教員がチェックし、指導できるからです。目指しているのは、教師が教えるだけの勉強ではなく、子どもたちが自分の進度に沿って主体的に勉強を進められるやり方なんです」

障害のある子にも扱いやすい教育

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大熊町立学校の佐藤由弘校長

タブレットを使った教育は、障害のある子にも扱いやすいと佐藤校長は言う。

「いまうちの学校には数人の障害のある子がいます。その子たちにとって、動きがあったり、見やすく調節できたりするタブレットは有用です。それは多様性を認め合う包摂的な教育という方針にも合致しています」

ゆめの森に向ける教員側の熱量は高い。では、来春の開校時に何人がこのゆめの森に通う予定なのか。木村教育長は、人数は多いわけではないと言う。

「大熊町立学校に通う8人のうち、6人のお子さんが通うことになっています。親御さんの意見としては、第一に自分のふるさとで子どもを育てたい、第二に先進的な教育にも触れさせたいということでした」

小6の2人は中学進学にあたって会津若松に残ることを選んだという。残る人、戻る人それぞれどんな思いがあったのか。

大熊か会津か、時間との問題

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「大熊町の9羽の鳥たち」(2020年10月制作)

「もともとうちは大熊に帰れるようになったら帰りたいと家族では話していました。ただ、実際に戻れるという話があったときは戸惑いもありました」

そう語るのは、町立学校に2人の子どもが通う齋藤やよいさん(48)だ。中1の羽菜さんと小4の輝くんが通っている。齋藤家では来春、大熊町に戻り、ゆめの森に通うことを決めた。

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雪で覆われた大熊町立学校の校庭

ただし、決めるのはそう簡単ではなかった。2011年の避難から何年も経ち、会津での人間関係もできている。そこから離れ、大熊に移転するとなれば、それもつくりなおしになる。父親の仕事に関しては会津でも大熊でも問題がなかったが、迷ったのは大熊の学校のあり方だった。輝くんには障害があり、特別支援学級などの体制が整っているかが心配だった。

「会津の学校では、リハビリや放課後等デイサービスなどの支援を受けさせてもらっていました。大熊でそんな体制を組んでもらえるか。それがわかるまでは、『戻る』と言い切れないところがありました」

ほかの家庭もみな、歓迎と戸惑いの狭間にいたと齋藤さんは振り返る。

「とくにこの数年で会津に家を建ててしまった家族は迷っていました。会津に残ったほうがいいのか、それとも会津の家は誰かに貸して、大熊に帰ったほうがいいのか。ただ、帰るにしても問題がありました。いまのところ(4人以上が暮らせるような)ファミリー向けの住宅はないし、自分で建てたくても建てられる土地もない。また、病院や店など、ちゃんと生活できる環境なのか。結局そういう将来像が見えづらいので、会津に残る決断をした家もありました」

帰還して、学校に戻ってと町は言う。だが、町民の立場に立つと、住宅や教育など役場での連携がとれているとは感じられなかったという。

町の方針転換で混乱した保護者

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黒板を使うことは多くないという

町は2017年秋に教育大綱で、2022年春に大川原地区での幼稚園や小中学校の再開を目指すことを表明していた。実際には1年遅れ、開校に6年を要する。仮に子どもが通ったとしても、現状で大熊町には高校はないため、中学卒業後はまた別の地域に通わなければならない。どれだけの期間ゆめの森に通えるかも考えなければならない要素だった。

また、会津の町立学校の存続も保護者の検討対象になった。2017年の教育大綱では、会津若松市内の幼稚園、小中学校は「当分の間(少なくとも5年間)は継続し、それ以降は保護者と個別に相談する」と示されていた。

だが、2020年になって会津の学校は存続せずに閉校すると町は方針転換した。これに不信感をもった親もいる。

「前任の教育長は『会津に学校は残す』『保護者の意見を尊重する』と言っていたのです。ところが、いまの教育長の体制になって、保護者との最初の懇談会で『会津の学校は閉じます』と言われた。約束を反故(ほご)にされたわけです」

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個々のタブレットに沿って学習を進める

そう語るのは馬場由佳子さん(46)だ。町立学校には小6の娘、結梨花さんが通っている。4月からは、ゆめの森には行かず、会津若松市内の中学校に進学する予定だ。

結梨花さんは進学にあたって二つ希望があった。一つは入学したら転校したくないこと、もう一つは町立学校の同級生と同じ中学に進学したいという希望だ。だが、同級生は会津の中学校への進学を決めたものの、学区の違いで同じ中学に進めないことがわかった。そのとき、大熊に戻るという選択肢もあったが、教育委員会への不信感と先進的な教育システムがどれほど効果的なのかという疑問から、会津の中学校を選んだ。

「でも、それを町に伝えても『いままでの教育では立ち行かない』と言われるばかりで、不安が解消されないのです。それは他の保護者も感じていることでもあります」

そして、それら以上に戻れないと馬場さんが思った要因は放射線量だ。除染が徹底された大川原地区では、空間線量は毎時0.120μSv(マイクロシーベルト)ほど(2022年2月現在)。国際的な基準である年間限度1mSv(ミリシーベルト)に達するには、十分余裕がある線量だ。ただし、大熊町では、大川原地区以外の地区で毎時1.0μSv以上というところもある。

馬場さんは言う。

「役場や教委の人たちは大丈夫だと言いますが、私にはまだそこまでとは思えません。私も本当は大熊に帰りたいんです。でも、子どもと一緒に戻るのであれば、その線量の不安が解消されてからかなと思います」

家族をもつ若い人たちに来てほしい

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(図版:ラチカ)

原発事故後に大熊町が毎年行っている「住民意向調査」(速報版、2022年2月)によると、多数を占めているのは「戻らないと決めている」(57.7%)で、「すでに大熊町で生活している」(2.5%)、「戻りたいと考えている」(13.1%)は少数派だ。また、その少数派に対する質問でも、「今後の生活において必要だと感じていること」では「医療機関(診療科)の充実」「介護・福祉施設の充実」などが上位を占め、「保育・教育環境の充実」は11位という低さでもある。

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(写真提供:大熊町)

回答者の約6割が60代以上という事情もあるが、吉田町長は、見るべきは「戻らない人」ではないと言う。

「見るべきは『まだ判断がつかない』という23.3%の人たちです。この迷っている人たちをいかに『戻る』側に引きつけるか。そこが大事なのです」

現在、大熊町に暮らす人は約920人、その多くは単身生活の労働者だ。住民票を伴って居住する町民は約360人だが、その大半は高齢者だという。このまま子どもが戻らず、あるいは子どもが生まれなかった場合、遠くない将来、大熊町には誰もいなくなる可能性がある。

だからこそ、あらたに大熊町で働く人たちに町民として定着してもらうことが重要だと吉田町長は言う。

「町としては、2027年までに人口を4000人まで増やしたい。そのために、工業団地を整備して働く場を増やし、住宅も増やしている。働く人だけでなく、家族をもってくれる人が増えてほしい。そうじゃないと先がないのです。若い人たちが根づいてくれるようにするのが、これからの私たちの仕事です」

ゆめの森でこの先受け入れを見込んでいるのは、0歳から15歳まで1学年10人程度、総数で約180人だという。来春、いまの町立学校からゆめの森に通おうとしている子は6人。2027年までにどこまで若い世代を呼び込み、人口4000人に近づけられるか。町の難しい挑戦が始まっている。

元記事は こちら

森健(もり・けん)

ジャーナリスト。1968年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、総合誌の専属記者などを経て独立。『「つなみ」の子どもたち』で2012年に第43回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『小倉昌男 祈りと経営』で2015年に第22回小学館ノンフィクション大賞、2017年に第48回大宅壮一ノンフィクション賞、ビジネス書大賞2017審査員特別賞受賞。

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