100年前より安全になったとは言えない――首都圏に潜む、地震火災リスクを考える #災害に備える
今から100年前の1923年9月1日午前11時58分。首都圏を現在の震度7や6強に相当する激しい揺れが襲った。のちに「関東大震災」と呼ばれることになるこの大災害は、近代化した首都圏を襲った唯一の大地震だ。死者・行方不明者の数は10万5000人を超え、その多くは火災によるものだった。大きく発展を遂げた現代日本の首都圏が、もし再び同じような地震に見舞われたらどうなるのか。都市防災の専門家で、地震による火災(以下、地震火災)についてさまざまな角度で研究を行う東京大学先端科学技術研究センターの廣井悠教授に、話を聞いた。(ジャーナリスト・飯田和樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
関東大震災のような地震火災の問題はまだ解決されていない
「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるように、江戸時代から現在の東京はたびたび大火に見舞われてきた。明治時代になり、江戸が東京と呼び名を変えた後も銀座、神田、日本橋などで大火は続いた。しかし、大正時代に入ると、消火能力の向上などによりその数は減少。人々はようやく街全体を焼き尽くすような大火に脅えずに済むようになってきた。そんな頃に起きたのが、関東大震災による火災だった。
──関東大震災の火災被害とは。
「建物の倒壊、津波、土砂災害などさまざまな現象が起きましたが、特に東京市(現在の東京都区部に相当)、横浜市といった人口密集地域では、火災による被害が群を抜いて多かった。東京市では被害を受けた建物の98%が焼失、死者の95%が火災によるものでした。特に揺れが大きいところで出火が多く、焼死も多い傾向です」
──お昼時、食事の準備で多くの家に火の気があった。また、当日は日本海を台風が進んでいた影響で、風も強かったことも被害が甚大になった原因だと聞く。
「地震火災は、季節や時間帯によって全然違ってきます。昔はかまどや七輪を使っていたので、正午近くに発生した関東大震災では多くの出火が発生しています。現代でも、多くの人が火を使う時間である平日の夕方や、暖房器具を使っている冬に地震が起きると出火件数が多くなると想定されています。また、当然ですが、風速や湿度など気象環境も影響します。その意味では、関東大震災は非常に不運が重なった災害だったといえると思います」
関東大震災以降、首都圏は大きな地震に見舞われていない。戦後も特筆すべき大火は東京では起きていない。だが、廣井教授は「関東大震災のような地震火災の問題はまだ解決されていない」と考えている。将来の災害における被害を正確に予測することは、現代の科学技術では難しい。ただ、地震火災による被害を考える時には「出火」「延焼」「消防」「避難」という4つの観点があり、これらの観点から100年前と現在を比べることで、現代の都市がどれくらい安全に、あるいは危険になったのかが見えてきそうだと廣井教授は言う。
100年前より出火件数は増えている可能性がある
──まずは「出火」の観点から。かまどや七輪を使っている家は、いまやほとんどない。ガスも大きな揺れを感知したら止まるしくみがある。
「100年前と比べて、現代都市の火気使用環境は大きく変化しており、出火原因での比較は困難です。ここでは、1万世帯当たりの出火件数を『出火率』と定義し、様々な地震が起きたときの出火率を比較してみます」
「出火率は、関東大震災のときは東京市で2~3件ぐらいです。1995年の阪神淡路大震災も結構多くて、神戸市の震度7地域を見ると3件ぐらい。つまり1万世帯当たり3件の出火が発生している計算になります」
──1995年の時点でも結構多い。
「真冬で暖房器具を使っていた影響や、揺れの特性などもあるかもしれません。その後は、2004年の新潟県中越地震の震度6強以上の地域で1.2件、東日本大震災で0.4件、熊本地震は0.2件。出火率も時刻や季節などに大きく左右される面はありますが、ずいぶん低下してきたと言えなくもない」
──現代だと電気火災が多い?
「停電からの復旧時に発生する通電火災もありますが、屋内配線の短絡や、電気器具などから出火したりするケースも多いですね。そのほかにも地震の時は想像もしない形で出火することもあります」
──出火率が減少傾向にあるというのは、安心材料では。
「出火率だけ見ればそうなのですが、肝心の出火件数は多くなる可能性もあります。関東大震災当時の東京市の出火件数は134件とされ、阪神淡路大震災の出火件数は285件。東日本大震災時は、被災範囲は広いですが398件と言われています。首都直下地震では運の悪い状況では800~900件ぐらいの出火件数も想定されています」
「ちなみに、東日本大震災の時の東京(震度5強)の出火件数は35件。東日本大震災のデータを調べてみると、5強の地域と6強の地域で、10倍ぐらい出火率は異なる。雑な計算ではありますが、もし東日本大震災のときに東京が震度6強だったら350件ぐらい出火することになります。関東大震災時の東京の最大震度が6強だとしたら、3倍ぐらいに増えているわけです。そういう意味でも、出火件数はやっぱり増加傾向にあるという可能性も否定できません」
──出火率は下がる一方、出火件数は増えているのはなぜか。
「大きな理由として、都市の拡大があげられます。現代の大都市は世帯数が100年前と比べて飛躍的に増加しました。なので、全体としての出火件数は増えてしまう。発生が危惧される首都直下地震や南海トラフ巨大地震では、もっと多くなる可能性もある。『出火』という観点については、100年たってむしろ悪くなっていると捉えたほうが安全かもしれない」
糸魚川の大規模火災で明らかになった延焼の教訓
──次は「延焼」について。都市が燃えやすければ燃えやすいほど被害は大きくなる。江戸時代から火災が多かったのは、木造住宅が密集している都市だったからだと思われるが、現代の都市はどうか。
「日本は都市を燃えにくくすることはできましたが、面的に不燃化を徹底することはできませんでした。お金の問題も大きいでしょう。不燃化には少なくない資金が必要となりますから。一方、都心中心部など、再開発によって木造住宅を壊して高層化して不燃化することができた地域もあります。また、路線防火といって、避難路となる幹線道路や広域避難場所につながる道路沿いに不燃建物を誘導し延焼を防ぐといった取り組みは1950年代ぐらいからあります」
──延焼防止策も進んでいる。
「とはいえ、不燃化が徹底されたわけではないので、延焼のスピードは遅くなるかもしれませんが、燃えるのは燃えます。それを思い知らされたのが今から7年前の2016年12月末に発生した糸魚川市の大規模火災です。糸魚川駅の北側の中華料理屋から出火して、非常に強い南風に乗って海側に燃え広がった火災です。私はこの火災についていろいろな調査をしていますが、現代都市の火災リスクはまだ残っているなと改めて感じました」
「この時、風は南から北に向かって吹いていましたので、海側で焼け止まることによって、延焼が終わりました。しかし、もしこの時に西風や東風に風向きが変わったらどうだったか。もしかしたら、燃えずに済んだ隣の市街地に延焼が広がっていたかもしれません。糸魚川市大規模火災が我々に突きつけたのは、『まだまだ我が国の市街地は燃える』ということなんです。しかも、燃えた市街地は木造密集市街地と言われましたが、地震時に著しく危険な密集市街地といわれるような極めて高密な市街地というわけではなかった。糸魚川よりも深刻な密集市街地は、まだまだ全国にたくさんあります」
──東京や大阪といった大都市の木造密集市街地は、もっと密集している。
「そうなんです。そして、もう一つ言えることがあります。糸魚川の火災の出火件数は1件。しかも、地震火災ではないので、燃える前の段階で他の家は壊れていない。一方、地震火災の場合は同時多発出火となる。また、大きな揺れにさらされた家は、瓦がずれたり、窓ガラスが壊れたりしているので、より市街地が燃えやすくなっています。強風下ではありましたが、地震火災ではない、平常時の1件の火災なのにこれだけ燃えたというのが糸魚川市の大規模火災が私たちに与えた教訓です」
──燃える速度は昔よりも遅いかもしれないけれども、延焼のリスクがなくなったわけではないと。
「はい。それからもう一つ、関東大震災の時には明らかになっていなかった地震火災の新しい延焼リスクが、近年の火災から見えてきました。それは空中で起きる火災です」
「東日本大震災の時、実は中高層建物の中で地震火災が結構起きているんですね。少なくとも、揺れに起因して発生する火災のうちの4割ぐらいが4階以上の建物で発生している。つまり、中高層建物の例えば低層階などで火災が発生して多くの人が逃げられなくなる。私はこれを『震災時ビル火災』と呼んでいますが、そういう新しい延焼が起きるかもしれないのです」
「東日本大震災時に仙台市で調査した結果、中高層建物の火災安全性能を担保してくれるはずの防火扉やスプリンクラーは大きな地震が起こった時には機能しないこともあることがわかりました。多くの人が中にいる状態で震災時ビル火災が発生し、これら防火設備や消火設備が機能障害を起こし、大勢の人が犠牲になるというシナリオもあるという前提で、今後は対策を考えていかなければならない」
──ちょっと考えたくないようなおそろしいケースも、想定しておく必要がある。
「延焼という観点でまとめると、関東大震災の時に比べると不燃化率はそれなりに高まり、火災が起きにくくなったかのように思われるが、まだまだ非常に多くの木造密集市街地が残されていて、さらに震災時ビル火災のような新しい延焼リスクも顕在化しつつある。まだまだ油断は禁物という評価になると思います」
都市大火の抑制には成功したが、地震火災には通用しない
──「消防」についてはどうか。
「関東大震災の火災被害や戦時中の空襲の被害を受け、戦後、日本は消防力を充実させました。その結果、大火の発生頻度は1970年前後に激減しています。ちなみに、大火というのは1万坪以上、つまり3万3000㎡以上の火災を指します。大火が激減しはじめた1970年前後は、消防の常備化率を急激に高めた時期と重なります」
「日本は、都市をできるだけ難燃化するとともに、どこで火災が起きたとしてもすぐに消防車と消防士を派遣するという戦略を立てました。つまり、延焼するまでに時間を稼ぐような都市整備をしつつ、消防車と消防士が四方八方から向かわせて、寄ってたかって火を消す社会制度を構築しようという合わせ技の戦略です。これは一般に『8分消防』などと言われますが、この社会システムが実装されたことで、実際に地震時を除いた都市大火は、1976年の酒田大火以降、約50年発生していません。」
──戦略が成功した。
「しかし、このシステムが通用しないケースがあります。それは同時多発的に火災が発生した場合です。つまり、地震火災の時は力を発揮できないのです。1995年の阪神淡路大震災の時、神戸市長田区では全部で13件の火災が発生しましたが、長田区の消防署管内で動けるポンプ車の数は5台のみでした。13件の火災を5台で消さなければいけない状況だった。当然、すべての火災を消すことは難しいわけです。加えて、地震時は帰宅困難者や家族を送迎しようとする自動車で歩道や車道に人があふれ、大渋滞が発生していることも想定されます。倒壊家屋によって道が塞がれている場所もあるでしょう。水道管が揺れで壊れて、水が出ないかもしれません。つまり地震時は、平常時のように消防車が迅速に到着し、活動することは十分に期待できない」
「となると、個人や地域で初期消火をしなければいけない。関東大震災の時は東京市全体で134件の出火が発生しているのですが、40%程度は初期消火されていて、そのうち6割は公設消防以外が消火しています。しかし、近年の地震火災を振り返ると、強震時の初期消火は難しいことがわかっています。公設消防の力が向上した半面、火災を自分たちで消すという意識が希薄になってしまった可能性もあります。地域コミュニティの喪失や少子高齢化などを背景に、この部分はさらに今後悪くなっていく可能性もある。戦後に作り上げてきた都市大火を起こさないためのシステムが機能せず、個人や地域の初期消火能力も落ちていくとすれば、消防という観点でも楽観視はできません」
火災からの避難が下手になっている現代の日本人
──最後は「避難」について伺いたい。
「関東大震災で焼死した人の中には、建物に閉じ込められたり、避難途中に橋の焼失や落橋で逃げられなくなった事例のほかに、安全な避難空間だと思っていた場所で亡くなった事例などもあります。こうしたことを教訓に、日本は燃えない橋を造り、安全な避難場所を造り、さらに避難路の周辺を不燃化するといった取り組みを100年間続けてきました。これによって、避難のためのハード性能は相当向上したと考えていいでしょう」
「しかし、ソフト性能は低下しているかもしれない。つまり肝心の避難する人たちは火災からの避難が下手になっている可能性があります。実は、火災からの避難というのは他の災害と比べても非常に複雑で難しい。というのも、全員が一律同じ行動をすれば良いというわけではないからです」
──単純に、みんなが火災現場から離れるというだけではダメなのか。
「火災からの避難は、諦めが早すぎてもよくないし、諦めが悪すぎてもよくないという難しさがある。諦めが悪すぎると、火災と火災に挟まれたりすることで、逃げ道を失って命を落としてしまう。しかし、延焼にも絡む話ですが、諦めが早すぎてみんなすぐに逃げてしまうと、火災の被害がより拡大し、地震で家に閉じ込められた人や、高齢者や障害のある人など、避難に助けを必要とする人を助けられないということも起こりうる。適切なタイミングまできちんと初期消火や飛び火警戒などを行い、自力での避難が困難な人を救助し、そして適正なタイミングで逃げる、というような非常に難しい対応が求められますし、そのように活動することで被害を最小化することも可能なのです」
「もう一つ、特に大都市においては大きな課題があります。関東大震災の時、東京市の人口は約200万人なのですが、避難途中の橋などで子供や老人などが圧死する群集事故が発生しています。例えば東京市の相生橋や横浜市の吉田橋などでこのような事故が発生していますが、現在の東京都は人口が1400万人くらいいるなど、100年前と現在では人の多さは桁違いです。特に東京の昼間人口は多い。このような群集事故が首都直下地震の時に発生する可能性も少なくないのではないかと見ています。これも100年前と比べて、悪化した点と言えるでしょう」
防災を「うまく」使ってコミュニティの再構築を促せたら
「出火」「延焼」「消防」「避難」。いずれの観点で見ても、必ずしも100年前と比べて都市がそこまで安全になっているとは言えないようだ。地震火災に強い街を目指す上で、助け合えるコミュニティをつくるのも大切だと廣井教授は訴える。
──どのように備え、立ち向かっていけばよいのか。
「まず、いまもなお、地震火災リスクは少なくないことを知ってほしいと思います。もちろん地震発生の季節や時刻、風速などの条件が良ければ、大きな地震があっても火災被害はそれほど大きなものとはならないかもしれません。しかし反対に運が悪ければ、甚大な火災被害が発生する可能性もゼロではないのです。このような我が国の地震火災リスクの高さを知った上で、どのようなことが身の回りで起きるのかというイメージを持ってもらいたい」
「地震火災に強い街ってどんな街だろう、と考えると、コミュニティがしっかりしている街だと思うのです。今、そもそもコミュニティは衰退している地域も多くて、大都市などでは人がたくさんいても、周りの人の名前が分からないという状況もありますよね。そうしたなか、みんなで地震火災の取り組みを進めることで、地域の中でこれまで見えなかったさまざまな課題が見えてくるかもしれません。その結果、普段生活がしやすいコミュニティができて、さらに地震火災にも強くなる。防災をうまく使ってコミュニティの再構築を促すような、良い循環が生まれるための支援を、私としてもしていきたいと考えています」
元記事は こちら