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「いっちょかみ」が自分の世界を広げる! 生きづらい分断社会を克服する''遊び''と''観光''の哲学

    

コトナル

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SNSのタイムラインを見れば、自分と同意見の投稿ばかりが流れてくる。動画サイトを見れば、視聴履歴に合わせてサジェストされたコンテンツのみが再生される。私たちは欲しい情報にアクセスしやすくなった一方で、未知の価値観と出合いにくくなっているのもまた事実ではないでしょうか。自分にとって都合のいい情報だけに囲まれることで、人間同士の分断は一層進んでいます。

その課題に、「遊び」や「観光」という観点から解決策を投げかけているのが、 "観光家"の陸奥賢さんです。

陸奥さんは、まち歩きの達人としておよそ10年間で通算3000回ものまち歩きの案内人を担当。これまでに企画したコースはゆうに500を超えると言います。その内容もユニークで、大阪周辺の無縁墓地を巡る「大阪七墓巡り復活プロジェクト」や、大阪環状線を一駅ずつ古地図片手に回る「JR大阪環状線まち歩き」、夜中の2時にスタートする「丑三つ時!深夜の街歩きツアー!」などなど。

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まち歩き案内人として活動する陸奥さん(陸奥賢提供)

また、"コモンズ・デザイナー"として、誰もが自由に遊んでいい共有財産としての「へんてこな遊び」を考案し、普及に努めています。特に、参加者がそれぞれ気になる新聞記事をプレゼンし合いながら壁新聞を共同で作る「まわしよみ新聞」は高い評価を受け、全国のさまざまな企業や学校などで遊ばれ続けています。

陸奥さんは「遊びには越境性がある」と言います。分断を乗り越え、多様な価値観と出合うにはどうすればいいのか、陸奥さんにそのヒントを伺いました。

陸奥 賢(むつ さとし)さん

観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者。1978年大阪生まれ。2007年に堺のコミュニティ・ツーリズム企画で地域活性化ビジネスプランSAKAI賞受賞(主催・堺商工会議所)。2008年から2013年まで大阪あそ歩(2012年、観光庁長官表彰受賞)プロデューサー。2011年より大阪七墓巡り復活プロジェクト、まわしよみ新聞(読売教育賞最優秀賞受賞)、直観讀みブックマーカー、当事者研究スゴロク、歌垣風呂(京都文化ベンチャーコンペティション企業賞受賞)、仏笑い、北船場将棋、フォトスゴロク、死生観光トランプなどを手掛ける。大阪まち歩き大学学長。著書に『まわしよみ新聞をつくろう!』(創元社)

「まち歩き」ならヒューマンスケールの仕事ができる

──陸奥さんが「まち歩き」を生業にしたきっかけは何だったのでしょうか。

若い頃、テレビ業界で放送作家やリサーチャーをしていたのですが、27歳の時に忙しすぎて体を壊しちゃったんです。それで一回全部仕事をやめちゃって、さてこれから何をしようかなと思って始めたのが、フリーライターの仕事でした。

大阪のガイド記事を書いたり、全国でお祭りの取材をしたり。そんな時に、とあるNPO団体が神戸の新開地で女性限定ツアーをするということで取材をしたんですよ。新開地って戦後は日雇い労働者の町として知られていて、男性ばかりいるイメージなのを変えようという取り組みでした。参加してみて、これは面白いと思って、自分でもまち歩きをしたいとなったんです。

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──まち歩きの、どういったところが面白いと感じたんですか?

テレビの仕事って視聴者の顔が見えないんですよ。視聴者の側からは作り手が見えないし、作り手側からも、どんな人が番組を見ているのかわからない。僕が作ったコーナーを見て、笑っているのか、泣いているのか、そういうのが全然わからない状態で、視聴率ばかりに追われるのは虚しいし、僕は面白いと感じなかった。

それにテレビのようなマス(大衆)を相手にする仕事って、思いも寄らない大きな影響を及ぼすことがあるんですよ。取り上げたお店に人が殺到して、地元客が離れてしまったとか。もっと自分の責任の取れる範疇で仕事をするべきだと思ったわけです。

──そこで出合ったのが「まち歩き」だったんですか。

そうですね。マスメディアの影響は怖いと思ったけど、町の面白さを紹介する仕事はしたかった。そこでまち歩きという方法論と出合って、そうかテレビの視聴者を、自分が面白いと思った場所に直接連れてくればいいんだと気づいたんです。そうすれば店の人も、視聴者もお互いに顔が見えるヒューマンスケールな関係性の中で、嬉しさや楽しさを共有できるじゃないですか。僕のやりたい仕事はこれだ! と思って。

──現在でも陸奥さんはまち歩きのお仕事を精力的に行われていますが、そこから、いわゆる"コモンズ・デザイナー"の仕事に派生していったきっかけは何だったんでしょうか。

2008年から2013年まで「大阪あそ歩」という、大阪市や大阪商工会議所などが関わるコミュニティ・ツーリズム※1の事業でプロデューサーを務めていました。その間に、大阪のまち歩きコースを300ぐらい作ったんですね。「大阪の町、面白いでっせ」ということをずっとやっていたわけですけど、僕はあまのじゃくなんで、このまま大阪至上主義者で終わるのは人生つまらんなと思って(笑)。

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だんだんと大阪を飛び越えた、これまでとは真逆のベクトルのことをやりたいと思うようになりました。地域に関係なく誰でも使える、共有財産としての遊びの仕組みを作っていきたいなと思ったわけです。その第一弾として、2011年に始めたのが「大阪七墓巡り復活プロジェクト」でした。

──「七墓巡り」とはなんでしょうか。

江戸時代に流行った風習で、大阪にある無縁仏が葬られた墓地を町衆が巡って供養をするというものです。無縁仏の供養なので、大阪の町や、死者に縁がなくても、誰でも参加してOK。じつに自由でおおらかな巡礼で、誰が来ても受け入れるというスタンスが面白くて、現代に復活させました。

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「大阪七墓巡り」は毎年8月の恒例行事として実施されている(大阪七墓巡り復活プロジェクト提供)

ただ、大阪七墓巡りは、まだ「大阪」という場所性にとらわれていたので、それを飛び越える仕組みを作りたかった。そこから「まわしよみ新聞」や「直観讀みブックマーカー」、「当事者研究スゴロク」、「死生観光トランプ」といった企画につながっていきました。

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世界各国の死生観や、死者の弔い方法が書かれたトランプ「死生観光トランプ」。遊びながら、気軽に死生観を語らえるツール

「コモンズ」は誰でも使っていいオープンソースな場所

──そもそも「コモンズ・デザイン」とはなんなのでしょうか。

コモンズって聞き慣れない言葉だと思うんですけど、日本語では「共有地」と訳したりします。江戸時代の地図って見たことありますか? A村、B村という風にたくさんの丸が描かれているんですけど、スキマがたくさんあるじゃないですか。そのスキマは要するにコモンズなんですよ。

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「武蔵図」(天保6年)より江戸城周辺 出典:国立公文書館デジタルアーカイブ

こういったコモンズは入会地・入会山とも呼ばれる共有地・共有山として利用されていました。例えばA村、B村、C村の入会山があり、そこでキノコが100個採れたとしたら、ここはみんなの共有地なので、それぞれの村で10個ずつ採りましょうかという節度のある使い方をしていたわけです。A村がキノコを100個全部採ったら、それはB村、C村と戦争になるので(笑)。
A村、B村、C村のスキマに、曖昧模糊なコモンズの空間、境界がいっぱいあった。こういう、みんなのものであり、誰のものでもないという場所があるから、イザコザも減ります。A村とB村がそのまま隣接していると、そのライン上で、この土地はどっちの所属か?どっちの所有か?と揉め事が発生しやすいですから。コモンズは、ある種の緩衝材のような役割を果たしていたわけです。

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コモンズについてホワイトボードを使って説明する陸奥さん

あと、僕はコモンズのことを「共異体」といったりもします。A村やB村といったコミュニティ、共同体には、村に属さない旅芸人や流れ者などは、なかなか入ることはできませんが、「共異体」のコモンズは、多様な人たちが存在しうる空間でもありました。例えば、村人が壊れたわらじなどを、入会山に置いておくと、いつのまにか通りがかりの誰かが、それを修理してくれます。その代わり、山の収穫物を少しもらっていくというような、まったくの見知らぬ者同士の、他者同士の助け合いがあったそうです。
そのほか、入会山は借金を負って困窮するなど、村で失敗してしまった人たちが生活を立て直す緊急避難場所としても機能しました。村から離れて、入会山に入り、そうすると村のおつきあいが減るので、出費がなくなります。そして入会山のものを売ったりして、数年経つと借金を返済するというわけです。

──コモンズは多様な人たちが自由に集って、利用していい場所だったんですね。

要するにWikipediaは、コモンズ的な仕組みのわかりやすい例ですよね。オープンアクセスで誰でも書き込めるし、誰でも無料で利用することができる。運営は寄付で賄われていいますが、寄付をしない人でも使うことができる。ああいう共有財産を作ることって、すごく大事で楽しいんじゃないかと思ったんです。

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──陸奥さんの作るコモンズはどれもゲーム感覚で遊べるものばかりです。なぜ「遊び」という形にこだわられているのでしょうか。

共有財産を作りたいとなって、じゃあ何が人々に共有されやすいか? と考えたときに、僕の中で「じゃんけん遊び」が思い浮かんだんですよね。じゃんけんって全国各地、誰でも使用してるじゃないですか。それでいて使用料なども発生しない。老若男女がいろんな現場で使う。共有のデザインとして、非常に優れている。どこか「遊び」の要素が大事なんだろうなぁと思ったんですね。あと、平安時代の歌謡集『梁塵秘抄』に、次のような文句があって、これが僕、大好きなんです。

大人が机に向かって仕事をしている。そのときに外から遊んでいる子どもの「わー」という歓声が聞こえてきた。ふと何をしているのかな? 面白そうだな? と気になってしまい、自分も遊びたくなっちゃうという戯れ歌なんですけど。遊びには、人を夢中にさせて、熱狂させる越境性があるというのかな。遊びの力を利用すれば、どんどんと越境して、他者を巻き込んで、いろんな人に楽しんでもらえると思ったんですよね。

遊びだからこそ「あえてやってみよう」ができる

──価値観が多様化している一方、なかなか異なる価値観の人と出会う機会というのも少ないように感じます。コミュニティを越境するためにも、コモンズという考え方は重要なんじゃないかと感じました。

そうですね。例えば、いまのインターネットは、フィルターバブル※2や、エコーチェンバー※3といった、人々の世界をどんどん狭めるような構造的欠陥を持っています。SNSを捨て、町に出よ、じゃないですけど、そういう意識を持って、他者と出会うようにしないと、社会の断絶が進んで、どんどん世界が歪んでいってしまいますよね。

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話は変わりますけど、観光の「観」という漢字の旧字体の「雚」という部分は、人々が口々に話をしているという意味を持っています。その隣に「見」という漢字がありますが、これは現場に足を運んで、自分の目で見ることです。この2つの漢字を合わせると、要するに、みんながそれぞれ現場で見てきたことを共有し、話し合い、そうすることでいろんな認識が深まり、広がっていくという意味になります。
僕の中で「観光」というのは、物事に違う角度から光を当てることで、認知がまったく変わってしまうような体験を意味する哲学用語なんですよ。そういった観光的な瞬間が発生する場、想定外の他者(この場合の「他者」は人に限らず、すべてのモノを指す)との出逢いを作っていきたい。「観光家」を名乗っているのも、それが理由なんです。

──でも、自分の認識を変えるために知らない人と会ってみよう、知らない場所に行ってみようとは、なかなか思い至らないですよね。

それ自体が目的にはならないんですよね。合理的じゃないから。だから、「遊び」でやるしかないんですよ。例えば、店構えで「このラーメン屋入りづらいなあ」と感じるお店に自ら入らないじゃないですか(笑)。ただ、「あえてそういう店に行ってみるという遊び」だと思えば、入れますよね。

あえてやってみる。いっぺんやってみる。なんでもやってみる。これを大阪弁で「いっちょかみ」というんですけど。そういう「いっちょかみ」マインドが、自分の世界を広げるのではないでしょうか。そして、他者と出逢い、いつもと違う目線で物事を捉えられるようになれば、みんなもっと人に優しくなれると思うんですよ。世の中には変なやつがいっぱいなんだって、わかりますからね。

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<取材後記>

合理化や最適化が進むほどに、異質なものに触れる機会が減り、人々の考え方や価値観は硬直化していってしまう恐れがあります。分断された島宇宙同士を行き来するのに必要なのは「遊び」の持つ越境性。多様性がありつつも、違いを認め合う社会を実現するためには、この考え方が重要なのかもしれません。

元記事は こちら

  • 写真中村宗徳

    執筆小野和哉

    編集都恋堂

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