「女には無理」から「やりたいならやれ」へ。漁師の世界に女性活躍の場をつくる挑戦
「女性の職業に漁師という選択肢をつくりたい」
そう語るのは、三重県熊野市で漁師として活躍する田中りみ(たなかりみ)さんと西地絵美(にしじえみ)さんだ。
男女共同参画社会が叫ばれる今日においても、漁業に関してはいわゆる「3k=きつい、汚い、危険」と呼ばれ、「男の仕事」というイメージを持っている人も多いかもしれない。2017年に水産庁が発表した漁業就業者数における男女の割合を見ても、女性漁師はわずか13%と、その割合は圧倒的に低い。
そんな中、三重県の南部に位置する熊野市甫母町(ほぼちょう)という人口100人ほどの小さな漁村で、女性だけの漁師チームが発足したのは昨年の5月。メンバーは田中さんと西地さんらを含む4人で全員熊野出身だ。
チームを結成したのは、株式会社ゲイト。
「生きていれば、再生できる。生きている限り、世に尽くす」東京の居酒屋経営者が、三重県で漁業を始めた理由
ゲイトは、東京で居酒屋チェーンを運営しつつ、三重で定置網漁を行っている。自分たちでとった水産物を自社の店舗に卸すことで、地域に利益を還元している。
冒頭の言葉に続けて、彼女たちは次のようにも話す。
「女性に漁師という選択肢を増やすことは、後継者不足で悩むこれからの水産業でとても大切なことなんです」
なぜふたりはこの熊野という地で漁業に携わる道を選んだのか。漁師になるまでの道のりや、地元熊野へ寄せる想いについてうかがった。
女の子に漁師は無理? それでも掴んだ漁師という職
── 田中さんは元々熊野のご出身なんですよね。どういった経緯で熊野で漁師をすることになったのでしょうか?
- 田中
- 私は父が熊野の漁師なんです。昔はこの辺りもさんまがたくさん獲れたので、その時期になると父が分厚い給料袋を持って、家に帰ってくるんですよ。幼心にその姿がすごいかっこよくて、いつか自分も漁師になりたいなと思うようになりました。でも両親からは「女の子に漁師は無理だ」と反対されてしまって。
── それはなぜでしょうか?
- 田中
- 熊野には「女性は漁師になれない」という慣習が残っていたんです。今でも定置網の勉強をするために、隣町の船に乗せてもらうこともあるんですが、地域によっては、女性が船に乗ること自体禁止されてるという話もよく聞きます。
── なるほど......。
- 田中
- だから高校を卒業したあとはいろいろな仕事をしました。8年間熊野でコンビニの店長をしたあと、上京して新聞の営業を6年間。でもやっぱり海が見えるところに住みたいと思って、熊野にUターンをして、知り合いの紹介づてに土木事務所や食品加工会社を転々としていました。
── 漁師になるまで紆余曲折があったんですね......。ゲイトにはどんなきっかけで入社したのでしょうか?
- 田中
- 当時、熊野の二木島町(にぎしまちょう)で加工工場を任されていたゲイトの宮森が、一緒に働かないかと声を掛けてくれていたんです。そのとき、私は別の加工会社で働いていたのですが、せっかく誘ってくれるのであればと思って、ゲイトに転職しました。だから私は最初、魚の加工を担当していたんです。
── 最初から獲るほうではなかったんですね。その後、どのようにして漁をすることに?
- 田中
- 私がゲイトに入社した1年半後くらいにえみちゃん(西地絵美)が入社しました。その頃ゲイトは熊野漁協の准組合員になっていたので、会社を通してなら漁をしても問題がなかったんです。だから、自分が一番やりたいことをしようと思って、加工はえみちゃんに任せて、私は漁師になりました。
── 苦節の末にやっと漁師に......! でも熊野では「女性は漁師になれない」という慣習があったんですよね。周りの人からの反対はなかったのでしょうか?
- 田中
- それが意外なことに、ほとんどなかったんです。もちろん中には反対する人もいたそうなんですが、それも他のおじちゃんたちが説得してくれました。当然心配はされましたけど、「お前がやりたいなら、やれ」って言ってくれて。
── なぜ応援してくれたのでしょうか?
- 田中
- 私たちが漁をしている甫母町は、実は代々漁師という人は少なくて、船乗りから転向した人が多いんです。タンカーに乗って海外に行っていた人もいるので、他の町に比べて考え方が柔軟だったのかもしれません。
- 西地
- それに加えて私たちが全員、熊野出身ということも一つの理由だと思います。田舎なのでどんな人でもだいたい遠い親戚とか、お父さんの同級生だったりするじゃないですか。今では市場も私ひとりで行くんですけど、みんないろいろ教えてくれますし。
── 地元ならではの関係性と、町の人たちの理解があったんですね。
- 田中
- でも、反対した人の気持ちもわかるんです。突然東京からゲイトっていう会社がきて、女性だけで漁をするなんて言い始めたら、やっぱり不安にはなるだろうし。中には漁場を乗っ取られるんじゃないかって思っていた人もいたみたいで。
だから本当は定置網漁よりエビ網漁のほうが稼げるし、沖でシイラを釣るより、湾の中でハマチとかブリを釣ったほうがいいのはわかっているんですけど、自分たちからやりたいとは言わないように決めているんです。それはおじちゃんたちの仕事だから。
── そこはしっかりと配慮した上で、漁をしてるんですね。
- 田中
- そうです。やっぱり私たちもおじちゃんたちにお世話になっているので、そこはお互いにいい関係を築いていきたいなって。
漁の効率化で採算をとる
── 普段はどういった役割分担で漁をしているんですか?
- 西地
- 私ともう2人のメンバーが魚の加工で、漁は基本的にりみちゃんが担当しています。漁の時間帯はバラバラなので、りみちゃんに会わない日もありますよ。朝だけ「おはよう」って言って、昼過ぎには帰っていったり。
── 今日、おふたりの漁に同行させてもらいましたが、網を小型化してあまり力を使わなくても引き上げれるようにしていたのが印象的でした。でも網のサイズが小さい分、水揚げ量は少なくなりますよね。実際、収益的な問題はないのでしょうか?
- 田中
- 獲った水産物の加工から、自社で経営する居酒屋への卸しまで、すべて自分たちで行うことで採算を取っています。自分たちで車を運転すれば、輸送コストを抑えられますし、空いたスペースに漁業体験の希望者を乗せてくることもできます。それに売り先があれば、朝獲った魚を市場に卸すだけじゃなくて、昼から網を上げたり、夕方頃に釣りに行くこともできますし、市場で安く売られているような魚を買付けて、素揚げにして居酒屋で出せば、1人前100グラムでもそれなりの値段が付けられます。効率がいいんですよ。
── 未利用魚を効率的に活用できるのは、飲食店と生産地が直接つながっているからこその利点ですね。
- 田中
- そうですね。それにそんなに安く売られているってことは、私たちがいなかったらもっと安く買われたりとか、どうせ売れないからって海に捨ててきちゃうんですよ。そういう魚を積極的に使ってるから、漁師さんも喜んでくれるし、私たちも嬉しい。
── ウィンウィンの関係性なんですね。
- 田中
- でも漁師さんや仲買さんには、お前ら水揚げ量少ないし、そんな変な魚ばっかり買ってて大丈夫か?って言われますけどね。2019年の5月に漁を始めて、1番市場に水揚げをした月でも40,000円しか売り上げていないので。だからみんな心配して、いろいろ教えてくれるのかもしれません(笑)。
── でも、こうして女性だけで漁をする中で、なにか大変なことはありますか?
- 西地
- んー、なんでしょうね。トイレとか、寒さとか、紫外線とか、言い出したらきりがないですけど、トイレが付いてる船もあるし、今の化粧品は紫外線とかもそれなりに防いでくれるし。私とりみちゃんの他にもうひとりメンバーがいるんですけど、その子はネイルした手でもグイグイ定置網をあげてますよ(笑)。それに、どんな仕事だって、楽なことも大変なこともあるじゃないですか。それよりその仕事をどれだけ楽しめるかが大切ですね。
── なるほど。ふたりがそうやって楽しく漁業を続けるうえで、何が一番の支えになっているのでしょうか?
- 西地
- やっぱりゲイトという会社が私たちのことを理解してくれて、自由にやらせてくれてるのは大きいのかもしれないですね。社長の五月女さんがいつも「お前たちのやりたいようにやればいい」って言ってくれるから。
- 田中
- 月に40,000円しか水揚げしてなくても、五月女さんは一回も私に文句を言ったこともないし、私たちが熊野に女性漁師を増やそうとしていることも、これからにつながることだからがんばれって応援してくれる。だから環境はとてもいいと思います。
- 西地
- 本当にいいチームなんですよ。熊野に帰ってきて、ゲイトに入れたことも大きいですけど、なによりみんなに出会えてよかったなぁって思います。
過疎化の進む街を漁業で復活させたい
── そもそも、なぜみなさんは女性だけで漁を始めたのでしょうか?
- 田中
- 今後熊野の漁師さんたちもどんどん高齢になっていくので、いずれは誰かが引き継ぐことになります。女性に漁業という選択肢を増やすことは、後継者不足で悩むこれからの日本の水産業においても、とても大切なことなんです。ちなみに、ここに来てから子どもの姿って見ました?
── 言われてみれば、見ていないかもしれません。
- 田中
- 熊野の過疎化は深刻で、本当に子どもがいないんです。この近くにある私が通っていた中学校も、あまりの子ども不足で休校になってしまいました。自分の母校がないってすごく寂しいことじゃないですか。
でも、熊野には海があるし、女性でも漁ができる場所になれば、漁師として働きながら子どもを育てたい女性が移住してくれるかもしれない。そうすれば子どもが増えて、町もにぎやかになる。休校している母校を復活させるのが、私の個人的な夢なんです。
── そのためにみなさんが先駆者となって、女性も漁師として稼ぐことができるということを実証しようとしているんですね。ちなみに、昔漁師になることを反対していたお父さんは、今のりみさんの姿を見て、どう思っているのでしょうか?
- 田中
- すごく嬉しそうですね。応援してくれてると思います。でも、お父さんは4年前くらいに脳出血を患ってから、右半身が不自由なんです。いつものように漁から帰ってきたら突然倒れてしまったので、きっと今も船に乗りたいはずなんですよ。だからいつかお父さんを船に乗せてあげたいんです。
── いい話ですね......。最後に、漁師になりたいという女性に向けて何かアドバイスはありますか?
- 田中
- もし興味があれば、一度直接見に来てほしいです。私たちが楽しく自由にやってる姿を見たら、きっとなにか得るものがあるんじゃないかなと思います。
- 西地
- 東京からであればいくらでも車に乗せていけますので、希望者はゲイトのHPから私に連絡してください(笑)。
さいごに
最初、彼女たちが漁師になるまでには、きっと多くの困難があったのだろうと思っていた。昔から残る地域の慣習を覆すことが難しいのは、容易に想像できたからだ。
しかし、そんな予想とは裏腹に、地元の漁師は彼女たちの参入を温かく迎え入れた。
なぜ漁師たちはそうしたのか? もちろん彼女たちが熊野出身だったこともひとつの要因であることは間違いない。だが一番の決め手は、彼女たちの地元熊野へ寄せる強い想いがあったからこそだろう。
「熊野に移住する若者を増やしたい」そう語るふたりの眼差しは真剣そのものだ。
漁業は決して楽な仕事ではない。定置網は小型とはいえ、魚がかかったときにはずしりと重く、沖に出れば冷たい風が容赦なく吹き上げる。しかし、それでも魚を獲る彼女たちの表情は笑顔にあふれていた。
「熊野では女性は漁師になれない」
それも今では昔の慣習になった。昨年の夏には、地元の漁師のご厚意で釣り用の船も手に入れた。そうして地元の人に支えられながら、一歩ずつ着実に夢に向かって進んでいく彼女たちの姿を見て、熊野に活気が戻る日もそう遠くないように感じた。
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文日向コイケ
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