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豊かな未来のきっかけを届ける

豊かな未来のきっかけを届ける

3月8日は国際女性デー ジェンダー平等がどのように持続可能な社会、豊かな未来に繋がっていくのか。その意義や現在の状況について知り、考えていきましょう。

自分の選択を''正解にするため''に。人間関係や生きづらさと向き合う手段としての「書く、発信する」

画像:あたそさん

劣等感、コンプレックス、人間関係の悩みなどが引き起こす日々の生きづらさ――現代人の多くがその問題に行き当たり、それぞれの方法で生き方の模索を続けています。文筆家の「あたそ」さんもまた長年、「生きづらさ」という問題に向き合ってきた人間の一人。Twitter(現・X)で女性として生きる上でのさまざまな悩みを代弁し多くの人の共感を獲得。次第に関心の領域を、自身のコンプレックス、人間関係の悩み、社会への違和感へと広げていきながら、SNSや書籍を通じて多くの人に「言葉」を届け続けています。

2024年には家族や友人との人間関係について取り上げた本、『結局、他人の集まりなので』を上梓。世のなかの「普通」に疑問を投げかけながら、自分の生き方を肯定していきたいという強い意思に満ちた内容となっています。

劣等感を抱えながら、書くこと、発信することを通じて、前に進み続けてきたあたそさん。彼女なりに生きづらさとどう向き合い、乗り越えてきたのか、話を伺いました。

あたそさん

神奈川県出身。会社員として働く傍ら、WEB媒体で複数のコラムを執筆。著書には、女性特有の生きづらさや社会的な違和感をテーマにした『女を忘れるといいぞ』(KADOKAWA)、孤独について自身の経験を綴った『孤独も板につきまして』(大和出版)、家族や友人、職場での人間関係の歪みを描いた『結局、他人の集まりなので』(主婦と生活社)がある。

初対面は得意だけど、長い付き合いになると心に「壁」ができてしまう

── あたそさんは、SNSや著書で「人間関係」のモヤモヤについて発言されることが多いですが、人間関係で特にモヤモヤを感じるのは、どんなときですか?

私、初対面では人に興味を持ってもらいやすいんです。飲み会でも自然に仲良くなれますし、そこは得意なんですよ。

でも、関係が長く続くと、無意識に壁ができてしまう。10年以上付き合いがある友達からも「壁があるよね」「心を開かないよね」と言われることがあって。仲のいい相手にも、そう感じられてしまうんだなと。きっと、あまりコミュニケーションを取らない家庭で育ったことが原因のひとつだと思っていますが、たまに落ち込みますね。

画像:あたそさん
あたそさん

── そのモヤモヤはいつ頃から感じ始めるようになったのですか?

高校生のとき、周りの子が「中学の友達と遊んだ」「同窓会に行った」と話しているのを聞いて、「私にはそんなつながりがないな」と気づいた瞬間があったんです。高校に進学するときに、それまでの友人関係が途切れていて。「普通はもっと連絡を取るものなんだな」と思いました。

── 長い人間関係を築けていないことに気づいたわけですね。寂しいなとか、もっと友達作ればよかったみたいな気持ちは?

驚きはありましたが、「まぁいいか」くらいの感覚でした。学校のクラスの人間関係って、自分の意思ではどうにもならない(クラスメイトを自分で決められない)ものだと思うんです。もし気の合う人と出会えていたら、違っていたのかもとは思いますし、そのためにすべき努力はあったかもしれません。ただ、当時の私には、その場その場で興味を持ってもらいながら立ち回ることが、そのときの全力だったとも思います。

── でも、そうしたなかでも、初対面で人に興味を持ってもらうことが昔から得意だったのは、大きな強みですよね。

そうですね。「相手にとって価値のある話をしたい」「面白いと思ってもらいたい」という気持ちが昔から根底にあったんだと思います。

画像:あたそさん

── それはご自身で何かそういう努力をしていたんですか?

特別な努力をしたわけではなく、気づくとそうしていた感じですね。相手が興味のある話を広げたり、その間に次の話題を考えたり......そういうことを自然とやっていました。

たぶん、どこかで自分を肯定できない部分があるんだと思います。人ってそこにいるだけで価値があるのに、自分についてはそう思えない。友達でも恋人でも、時間を割いてくれることに対して、「お返しをしなきゃ」「楽しんでもらわなきゃ」と思ってしまう。その人にとって価値のある時間にしなきゃ、と考えてしまうんです。だから沈黙が怖い(笑)。焦ってしゃべってしまうことも多いです。

── 壁を作ってしまうことについて、ご自身でどう向き合っているんですか?

もちろん壁を取っ払っていきたいとは思いますが、その上で仕方ないよねって思うところもあって。人間の性格って突然変わるものではないじゃないですか。一生付き合いながら、微調整していくしかないかなと思っています。

「発信」は、好きな趣味について語れる場を探すための手段だった

── 「人間関係で満たされている人は文章を書かない」という持論があると、インタビュー記事で拝見しました。そうしたモヤモヤが、Twitter(現・X)を始めるきっかけになったのでしょうか?

Twitter(現・X)は流行っていたので始めましたが、それ以前からネットで発信していました。中学・高校時代、好きな音楽について語れる相手がいなかったんです。私は「BUMP OF CHICKEN」や「syrup16g (シロップジュウロクグラム)」の曲を聴いていましたが、クラスメイトはアイドルの楽曲や、流行りの恋愛ソングなどを好んでいました。本当に好きなことを話せる相手が欲しいと感じていた頃、「2ちゃんねる」や「ニコニコ動画」の存在を知って、こういう場で好きなことを発信できるんだって気づいたんです。

最初は掲示板への書き込みが中心でしたが、そのうちネット界隈で流行っていたメルマガで、音楽のことを発信してみました。続けているうちに、自然と同じ趣味の人との交流が深まって、リアルで会う機会も増えていったんです。その縁は今でも続いています。

画像:あたそさん

── 趣味の話ができる相手が少なかったなかで、ネットでは同じ趣味の人とつながることができたんですね。

学校や会社のコミュニティでは、みんな恋愛や芸能人の話とか、わかりやすい話題で盛り上がるけれど、私はそういう話にあまり興味が持てないんです。会社でも不満や悪口を言う人が多いですが、問題だなとは思いつつ、正直どうでもいいなと感じています。どこの会社も完璧じゃないので、不満が出るのは仕方ないとも思いますが、私はみんなと関心の方向が違うんだなと。

好きなものが似ている人とは、価値観や考え方もなんとなく似ていて、話が通じやすい。それを振り返ると、私にとって「趣味の話ができる人や場」が人生でとても重要だったんだと思います。

「書くこと」は「発信」であり、モヤモヤを何らかの形に確定させる作業である

── その後、発信を続けるなかで、書くことがご自身の葛藤と向き合う手段になっていったのでしょうか?

私は基本的に、人目につくところでしか文章を書かないんです。だから日記とかは書かない。自分だけに向けて書くことに、あまり意味を感じないのかもしれません。

でも、人が見ているとなると「どう書けば伝わるか?」を考えますよね。起承転結や結論を意識しながら書くうちに、「なぜこう思ったのか」「その上でどうなのか?」と無意識に深掘りする。それが結果的に、思考の整理につながったところはあるのかもしれません。

── 近著の『結局、他人の集まりなので』では、家族問題など難しいテーマを扱いながらも、どのエピソードにもしっかり落とし所を作っていますよね。これは思考が整理された結果ということでしょうか?

はい。もともと、悩む時間が無駄だと思っているところがあるんですよね。だから結論を出したがる性格ではあります。論理的な思考が特別強いわけではないですが、「答えはあるものだ」と思っていて。

文章にオチをつけようとすると、自分の考えに必ず結論を出さなきゃいけなくなるじゃないですか。その過程で、漠然としていたモヤモヤが整理され、最終的にひとつの「固まった考え」として形になる。そういう意味で、本を書くことは、自分と強制的に向き合う作業でしたね。

結局、他人の集まりなので
あたそさん

── その作業のなかで、家族との関係について、ご自身なりの答えが見つかった部分はありましたか?

結論とまではいかないですが、そういう部分もあったと思います。だから正直しんどかったですね。家族にはいい思い出もあるけれど、嫌な思い出もたくさんある。そんななかで結論を出そうとする作業をしたので、「こう思っている」というより「こう思うことにした」という感覚が強かったです。もちろん、書いていることが嘘なわけではない。でも100%そう思っているかというと、そうでもないというか。

── 考えが完全に固まったわけではない、という感覚なのでしょうか?

人って、頭のなかにいろんな考えがありますよね。でも結論はそのうちのひとつだけ。「こういうことがあって、結果的にこうなりました」とまとめても、実は別の考えもある。でも、書くことで「自分はこういう結論にしたい」と決めてもいるのかなと。

例えば、社会的なことを考えなければ別の道を選ぶかもしれないけど、理性で考えて「こっちに進もう」と決めることってありますよね。そういった最適解の選び方も含めての結論なんだと思います。

前に進むために「肯定できる部分」を見つけてみる

── お話を聞いていて、あたそさんは「書く」「発信する」ことを通じて、悩みながらも自分なりの「正解」を選択してきたんだなと感じました。最後に、「生きづらさ」との向き合い方に悩む人へ、メッセージをお願いします。

結局、悩みって全部「過去」なんですよね。過去にこんな嫌なことがあった、と。でも、そこから学びを得て、次に生かしていくことが大切だと思うんです。そうやって自分のなかで、たったひとつでも肯定できる部分を見つけられたら、少しはマシになるのかなとは思っています。私の場合は、家族や職場・友人との人間関係で悩んできましたが、それを文章にし続けたことで、仕事にもつながりましたし、なんだかんだで、めんどくさいなと言いながらも話を聞いてくれる友達がいるし、私の嫌な部分を認めてくれる人もいる。そこに気づけたのは悪いことではない、肯定できる点だと思うんです。

悩みがあるのはいいこととは思えないですが、トータルで考えたら、そういうふうに悩んで考えた末に、自分を受け入れてくれる人や場所に気づくこともある。過去に色々あったからこそ今の自分がいると思えたら、少しは気持ちが楽になるのかなと感じています。

取材後記

あたそさんの著書のなかに、次のような言葉があります。

「私の人生は私だけのもので、自分で選ぶこと、自分一人で立って生きていくことに大きな意味があるのだと思う」「自分の選んだ道を、正解に変えていきたい」

その意思表明はあたそさん自身に向けられたものではありますが、困難のなかで、自分らしい生き方を模索していく人々へのエールにも聞こえます。

「生きづらさ」への向き合い方も人それぞれ。「書くこと」「発信すること」は、あくまであたそさんなりの葛藤への向き合い方でしたが、手段はともあれ、過去への後悔、漠然とした不安、そういったなかからも肯定できるポイントを見出しながら「生きづらさ」とうまく付き合っていくという方法論は、誰にとっても前に進むためのヒントになるでしょう。

  • 写真 中村宗徳
    執筆 坂本アヤノ
    編集 都恋堂

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