「みんなと違う人でいい」 生きづらさについて30年間書き続けてたどり着いた、気楽な人間関係のススメ
1993年、『完全自殺マニュアル』(太田出版)という本がベストセラーとなりました。タイトルは刺激的ですが、通底しているメッセージは「生きづらい世の中をいかにサバイブするか」ということ。以来、著者であるフリーライターの鶴見済さんは「生きづらさ」をテーマとした執筆活動を続けています。
「言いたいことを上から順番に書いていったら、結果的に全部が"生きづらさ"だったんですよね」と漏らす鶴見さん。2022年に出版した最新作『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』もまた、「人間関係」という観点から、現在における生きづらさの根源とは何か、そして気楽に生きるのはどうすればいいのか、というテーマに挑んでいます。
本の中で、人間関係の作り方や、集団における振る舞いについて、さまざまな提案をする鶴見さん。その中には「みんなとちょっと違う人でいい」という多様性を肯定するメッセージも含まれています。気楽な人間関係づくりにおいて、なぜ「みんなとちょっと違う」ことが大事なのでしょうか。鶴見さんに話を伺いました。
鶴見 済(つるみ わたる)さん
1964年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。複数の会社に勤務したが、90年代初めにフリーライターに。生きづらさの問題を追い続けてきた。精神科通院は10代から。つながりづくりの場「不適応者の居場所」を主宰。著書に『0円で生きる』『完全自殺マニュアル』『脱資本主義宣言』『人格改造マニュアル』『檻のなかのダンス』『無気力製造工場』などがある。
世の中の不幸をなくすためには「人間関係」について考える必要があると思った
── 家族は寄り添うべき、恋愛や結婚はするべき、友だちはたくさんいたほうがいい、など、いままで常識とされてきた価値観に「本当は違うのでは?」と疑問を投げかける鶴見さん。そもそも「人間関係」をテーマに本を書こうと思った理由はなんでしょうか。
世の中の不幸をなくそうと考えたときに、じゃあ何が不幸の原因なのかと突き止めると、もちろん衣食住が足りていない時代であれば、そういった問題を叫ぶべきだし、今でもそういうことがあるなら見過ごせません。けれども今の時代であれば、目の前にある具体的な「個人」対「個人」の問題、つまり「人間関係」というものを取り上げなければ誠実じゃないような気がして。だから、この本を書こうと思いました。
── 本の冒頭でも、心理学者・アドラーの「人間の悩みはすべて対人関係の悩み」という言葉を引用されていましたね。
最近では、給料などの労働条件よりも、「人間関係」に対する不満で会社を辞める人が多いという調査結果もあります。考えてみれば俺も、パワハラを受けて会社を辞めた経験が過去にありました。ともかく、そういう状況なのであれば、なおさら「人間関係」について考えなきゃいけないですよね。
── いま挙げていただいた会社の他に、家庭、学校といった人が密に存在する場所、コミュニティは、そもそも人間には合わないのではないか、と鶴見さんは本の中でおっしゃっています。そう考えられる理由はなんですか?
学校の教室なんかはまさに典型的だと思いますが、どんなに仲のいい友だちだって、あんなに人間同士の距離が近い場所に長時間いたら、絶対一回は喧嘩しますよね。虫眼鏡で相手のことを見ているようなものですから。良いところも、もちろん見えてきますが、相手の嫌なところだって当然強く迫ってきます。
人って、近づいたり、離れたり、他者との適度な距離を取りながらうまく人間関係を築いていくものじゃないですか。でも会社や家庭、学校といった空間は、その距離を取る権利を最初から奪ってしまっている。そうなると、あの人とは喧嘩したから、一年くらい距離を取ろう、ということができません。嫌な相手とも強制的に毎日会わないといけないですから、何か悪いことも起きちゃいますよね。それが、密な空間を息苦しく感じる理由なんじゃないかと思います。
孤独もいいけど、自分を肯定してくれる居場所はもっといい
── 鶴見さんは、密な集団の負の一面として、みんな同じになろうとする「同調圧力」の怖さについて説いていますね。それに対して「みんなとちょっと違う人でいい」と、まさに多様性社会を肯定するような言葉も添えています。
人が考えることって、本来絶対みんな違ってくるはずなんですよ。それが大事だと思いますが、集団の中にいると、みんなに気に入られようと、自然とその集団の規範(ルール)に同調するような行動を取ってしまう。集団が理想とする像に自分を近づけようとしていく中で、やがて人は自分を失ってしまうんです。
── 他人の目を気にするうちに、本来の自分を見失ってしまう、と。それも確かに、人間関係における生きづらさの、一側面ですね。
こういった集団の持つ性質は、社会心理学の世界でも指摘されていることなのですが、特に自己評価の低い人ほど同調圧力には弱いとされています。とにかく、集団との関わり方は気をつけないといけないし、同調圧力の強そうな集団に入る時は十分に警戒した方がいいと思います。
── お話を聞いていると、集団や人間関係というものに関わることすら嫌になってしまいそうですが......。
そうですね。人間関係でつらい思いをした人の中には「一生孤独でいいよ」と振り切ってしまう人もいると思うんですが、でも長く一人でいることも、それはそれでつらいんですよね。俺自身、過去に友だちもいなくて孤独だった時期があるのですが、その間も誰かと話したいなという思いはずっとありました。例えばいいライブとか映画を観た後に、「すごかったよね!」と周りの人に話しかけたい衝動に駆られたり(笑)。
── 確かに盛り上がったライブの帰り道ほど、無性に寂しさを感じます(笑)。
だから「人間関係」か「孤独」かという二択は違うと思っていて。決定的によくないのは、いじめられるとか、パワハラを受けるとか、否定される人間関係に身を置くこと。その対極にあるのは孤独ではなくて、自分を肯定してくれる人間関係だと思うんですよ。もちろん孤独がいいという人もいるので、それを否定はしたくないですけど、でも悪い人間関係もあれば、いい人間関係もあるんだよ、ということは伝えたいですね。
── では現在、集団の中でつらい思いをしているのであれば、自分を肯定してくれる別の居場所を見つけるのも一つの手だと。
例えば学校にしか居場所がないのだったら、趣味の集まりとか、学校以外の居場所を、いわゆるサードプレイスという逃げ場所を持っておくと安心ですよね。
嫌な相手を見過ぎないことが気楽な人間関係への第一歩に
── 鶴見さんご自身も、ゆるいつながりを作る場所として「くにたち0円ショップ」や「不適応者の居場所」という集まりを開いていますよね。これらの取り組みはどのようにして始まったのでしょうか。
「くにたち0円ショップ」はもともと10年前に友人が始めた活動で、初期から僕も参加していたんですけど、家庭のいらないものを路上に持ち寄って、道行く人に持っていってもらうというアクションです。もちろん物のやり取りがメインですけど、段々と物よりも人とのつながり作りを求めて来る人が多くなって。じゃあ、もう物はなしで、つながり作りのみで何かやってもいいんじゃないかと思って、4年前に始めたのが「不適応者の居場所」です。コンセプトは、社会でつながりがなくなってしまった人の逃げ場所という感じで、SNSで参加を呼びかけて、レンタルスペースや公園に集まり、花見のようにただ会話をするということをしています。
── そういったゆるい居場所を作る上で、気をつけていることはありますか?
やっぱり否定される人間関係から逃れてきた人たちも多いが集まる場所なので、攻撃はもちろんだめだし、参加者同士がお互いを思いやる、「お互い様」の気持ちで参加してほしいと呼びかけていますね。
── 「お互い様」の関係性とはどういうものでしょうか。
それぞれが対等の個人として横並びになっている関係性です。偉い人がいて威圧的に振る舞うのもよくないし、誰かが誰かに依存しているという関係もよくない。よく「面倒見のいい人」っていますけど、教育虐待なんて言葉もあるように、面倒を見すぎるのもよくなくて。「こうした方がいいよ」というアドバイスが、「なんでこうしないの?」とエスカレートしていくと、それは愛情のようで、実は半分くらい違うものが入っているんじゃないかと思うんです。
── 最後に、著書のタイトルにもあるように「気楽なつながりの作り方」をする上で、まずここから始めるといいよというアドバイスをいただけますか。
人間関係で苦しくなったら、まず相手を見過ぎないようにするのがいいです。この人、嫌だなと考えている時って、相手に固執しすぎているというか、心の距離がかなり近くなっているんですよ。ムカつくとか言いながら、嫌いな人のSNSを何度もチェックしてしまうことってありますよね。そんな時は思い切って相手を見ないほうがいい。心の距離を離すんです。そうやって時間が経つと、怒りとか嫉妬の気持ちって、自然と忘れてしまいますから。気楽なつながりを作るには、まず気持ちを離すことが大事だよということは、皆さんにお伝えしたいですね。
<取材後記>
「私は私。あなたはあなた」。鶴見さんが思い描く、気楽な人間関係の理想像には、自分が自分であること、他人が他人であることを、お互いに尊重し合うという、つまり「異なることを肯定する」考えがベースにあるように感じられます。誰かに依存したり、誰かに支配されたりと、一方通行な人間関係は息苦しさを生む。だからこそ人間同士の距離を離し、相手の「個」を認め、対等な立場からお互いを思いやる、双方向的な関係性を築こう、と。
「人間関係を半分降りる」ことは、決してドライな人間社会にしようという提案ではなく、むしろ人に優しい社会を実現するための、新しいステップと言えるのかもしれません。
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執筆小野和哉
編集武田明子+都恋堂