教室から席がなくなるのはイヤ──「ともに学び、ともに育つ」大阪府独自のインクルーシブ教育、揺らぐ足元
障害の有無にかかわらず、全ての子どもが同じ教室で共に学ぶ「インクルーシブ教育」。共生社会を築く上で欠かせないものと国際的には考えられているが、日本の教育現場では、障害のある子どもの多くが障害のない子どもと分けられているのが現状だ。そんな中にあって、「原学級保障」という方式で「ともに学び、ともに育つ」環境を築いてきたのが大阪府だ。しかし今、日本でも希有な教育実践の現場が、文部科学省の一つの通知で揺れ動いている。(文・写真:ジャーナリスト・飯田和樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
障害児、健常児がともに過ごす小学校
阪急宝塚本線・岡町駅から東へ約700メートル。大阪の豊能地区を南北に貫く国道176号から少し路地を入ったところに、豊中市立南桜塚小学校がある。外見はなんの変哲もないが、校舎内に足を踏み入れると、他校ではなかなか見られないような光景を目にすることができる。
「ツバキちゃん、首ぃ」
3年4組の教室では、他の子どもたちと同じ目線の高さになるように調整された特製のいすに座った女の子がいた。首が傾いているのを見た後ろの席の児童が立ち上がり、「あかん、ちょっと眠そうやな」などと言いながら、無造作に首をグイッと直す。ほかの児童は特に珍しくもないといった様子で、国語の授業を受け続けている。
女の子は前川椿さん(9)。国指定の難病「ウエスト症候群(点頭てんかん)」という病気で、重篤な脳神経障害がある。歩くことはできず、移動は子ども用のバギー。食事はチューブで直接胃に水分や栄養の一部を注入する「胃ろう」の医療的ケア児だ。毎日学校に通い、市派遣の介助員一人の付き添いを受けながら教室で授業を受ける。話すことはできないが、顔の表情で自分の感情を伝える。楽しい時は笑い、嫌なことをされた時には泣く。
南桜塚小学校には、さまざまな障害を持った児童が在籍し、通常学級で授業を受けている。
3階の音楽室に行くと、全盲の津田愛土くん(9)が授業を終え、2階にある4年2組の教室に戻るところだった。クラスメイトがなれた感じで愛土くんと腕を組み、階段を2人で笑いながら駆け降りる。時折ほかの児童とぶつかるが、2人もぶつかられた児童もお構いなしだ。
愛土くんの担任、長尾佳苗さん(25)は「何かしてあげているとか、してもらっているとか、そういう感じじゃない。特別、手を出し過ぎることもないし、愛土くんもできることは自分でやる。普通のクラスメイトなんですね」と話す。
愛土くんは、給食当番や掃除当番、日直なども普通にこなす。愛土くんの母、美穂子さん(46)は、愛土くんを地元の公立小学校に通わせることにまったく不安はなかったという。
「私自身、この地域で育ちました。小学校に行ってたのは40年ぐらい前ですが、その頃からクラスに脳性麻痺とか聴覚障害のお友達がいて、一緒に育つのが当たり前。だから(愛土が)南桜塚に行くのは当然と思っていました。地域にたくさんの友達を作っていくことが彼の力になるんですから」
ある授業で先生から「あなたの持ち味はなんですか」と聞かれ、愛土くんは「持ち味は全盲です」と答えたという。
「4年生の男の子らしく、たくましく育ってます」
美穂子さんは目を細める。
校長の橋本直樹さん(63)と訪ねた6年4組の教室では、木野翔太くん(11)が胃ろうによる給食を終えたところだった。翔太くんは、先天的に皮膚がのびやすかったり、関節が柔らかくなったりする「エーラス・ダンロス症候群」という病気で、食事や歩行に困難を伴う。気管切開もしている。
近くにいた女子児童が橋本校長に「なんで写真を撮ってんの?」とたずねた。橋本校長が「翔ちゃんがみんなと一緒にいるのが珍しい、って言って取材に来たんやで」と答えると、その女の子は怪訝そうに話した。「どこが珍しいの? ずっと一緒にいるのに」
翔太くんの母、美奈さん(42)は南桜塚小学校のうわさを聞いて、翔太くんが保育園に通っている時に、他市から豊中市に引っ越してきた。「その選択は本当に間違いじゃなかった。友達の翔太への接し方が自然で、本当に素敵。学校での様子が当たり前すぎて、障害児とか健常児とかいうのを忘れてしまう」
「原学級保障」という大阪府独自の教育
「大阪府においては、これまでも、『ともに学び、ともに育つ』教育を基本とし、障がいのある児童・生徒等の自立と社会参加をめざす教育を推進してきました」
大阪府教育委員会が作成した就学相談・支援ハンドブックにある文章だ。この「ともに学び、ともに育つ」教育を可能にしてきたのが、「原学級保障」という大阪府独自のやり方だ。
大阪の教育関係者は、支援学級に対して通常の学級を「原学級」と呼ぶ。公立小中学校の多くで、支援学級に在籍する児童・生徒も、障害のない児童・生徒とともに原学級で学んでおり、出席簿にも50音順で名前がある。この方式を原学級保障と呼ぶ。
紹介した南桜塚小学校の3人の児童はいずれも支援学級在籍だが、同級生と一緒に通常学級で授業を受ける。現在、彼らを含め、「弱視」「知的障害」「自閉症・情緒障害」「肢体不自由」「病弱身体虚弱」にあてはまる児童47人が9つの支援学級に在籍するが、いずれも通常学級で学んでいる。
さらに、「支援担」と呼ばれる支援学級の担任や介助員たちが、在籍児童の状況や授業内容に合わせ、教室に入ってサポートする。「入り込み」と呼ばれ、大阪府の教育現場では比較的スタンダードなやり方だ。
南桜塚小学校の支援担の1人で、6年前にギラン・バレー症候群を発症し、車いすユーザーとなった中田崇彦さん(47)が説明する。
「今年の場合、全ての学級に入り込みをしています。そのために『どの支援担が、どの時間に、どの子の教室に入るか』という細かいパズルのような時間割を組んでいます。その時間割は一度組んだらおしまいというのではなく、1人ひとりの子どものその日の状況などに応じて、その都度調整しています。支援担の教職員どうしの連携を大切にし、さらに学級担任とも日々話し合って、いろいろ悩みながら、どの子も通常学級でともに学べるように取り組んでいます」
世界に先駆けたインクルーシブ教育の萌芽
なぜ大阪では独自のインクルーシブ教育が行われているのか。その源流は1970年代にある。差別解消を目指す人権同和教育と障害者解放運動が大阪で出合い、強く結びつく。障害のある子どもも分けずに一緒に学ぶことが、障害者解放運動にもつながるし、人権同和教育の考え方とも一致するのだ、と。
教員生活約40年になる校長の橋本さんは「50年かけて築いてきたもの」と語る。
「豊中でもかつて養護学級(現在の支援学級)は拠点校方式で、設置校に障害種別ごとに集められ、バスや電車で越境通学していた。でも、そこで親が『なんでうちの子は、目の前の学校行かれへんの?』と声を上げた。それに気づいた先生たちも『親だけに任せておいてもええんか』と運動を始めた。その結果、1978年にできあがったのが『豊中市障害児教育基本方針』です。2016年には、障害に対する考え方が時代とともに変化してきたことに対応するため、改定版も制定されました。これがある限り、通常学級での学びを保障する豊中の教育は崩れない」
こうした動きは周囲に広がり、やがて大阪府では「ともに学び、ともに育つ」教育が基本となる。1994年にスペイン・サラマンカで開かれた「特別ニーズ教育世界会議」(ユネスコ、スペイン政府共催)で採択された「サラマンカ宣言」が、インクルーシブ教育を国際的に明示した初めての文書とされているが、それより20年も前から大阪ではインクルーシブ教育の萌芽があった。
南桜塚小学校の長尾さんや中田さんは、このような教育環境下で育った。1970年代に出た芽は、しっかりとした幹を持つ木に成長したといえるだろう。
障害児の席消える? 国通知に危惧
しかし、この木が根元から切られるのではないか、と危惧されるような出来事が2022年度になってまもなく起こる。それが、文部科学省が4月27日に出した「特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について」という一つの通知で、支援学級の児童・生徒は「授業時数の半分以上」を支援学級で学ぶこと、という内容だ。
文科省はこの通知の目的を「インクルーシブ教育推進のため」としている。支援学級にいる子どもが通常学級で学べているのであれば、籍も通常学級におけばインクルーシブになるとの主張だ。しかし、これを文字通り解釈すれば、大阪の原学級保障は成り立たない。「入り込み」のようなサポートがあるからこそ通常学級で学べていた障害の程度が重い子どもは、大半の時間を支援学級で分けられて過ごすことになる可能性が高いためだ。保護者や学校関係者の多くは不安を募らせる。
枚方市に住む小林葵さん(36)もその一人だ。小2の長男にはダウン症があり、支援学級に在籍しながら、「原学級保障」の下、通常学級で学んでいる。その小林さんに、文科省通知を受けた枚方市教育委員会の方針を示すプリントが学校経由で届く。5月末のことだった。
「今学期中に通常学級か支援学級かを選んでください、という内容でした。1年生からずっと支援担の先生に『入り込み』をしてもらいながら、みんなと一緒に学んでいた。もし、この通知通りとなると、週の半分以上を特別支援学級で過ごすことになります」
その後、枚方市では来年度からの実施については見送られたものの、文科省通知に沿う形で進めていく方針に変わりはないという。小林さんは言う。
「週の半分以上を支援(学級)で過ごすということは、クラスにいる時間が他の子の半分以下になるということです。休み時間も別になったり、教室から座席やロッカーもなくなったりするかもしれない。そうなったらすごくイヤです。通常学級で過ごす時間も、クラスの『お客さん』になってしまうのでは、と危惧しています」
枚方市と豊中市は大阪府の中でも「ともに学び、ともに育つ」教育を引っ張ってきた自治体だとされる。インクルーシブ教育や大阪の原学級保障に詳しい関西学院大学の濱元伸彦准教授は、文科省の通知について「大阪の原学級保障のしくみを狙い撃ちしたもの」と指摘する。
「日本の中でも希有な実践、そして国際的に見てもインクルーシブな教育実践が大阪にはある。それは日本が今後、障害者権利条約に則してインクルーシブ教育を進めていこうとした時に、一つのモデルとなるものです。国際的に通用するものを根絶やしにして、新しく作り出すのは時間の無駄だと思います」
「障害者を分離する社会につながる」 当事者らの危機感
文科省通知から4カ月近くが経過した2022年8月、国連・障害者権利委員会による日本の障害者政策の審査がスイス・ジュネーブであった。日本が2014年に批准した障害者権利条約に基づいて初めて行われた審査だ。委員会は翌月、障害のある子どもを分離する特別支援教育をやめることなどを勧告。文科省通知についても「撤回」を強く要請した。
審査では、日本政府の報告だけでなく、障害者団体など民間の9グループが提出した「パラレルレポート」の内容も吟味された。このパラレルレポートで文科省通知の問題を訴えたのが、障害者が地域で普通に生活できるようなサービスを提供する豊中市の自立生活センター「CIL豊中」の上田哲郎さん(46)だ。
新生児期の核黄疸で脳性麻痺になった上田さんは、小2までスクールバスで養護学校(現在の特別支援学校)に通っていたが、小3から地域の公立小学校に入った。1980年代に地域の友達とともに学び、ともに育ってきた、大阪の原学級保障の申し子ともいえるだろう。
上田さんは2年間の養護学校時代について「1クラス3人で、クラスメイトに同じ市の子はいない。先生と話すことがほとんどで、子ども同士でやり取りする経験が不足していた」と振り返る。地域の小学校に通い始めた直後は、あまりの環境の違いに適応できず泣きじゃくっていたが、じきに慣れたという。「養護学校時代は放課後に遊ぶ環境はなかったけれど、放課後も友達が近くにいるので、みんなと遊べた。子どものルールを知ることができた」と思い出を語る。当時の友達とは今でも付き合いがある。
そんな上田さんにとって、原学級保障を崩しかねない文科省通知は、許せるものではないという。「支援を受けながら、通常学級でほぼすべての時間を過ごしてきた私にとっては、これまでの人生すべてを否定されたようなものです」と語気を強める。
しかし、この勧告の4日後、永岡桂子文部科学大臣は閣議後会見で「通知はインクルーシブ教育を推進するもので、撤回を求められたのは遺憾」と述べた。
上田さんがジュネーブで意見交換した委員の一人は「障害者を分離する学校は、そのまま障害者を分離する社会につながる」と話したという。上田さんは言う。
「文科省が『遺憾だ』と言っても、地域で育つことの意味を大阪の先生たちや子どもたちは知っている。一緒に過ごすことでしか、理解は広まりません。広まるわけがないと思う。『共生社会の推進』というのであれば、これからも原学級保障をしていかなあかんのです」
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