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「日本は女性医薬の審査がなかなか通らない」 なぜ経口中絶薬は日本で35年も遅れたのか #性のギモン

Yahoo!ニュース オリジナル 特集

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日本で承認された経口中絶薬「メフィーゴパック」(写真提供:ラインファーマ)

今年4月28日、厚生労働省は「飲む中絶薬」を承認した。妊娠初期に使う薬で、日本で初めて使用可能になった。1988年にフランスで承認され、現在65カ国・地域以上で使われている。だが世界で初めて承認されてから日本での承認までに「35年」もかかった。なぜなのか。製薬企業、現場の医師、厚労省、そして薬を求めてきた女性たちを取材。日本では開発や市場化が検討されるたび、立ち消えになっていたことが新たにわかった。(文・写真:ジャーナリスト・古川雅子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

独自に行った28人への取材をもとに、3回シリーズで「35年の真相」を追う。第1回の本記事では、承認までの障壁を調査した。

「女性の怒りがようやく実を結びました」

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5月16日に開催されたラインファーマの記者向け勉強会

「思い起こせばいろいろ困難はありました。今は喜びでいっぱいです」

今年5月中旬、都内で開かれた記者向けの勉強会。国内初となる経口中絶薬の製造販売が承認された2週間後のことだ。マイクの前に立ったラインファーマ(東京都港区)の北村幹弥社長はこう語った。

複数の女性団体が、承認前から関係省庁に要望書を繰り返し提出。審議前に厚生労働省が募ったパブリックコメントに集まった意見は、約1万2千件に達した。薬事関連では通常の100倍以上にあたるという。賛成の意見が反対の倍に上った。承認のニュースが飛び込むと、SNSには、「女性の怒りがようやく実を結びました。長かった......」などと声があふれた。

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(図版:ラチカ)

この薬「メフィーゴパック」は2種類の薬を組み合わせて使う。胎児の成長を止める一つ目の薬を服用後、36~48時間後に子宮の収縮を促す二つ目の薬を口の中に30分間含んだ後に飲み込む。すると子宮の内容物とともに胎嚢が排出される。つまり「飲むだけ」で中絶が完了する。中絶薬が女性たちに求められてきたのは、外科的な施術が必要なく、より心身の負担が少ないからだ。

鍵になるのが、一つ目の薬だ。「ミフェプリストン」という。この薬の認可が下りた国では日本は世界でもっとも遅い部類だ。1988年にフランス、1991年にイギリス、1999年にドイツ、2000年にアメリカと、先進国なら20~30年以上前の出来事だ。途上国でも広く認められてきた。

なぜ日本では遅れたのか。

日本では長い間、「掻爬法」が一般的

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「掻爬法」という中絶手術に使う器具。左のトング状の鉗子(かんし)で子宮内容物を除去し、右のスプーン状の器具で掻き出す

日本における中絶件数は、戦後もっとも多い時で117万143件(1955年)。その後は43万6299件(1991年)、20万2106件(2011年度)......と減少傾向だが、今も12万6174件(2021年度)ある。中絶の方法は日本では戦後からあまり変わっていない。妊娠初期に行う中絶は、「掻爬(そうは)」と「吸引」という手術法で行ってきた。

その医師はスプーン状の手術器具を持った右手を前に出し、押し込むようなしぐさで説明した。

「これを子宮に入れ、子宮の内膜をガリガリッてやるんです。習った時、内容物を残さないよう『ガリガリする感覚がわかるぐらいまでやれ』と言われました。でも、下手な人がやると、子宮に穴を開けてしまったりします。数多く実施している医師は大抵経験しています。盲目的手術と言って、おなかを開けずに見えない状態で操作をするからです」

関東の都市部でクリニックを運営するベテラン医師が語ったのは、子宮内に金属製の器具を挿入して内容物を掻き出す「掻爬法」という手術だ。

もう一つのやり方は、プラスチックあるいは金属のストロー状の器具で、吸引口から子宮内のものを吸い出す「吸引法」だ。

「ただ、吸引法を厚生労働省が推奨したのは最近のこと。日本では長いこと掻爬法が一般的でした」

日本では掻爬単独は3割弱、吸引との併用も含めれば約8割と、掻爬はいまだ高い比率だ。

経口中絶薬が承認されている国では比率がまったく異なる。経口中絶薬を使う方法が選ばれている比率は、フィンランドで98%、イギリスで87%(ともに2021年)だ。選択できる場合、多くの女性は経口中絶薬を選んでいることがわかる。

日本の産婦人科医や製薬業界は知らなかったわけではない。それどころか、日本の産婦人科医は、中絶薬そのものには40年以上前から注目していた。

1980年代から注目されるも、日本では導入されなかった

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1986年11月、受胎調節法の進歩に関するシンポジウム。ここでも日本の高名な産婦人科医が中絶薬(Prostaglandins and Antiprogesteron)に関する講演の座長を務めていた

1978年、東京大学医学部教授(当時)が学会誌で子宮収縮などを起こせる薬の候補を使った海外の研究事例を紹介し、「妊娠初期」の中絶薬に使える可能性を示唆した。また、「妊娠中期(妊娠12~22週)」中絶への応用にも言及している。

だが、産婦人科医の一部から反対の声が上がった。1982年に掲載された週刊新潮の記事によれば、「妊娠初期」の中絶薬の導入は「性道徳の乱れに拍車をかける」「専門医が手術するほうがよい」との声もあったという。結局、この薬は1984年に小野薬品から「妊娠中期」の中絶薬(膣内に挿入する坐薬)として製品化された。中期中絶は、中絶全体で1割に満たない。

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中絶問題に取り組む研究者で、金沢大学非常勤講師の塚原久美氏(写真提供:本人)

日本が先駆けていた上述の薬は、単独の中絶薬としては世界の関心から外れていく。1988年に経口薬の「ミフェプリストン」がフランスで承認され、広がっていったからだ。この薬は妊娠のごく初期までに使うものだった。

中絶問題に長く取り組んできた研究者の塚原久美氏は、世界でも日本でも女性たちが求めてきたのは自分一人で「中絶できる」薬だったと話す。

「妊娠初期に経口薬を飲めば、自然流産と変わらない形で妊娠を終わらせられます。痛みは個人差が大きいですが、たいていの人は耐えられる程度だと言っています。ところが、日本の女性たちはこの選択肢が持てなかった。日本にはこれまでこの薬が導入されなかったからです」

産婦人科医向けの会報誌「メディカルファイル」(日本家族計画協会編)のバックナンバーを確認すると、1986年と1987年には、日本で開催された国際シンポジウムで初期経口中絶薬が取り上げられていた。2000年には国会で参考人がこの薬の認可を求める陳述もあった。

その陳述とは、参議院の共生社会に関する調査会に参考人として招聘された津田塾大学の金城清子教授(当時)によるものだ。最近米国でも認可されたとして、こう述べている。

<中絶ということで医療的な、外科的な手術を受けなければいけないというのは女性にとって大変負担ですし、健康にも経済的にも大きな負担になります。そういう意味で、お薬を飲めば中絶できるんだというお薬があるわけですので、そういうものについても認可していく必要があるのではないかというふうに考えております>

日本以外のG7の国々でこの薬の承認が完了した2000年に至っても、日本では表立って製薬企業が動き出した形跡はなかった。

個人輸入が増加。需要はあっても認可は下りず

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2004年10月、厚生労働省医薬食品局から関係各所へ、経口中絶薬の健康被害事例の収集も行われた

2004年9月、地方紙の見出しにこんな文字が躍った。

「『のむ中絶薬』問題に/国内未承認、ネットで入手/厚労省が被害調査」

その他、子宮外妊娠による出血などいくつかの事例が報じられた。インターネットが広がるなかで、個人がネット経由で情報収集し、海外から購入する人たちが増えていたのだ。

これに警告を発したのが厚労省だった。2004年10月に行政文書で通達を出した。しかも、「原則として、医師の処方に基づくことが地方厚生局で確認できた場合に限って」と個人輸入の制限も付いた。

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日本家族計画協会会長で同協会市谷クリニック所長の北村邦夫氏

当時、監視指導・麻薬対策課の課長補佐だった光岡俊成氏は「あの頃は個人輸入が広がっており、ちまたに流布する薬から問題のありそうなケースについては、我々薬剤師の資格を持つ担当官がネットを含めあらゆるルートから監視していました」。また、同課の課長だった南野肇氏は、「少なくとも、他部署や外部からの働きかけがあって特別対応したという記憶はないですね」と述べた。2004年の通逹は、「日常の業務の一環」で出されたもので、中絶に反対する勢力や団体などの影響で警告を発したわけではないということだった。

個人輸入の動きまであるのに、なぜ正規で薬を届ける動きが出なかったのか。日本家族計画協会市谷クリニック所長の北村邦夫氏は、こう指摘する。

「安全だけれど、不正に使うのが問題だったわけです。個人輸入の動きが出た時に製薬会社から中絶薬の申請が出されて、なおかつ専門家集団が推していれば、認可のスピードを早めることもできたはずですよね。だって、男性薬のバイアグラ(勃起不全治療薬)では『個人輸入は危ない』と指摘されて、申請から半年ほどで認可が下りたんですから」

1990年代後半から2000年代前半にかけては、中絶の総数は減っているのに対し、年代別でみると、20歳未満の中絶率が増え続け、10%を超えていた。少なくとも需要があり、ネットで探す人たちもいた。

日本でも何度か市場化の動きはあった。

「日本の社会は女性が使う薬に理解がない」

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東京大学病院産婦人科の大須賀穣教授

メフィーゴパックの治験責任医師を務めた東京大学病院産婦人科教授・大須賀穣氏は、20年ぐらい前から導入したいと考えていたと語った。

「日本に中絶薬が導入されてもよいのではないか、一日も早く導入できないかと。海外では世界標準と考えられているにもかかわらず、日本でそれを選択して使えないということに、非常に矛盾を感じていたわけです」

まず10年、20年前までは、「経口中絶薬」という言葉そのものに、多くの産婦人科医から抵抗があったと大須賀氏は言う。

「私が開発に関わるということを周囲の教授や一般の医師たちに話した時に、『なぜ権威のある立場の人が中絶薬の開発に加わるのか、本当に加わっていいのか』と。少し懐疑的な目で見られたこともあります」

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イギリスの製薬会社ラインファーマの役員を務め、日本への導入を担当していたマリオン・ウルマン氏(写真提供:本人)

取材を進める過程で、今回のラインファーマの承認申請より前に、少なくとも2回、市場化を検討していた時期があることがわかった。開発直後の1989年頃と2010年頃だ。

1989年には、「日本ルセル(現サノフィ)」がミフェプリストンの国内での開発を検討したことがあったという。当時、日本ルセルに勤めていた元社員にメールを通じて取材した。その回答によれば、経口中絶薬の開発計画はあったが、中絶に反対する運動など「社会的要因」により計画は立ち消えになったという。その「社会的要因」についても詳しい説明を求めたが、「女性団体などによる反対」という回答だけにとどめ、詳述は拒んだ。

2010年頃の動きの鍵を握るのが、ミフェプリストンの開発者であるアンドレ・ウルマン博士だ。ウルマン博士は日本への導入の可能性について、日本の医療者に接触してはヒアリングを行っていた。だが、「日本の製薬企業は関心が薄く、導入は全然うまくいかなかった」という。

そう証言したのは、アンドレ・ウルマン博士の娘、マリオン・ウルマン氏だ。彼女は今年3月までラインファーマの役員を務めていた。5月、カナダ在住のマリオン氏にオンラインで話を聞いた。

マリオン氏もその後は父同様、日本で何十社にも協力を呼びかけたが挫折続きだったと振り返る。

「中絶に対して人々の受け止め方は複雑です。ですから、まずは製薬企業自体が『この薬が女性たちに必要なんだ』と関心を持たないと始まらない。さらに治験を組み上げるには、日本の産科医たちにも粘り強く働きかけて協力を取り付けなければなりません。でも、市場も小さいうえ、莫大な治験コストをかけてまで熱心に取り組もうとする製薬企業は現れませんでした」

マリオン氏は、日本の関係各所にあたるなかで、女性が使う薬への理解が日本社会にないことに気づいた。その社会の空気感も欧米の製薬企業を遠ざけたのではと指摘する。

「日本では女性医薬の審査はなかなか通らないと、欧米の製薬業界みんなが思ってますよ。父は日本に緊急避妊薬も導入しているのですが、承認されたのが1999年。それまでに11年かかっているのです。少なくとも私は、父が経営していた別の会社が緊急避妊薬の認可を得るまでは、日本に中絶薬を導入するのは難しいだろうなと思っていたんです。避妊薬の導入が終わったら中絶薬へと、一つひとつ進めなければならなかったわけです」

承認後もまだ乗り越えるべき壁がある

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(図版:ラチカ)

結局のところ、ウルマン博士が経営するイギリスのラインファーマ本社が、日本の製薬企業2社に依頼する形で開発が始まったのが2014年。その段階では、日本における中絶件数は20万件を割っていた。薬剤の対象人数が十数万人で1回の使用で終わる。ということは、頭痛薬のように繰り返し使う薬とは異なり、平たく言えば「もうけにならない」。製薬企業の関係者は「対象疾患数が少ない希少疾病用医薬品とそれほど変わらない規模感だ」と話す。

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ラインファーマの北村幹弥社長

日本の治験の厳格さも立ちはだかった。非臨床試験(動物実験や試験管内試験)に加えて、ヒトを対象にして行う臨床試験も含めれば12種類の試験を求められた。マリオン氏は「そのほとんどの試験は、海外では一切要求されなかった」という。

最終的には、2020年にラインファーマが日本法人を設立する形で12種類の試験をやり遂げ、2023年4月の承認にこぎつけた。日本法人の北村幹弥社長は、最終段階の試験(第3相試験)は「少なくとも最初の段階の第1相試験の10倍のコストはかかっている」と打ち明ける。ウルマン博士が日本での導入を検討してから10年余。第1相試験開始からは8年の歳月を費やしたことになる。

北村氏は、困難を引き受けてでもこの薬を日本で出したかったと語る。

「日本の女性医薬の後進性をどうにか変えていかなければという思いでした。私は別の製薬企業の開発責任者としてスウェーデンにいた経験があるのですが、現地では私の上司も女性。日本の女性は、ジェンダーギャップ指数もさることながら、世界の女性医薬からも取り残されていると危機感を覚えていました。今回の日本での開発も頓挫しかけたことがあり、『ここで諦めたら、もう二度とこの薬剤は日本に入ってこないだろう』と思い、なんとかゴールまで持ち込みました」

だが、北村氏は声のトーンを低くし、こう訴える。

「まだこの薬には、世界標準とは異なる使用方法、使用条件がついています。日本の女性にとっても世界標準となるには、乗り越えるべき壁があるのです」

北村氏が問題だと訴える「使用方法、使用条件」は、薬へのアクセスと薬価の問題に結びつく。7月23日時点で薬を扱う医療機関は34カ所。中絶手術を行う指定医師のいる施設は全国に4176カ所はある(2019年)が、その1%にも満たない。「自分たちの知らないところで話し合われていた」とマリオン氏が不信感を抱いている点だ。

この薬は製薬会社だけでは成立しない。もう一つ重要な存在がある。患者に面する産婦人科医の意向が大きかった。(第2回に続く)

古川雅子(ふるかわ・まさこ)

ジャーナリスト。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障がいの当事者、医療・介護の従事者、イノベーターたちの姿を追う。「AERA」の人物ルポ「現代の肖像」に執筆多数。著書に『「気づき」のがん患者学』(NHK出版新書)など。

元記事は こちら

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