10分の「手術」と8時間待つ「飲み薬」 医会が経口中絶薬の導入に消極的な事情 #性のギモン
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1988年にフランスで承認された「飲む中絶薬」は、今春、日本で承認された。だが、現在でも全国で取り扱っている施設はわずか34カ所(7月23日時点)。なぜ35年も承認に至らず、今も普及しない状況にあるのか。複数の医師は「日本産婦人科医会(医会)」の影響を口にした。「掻爬(そうは)」であれば、10分の手術で約10万円。経験に基づく安全性のもと、女性の心身は配慮されてこなかったのではないか。医師や医会、薬事政策に関わる政治家らに聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・古川雅子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
独自に行った28人への取材をもとに、3回シリーズで「35年の真相」を追う。第2回の本記事では、中絶を行う医師や医会が経口中絶薬を長年扱おうとしなかった理由を取材した。
「時間がかかって仕事を休んでも薬を選びたい」
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JR田町駅近くの婦人科クリニック。5月末の早朝、一人の女性が訪れた。女性が院内で服用したのは、飲むだけで人工妊娠中絶ができる経口中絶薬「メフィーゴパック」だ。
この薬は、まず「妊娠の進行を止める」1剤目を医師の前で飲む。36~48時間後、再び受診して「子宮の収縮を促す」2剤目を飲む。すると、胎嚢が排出される。
ここ、フィデスレディースクリニック田町は、日本で初めてこの薬が納入された医療機関だ。
現状では投薬に条件がつく。一つは「有床」の病院や診療所限定であること。もう一つは、2剤目を服用して胎嚢が排出されるまで「入院」または「院内待機」することだ。そのため、フィデスでは2剤目を飲むタイミングを朝早くに設定している。院長の内田美穂さんが言う。
「うちでは排出までの目安を8時間としています。ただ、朝方いらした方は、夕方までに排出できるよう念を入れたいと。私も頑張って早起きしています」
フィデスでは受診者に、手術による中絶方法と経口中絶薬との2つの選択肢を提示。10人のうち9人が薬を選択したという。
「1人は時間的に拘束されるのは......と手術を選びましたが、あとは全員が薬がいいということでした。『時間がかかって仕事を休んででも、薬を選びたい』という声もありました」
だが、全国でこの薬を導入している医療機関は取材時点ではフィデスを入れて5カ所、7月23日の時点でも34カ所、17都府県にすぎない。
なぜこれだけしか使われていないのか。取材を進めると、医療機関が受診する女性の意向に配慮してこなかったことがわかった。
掻爬法であれば自由診療で10万円程度、手術は10分
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厚生労働省が中絶の手法に関して、掻爬法ではなく吸引法を周知するようにと通達を出したのは2021年と最近だ。2012年の世界保健機関(WHO)の手引を引いて、掻爬法は「女性にとって相当程度より苦痛をもたらす」とした。
2012年の日本産婦人科医会の調査によれば、日本では妊娠初期(妊娠12週まで)の中絶手術のうち、掻爬法が3割、吸引法が2割、それらを併せたやり方が5割だった。
都内で長くクリニックを営むベテラン医師は、どちらの手術も短時間だと言う。
「掻爬であれば10分間、慣れた人なら5分間くらいです。中絶を主に手掛けるクリニックでは、1日5~6件、月に100件以上こなすところもあります」
中絶は自由診療。昨今は都市部で安い料金のクリニックも出てきているが、一般的には掻爬法で10万円程度、吸引法で12万~15万円程度が相場だ。
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ただし、人工妊娠中絶の実施は、母体保護法14条で規定された「公益社団法人たる医師会の指定する医師(指定医師)」に限られる。主にこの指定医師たちが所属するのが、日本産婦人科医会、通称「医会」だ。1万1769人(今年3月末時点)の会員を擁する。
取材のなかで、医会は経口中絶薬の導入に「ずっと後ろ向きだった」との声を複数聞いた。
東京都内のベテラン指定医師は、文書を通じてこう回答した。
「もし薬剤代が数百円になった場合、『収入がなくなる』イメージです。日本では、相談やカウンセリングが無料と思われており、保険点数もつかないので、医師はこれを臨床でできません」
別の指定医師は、現在は経営方針として中絶は受けつけていない医療機関もあります、としたうえで、それでも薬が中心になったら医業への影響は大きいでしょうと話した。
「中絶は掻爬でも吸引でも、10分の手術で10万円前後、1日に5件行えば50万円になります。それが薬剤での対応になった場合、薬剤のお金と診察費用だけになってしまう」
不穏な動きも聞く。6月中旬、経口中絶薬を採り入れた産婦人科医から、悲鳴に似た声が上がった。
「保健所からうちの診療所の運用にチェックが入りました。誰か、同業の医師から『経口中絶薬で問題が起きていないか』という問い合わせが保健所に入ったとのこと。一つでも経口中絶薬によるミスを見つけようとしているように思えます」
このように医業の観点から、現場の指定医師には薬の導入に前向きになれない背景もある。では、指定医師の職能団体としての医会は、経口中絶薬にこれまでどんな視線を向けてきたのか。
「世界に誇るぐらい安全に手術をやっている」
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医会には、医会での主な協議などの活動報告が掲載される「常務理事会の主なる協議・報告事項」という文書がある。その約30年分の文書を調べたところ、経口中絶薬導入に向けた議論の記述は2013年までなかった。
初めて出てくるのは2013年2月。医会・常務理事会の協議事項には、<RU486(ミフェプリストン)に関する件(政策)>とある。
医会によれば、経口中絶薬の対応策を検討するよう厚労省から呼びかけがあったという。それを受け、2013年8月、医会内で検討部会を開催。「経口中絶薬に対する考え方」がまとめられた。これが経口中絶薬に関する医会の最初の動きだった。
医会の事務局にも確認すると、それまで「日本への導入を積極的に働きかけたことはなかった」という。
なぜ医会は採り入れようとしなかったのか。医会の現会長である石渡勇氏に取材した。
石渡氏は、自分たちの掻爬や吸引という手法が経口中絶薬よりも安全だと語った。
「初めから、日本は世界に誇るぐらい安全に機械的中絶処置(手術)をやっていますから」
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製薬会社関係者への取材では、日本の医会が経口中絶薬に関心をもっていなかったことが開発に踏み切れなかった要因だった。治験を担当する会社に対して医会が専任の人員を配置したのは2018年。石渡氏もそれについて否定しなかった。
「私たちが製薬会社に導入を強く言わなかったということも(影響が)あるかもしれない」
では、世界各国で承認が進むなか、日本はなぜ早くに経口中絶薬に取り組まなかったのか。石渡氏は簡単に中絶できること自体に否定的な考えが日本社会にあったと答えた。
「日本では中絶に関して皆さんがよしとしていない。反対する人もいる。結婚前に妊娠すること自体がおかしいという声もある。日本は非常に慎重だったというのがありますよね」
石渡氏は、医会の指定医師たちの医療技術の高さについて繰り返し語った。その一方、掻爬や吸引で女性がどう感じるかという心理面の話には触れなかった。
「女性への配慮が足りなかった」理由は
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イギリスでの1997年の研究では、女性自身が中絶法を選択する際の「受け入れやすさ」を調査している。また、カロリンスカ大学病院の研究者の話では、スウェーデンでは薬による中絶を選択した女性に、「使い心地」をアンケートし、集計も行っているという。
日本の医会ではそうした調査は行われてこなかった。医会へ問い合わせると、〈「女性の使い心地」や「受け入れやすさ」といった視点で調査する予定はありません〉と文書で回答があった。今後も聞く意向はないということだ。
なぜ医会は女性の意向について関心を持とうとしないのか。医会副会長の前田津紀夫氏にその点について尋ねた。前田氏は、女性の意見が反映されにくかった事情をこう語る。
「2013年に医会内部で初期中絶薬に対する考え方を議論した時も、話し合った7~8人に、女性の委員は1人しかいなかった。今も、医会会員のざっと半分以上は50代以上で、男性が多い。そういうところに女性への配慮が足りなかったという反省はあります」
そうした配慮の乏しさは、現在の経口中絶薬の運用にも通じている。WHOの新ガイドライン(2022年発表)では「経口中絶薬は妊娠9週より前なら自宅で服用できることがある」と明記。海外ではその場合、「自己管理責任のもと自宅で服用」としている国もある。日本では医療機関での服用が前提。それも無床診療所は許可せず、当面有床の病院や診療所に限るという形で運用が始まった。
ある指定医師は、それが現在も普及を阻む要因になっていると話した。
「日本での人工妊娠中絶の6割は無床診療所で行われています。現在の条件が続くなら、経口中絶薬は広がらないでしょう」
なぜ条件がついたのか。多くの人に聞くなかで、医会のある幹部は、中絶薬の運用が厳格化した経緯について、宗教や保守的な政治家の影響を口にした。
「無床施設で使った場合、夜間の救急に対応できない施設が出てきてしまう。その状況を見極めるまでは有床の医療機関で使ってほしいと。厚労省は建前上そう言っていますが、実際はいろんな強い力、特に日本会議系の政治家の影響が強いと聞いています」
一方で、女性医薬の導入に関わりのある産科医からは、「避妊薬の時は、政治と宗教の影響を肌で感じることがあったが、中絶薬に限っては、直接感じる機会はなかった」という声も聞いた。
ならば実際、承認の遅れや使用条件の厳格化に、医会や政治家の影響はどれほどあったのか。
2021年の医会と政治家の動き
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医会役員の活動内容が記録されている「事業報告書」。2021年5月に目立った動きがあった。
〈5月15日(土)三原じゅん子厚生労働副大臣と経口中絶避妊薬について意見交換〉
この5日後、政界では、ある"議連"が発足していた。「地域で安心して分娩できる医療施設の存続を目指す議員連盟」。国会で経口中絶薬にまつわる質疑が集中的に行われていた時期だった。
資金的な支援はどうか。政治活動が盛んになると、政治献金が伴うことが少なくない。
医会がもつ政治団体「日本産婦人科医師連盟」の2021年の収支報告書を確認した。すると、上記議連に参加した議員を中心に、パーティー会費、および寄付金が支払われていた。時期は同年5月から12月までに集中し、議員側へ支払われた総額は300万円を超えていた。
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議連の事務局長、田畑裕明衆院議員(自民党)へは、パーティー会費が10万円、選挙区支部への寄付が計35万円。議連の幹事長、三ツ林裕巳衆院議員(自民党)の資金管理団体への寄付が10万円。ほかにもパーティー会費が複数の議員に支払われていた。多くが「安倍派」と言われる清和政策研究会の面々だ。さかのぼって3年分の収支報告書にも目を通したが、田畑、三ツ林両議員への献金は他の年には見られなかった。
報告書を精読すると、献金の実施とほぼ同時期に、医会幹部と厚労省との間で、中絶薬についての協議が重ねられていた。
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とはいえ、薬の承認は厚労省の承認審査を担当する部門が受け持ち、外部機関で薬の有効性・安全性に基づき承認の有無を判断する。1990年代に審査管理に関わった元厚労省の森和彦氏は、「かつて国会で随分議論されましたし、今は政治の横やりは承認の過程には入ってこないはず」と語る。
ならば、政治家がどこで影響力を及ぼすのか。
薬の承認後の運用は議員の意向が反映された
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二人の自民党議員に尋ねた。
田畑裕明議員は、今年4月12日の自民党の厚労部会・薬事小委員会で委員長を務めた。厚労省の薬事・食品衛生審議会で経口中絶薬の承認が検討される直前のことだ。
この薬事小委員会を経て、「厚労省側が経口中絶薬の運用に関する説明を硬化させた」と医薬専門紙が報道していた。「有床施設で外来や入院」という当初の説明が、薬事小委員会終了後には「入院可能な有床施設で入院または外来」と「入院」を強調する表現に変わったという。
この時のことを尋ねると、田畑氏は薬の承認後の管理体制は話題になったと語った。
「この薬は母体保護法上の指定医師が、薬の使用の管理をすることになっていますよね。使用後の報告も含めて、きちっと厳格にしなければいけないという指摘は(自民党内で)ありました」
一方、議連への参加や献金については、中絶薬政策との関連は否定した。
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議連で幹事長、また現在、衆議院厚生労働委員会で委員長を務める三ツ林裕巳氏は議連の主なテーマは2024年4月からの医師の働き方改革や「地域の産科医療施設の存続」のほうだと語った。
経口中絶薬について、三ツ林氏は「安易に広まってほしくない」という慎重な立場だが、承認について圧力をかけたことはないという。ただし、運用に関しては一部の議員の意向が反映されていると認めた。
「薬事小委員会では『縛りをかけて慎重にやりましょう』という方向に動いた。最初は全員入院を条件とすべきだという意見も結構あった。それが『いざという時は入院できる』という方針に落ち着いた。そこで有床施設でスタートすることになったんです」
三ツ林氏は元内科医。だからこそ厚生労働委員会にも属している。それでも「産婦人科医療に詳しかったわけではない」という。では、経口中絶薬の運用に関して具体的な助言をした人がいたことになる。誰だったのか。尋ねると、三ツ林氏の答えは明快だった。
「医会です。議員はしょせん専門家じゃない。医会の先生方の意向を十分に踏まえないと運用できないですよね」
話は政治の場を経て、また医会に戻った。
厚労省への要望書には「医療機関の収益性」への懸念も
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薬の承認後の運用については医会の意向が強く働いていたというが、医会の内部ではいつから議論されていたのか。
医会の事業報告書をあらためて検証していくと、ある"要望書"を見つけた。
日付は2013年9月25日。「経口妊娠中絶薬『RU486(ミフェプリストン)』に関する要望書」という文書。厚生労働省雇用均等・児童家庭局母子保健課長宛てと明記されている。
「母体保護法指定医が用いることが、大前提」「適応、方法、管理法と管理料など、薬剤の医学的効用から、使用上の留意点など、慎重に検討しなければならない」「使用方法や数回の受診の必要性」と今の運用要件につながる内容が記されていた。「医療機関の収益性」への懸念も訴えている。
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要望書を出したのは、昨春まで医会の会長を務めていた木下勝之氏だった。2021年の議連と医会との間をつないでいたのも木下氏だった。
であれば、運用について、そして、日本で導入が遅れた理由について、木下氏に聞く必要がある。
何度かの交渉を経て、6月中旬、木下氏は取材に応じた。木下氏が経営する都内の病院を訪ねた。
フランスで1988年に承認された経口中絶薬が、日本で今まで導入されなかった理由は何か。その問いに、木下氏は薬の存在は知っていたが、日本に導入する必要はないと考えていたと答えた。
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──なぜ必要ないと考えたのでしょうか。
「薬は90%で成功するというが、残りの10%の人は無効で手術が必要になります。日本の中絶手術が大事です。今も指定医師が麻酔をかけて、15分ぐらいで処置をして傷もなく安全にやっています。外国では手術が訓練されていません」
──2013年の時点で、要望書を提出して経口中絶薬に厳格な管理と運用を求めていますね。
「当たり前のことを言いました。医師には『安全に手術している。導入は必要ない』と言う人たちもいましたから。しかし、もう医学の進歩だと思いました」
──運用の条件が厳しいという声があります。
「私どもは責任を持ってやる以上、安全を期すわけです。問題点を示して、理解を促した上で選択肢を増やすことになります。ただ、どっちがいいかって言ったら、手術療法なら短時間で、寝ている間に終わるという利点もあります」
2004年、経口中絶薬を個人輸入で使う人たちが増えた際、厚労省はリスクを警告する通達を出した。そんな局面でも、医会の報告書には導入するような文言は記載されていなかった。この時に経口中絶薬を導入することを検討しなかったのだろうか。問うと、木下氏は「考えませんでした」と答えた。
「私たちが決めたところで、インターネットで購入し、使ってしまう人たちはいる。それは避けられません」
「望まぬ妊娠は絶対に起こります」
また、前田副会長も認めたように、医会は女性の心理について軽視してきたように映る。掻爬などの手術に抵抗を感じる女性もいるし、WHOも経口中絶薬を推奨してきた。木下氏はそれをどう受け止めるのか。
「WHOは、薬のほうが安全ですと言っています。しかし日本では、それに従う必要はないと思います。WHOは発展途上国の人たちの対応を主眼にして物事を進めています」
──先進国でもフィンランドで9割、イギリスで8割を超す女性が手術より薬を選んでいますが。
「国民性の違いもあると思います。問題は、例外的なことにいかに対応するかを考えなければなりません。患者さん方が困らないように、我々は手術を覚えることを勧めています」
──今回、中絶薬を扱うのは有床の医療施設に限るという制限された運用で導入されました。
「患者さんが帰宅してから出血して夜中に大きい産科を訪ねていくようになったら、『無床診療所の先生は、なぜ中途半端なことをするんだ』と言ってトラブルになる可能性もあります。従って、当面大きい施設に導入するのがいいという話になりました」
──誰からその意見が出たのでしょうか。
「治験が終わってから、医会と(日本産科婦人科)学会の担当者が議論して決めたことです。無床診療所の医師も、夜中に出血などで患者さんが来るのは困ると言っています」
取材は1時間強に及んだ。木下氏の考えは、石渡会長と同様、手術という「世界に誇る手段」があったからこそ、経口中絶薬の導入が必要なかったというものだった。それが導入の遅れに関わってきたことを示唆していた。また、手術の「安全」に傾くあまり、女性が受ける心理的な負担が深く顧みられていた様子でもなかった。
ただし、木下氏から悩ましい思いが漏れる場面もあった。母体保護法について言及した時だ。
「不本意なことでしょうが、望まぬ妊娠は絶対に起こります。母体保護法のポイントは、法の下で中絶が許可されたことです。法律の下で指定されたドクターがいかに安全に対応してあげるかが大事なのです」
では、その母体保護法自体は、今の時代にふさわしいのか。その点も考えてみたい。(第3回へ続く)
古川雅子(ふるかわ・まさこ)
ジャーナリスト。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障がいの当事者、医療・介護の従事者、イノベーターたちの姿を追う。「AERA」の人物ルポ「現代の肖像」に執筆多数。著書に『「気づき」のがん患者学』(NHK出版新書)など。
元記事は こちら
「#性のギモン」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。人間関係やからだの悩みなど、さまざまな視点から「性」について、そして性教育について取り上げます。子どもから大人まで関わる性のこと、一緒に考えてみませんか。