「点滴怖いけど頑張れる」闘病の子に寄り添うファシリティドッグ 小児病棟に広がる笑顔 #病とともに
病院の医療スタッフの一員として「常勤」する犬がいる。「ファシリティドッグ」は小児がんなど重い病気で長期入院する子どもたちと触れ合うことで絆を深め、痛みや心の不安を和らげる。子どもたちの治療の支援にもつながり、小児医療の現場で存在感を発揮している。ファシリティドッグはどんな活動をし、医療現場でどのような効果を発揮しているのか。その活躍ぶりを取材した。(文:ジャーナリスト・小川匡則/撮影:長谷川美祈/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
病院に「勤務」する施設犬・マサ
病院の廊下を大きな犬がてくてくと歩き、病室に入っていった。ラブラドールレトリバーの「マサ」だ。入院中のわかなちゃん(17歳)は「マサくんが来たー」と笑顔になった。マサは慣れた様子でベッドに上ると、リラックスした表情で足元に寝転がる。マサを撫でるわかなちゃんも、撫でられるマサも嬉しそうで、幸せな空間が広がる。心地良いのか、マサはウトウトと寝入ってしまった。
東京・世田谷区にある国立成育医療研究センター。大規模かつ先端的な小児医療を提供する病院で、多くの子どもの患者が長期入院している。マサはこの病院に「勤務」している。
小児がんなどの重い病気で入院している子どもたちのもとを定期的に訪れ、一緒の時間を過ごす。そんなマサのような犬をファシリティドッグという。専門的な訓練を積んだ犬で、子どもたちが治療を前向きに捉えたり、日々の入院生活を豊かなものにしたりするのを支える存在だ。
わかなちゃんはマサが訪問してくるのをいつも心待ちにしている。
「その場にマサくんがいなくても『今度マサくんに会える』と思っているだけで2回は(痛い)注射を我慢できます」と笑う。
これまでに何度も手術をしたが、2年前の手術のときはマサがまだいなくて不安でたまらなかった。ところが、今回の手術のときにはマサがいたので不安はほとんどなかったという。
「そのときの記憶はほとんどないけど、マサくんのことだけは覚えていました」
不安な気持ちもマサに意識が向かうことで忘れられる。そして、自然と笑顔の時間が増えている。
常勤では日本でわずか4頭が活動
マサは2019年3月にオーストラリアで生まれた。生後3カ月で日本に渡り、ファシリティドッグとしてのトレーニングを始めた。
まずは人の生活する環境に慣れるところからスタートし、そこから小さい子から大人までいろんな人間と触れ合うトレーニングに移る。場所も少しずつ変えていき、最終的には病院に慣れていった。
ファシリティドッグは「ハンドラー」と呼ばれるパートナーと一心同体で活動する。そのためハンドラーは1頭につき1人しかいない。日本では現在、常勤のファシリティドッグとしては全国4つの病院で1頭ずつが活動しており、そのパートナーであるハンドラーも4人だけである。
マサのパートナーを務めるのは権守礼美(ごんのかみ・あやみ)さん。もともと看護師で、以前勤めていた病院にファシリティドッグがいたことからその存在を知った。国立成育医療研究センターでの導入が決まり、ハンドラーの募集が始まると応募し、パートナーに選ばれた。2021年5月のことだった。マサと一緒に生活を始め、トレーニングも重ねた。2021年7月からマサとともに同センターで勤務している。マサとは仕事もプライベートもいつも一緒だ。
「最初は病院外でトレーナーから犬の行動やマサの特徴についてレクチャーを受けました。それで『指示出し』など基本的な練習を繰り返しました。病院で活動を始めてからも最初は半日の出勤で、少しずつ病院に行く頻度や時間を増やしていきました」
覚える指示の数は約60と、とても多い。その上、その指示を出すタイミング、(声の)トーン、ターゲット、という「3T」が大事だとされ、マサとの絶妙な連携を磨くために日々スキルアップに努めている。
なぜそこまでの対応が必要かというと、マサの活動は、患者の状況によってやるべきことが変わってくるからだ。ベッドから出られない子もいれば、歩き回れる子もいる。犬が好きな子もいれば、そうでない子もいる。安全に、かつ効果的にマサが活動するにはどうするか。それは権守さんだけではなく、看護師や保育士とも連携して決めている。
医療スタッフとのMTGにも「同席」
マサが病棟の子どもたちの部屋を権守さんと回る前、処置室には看護師や保育士が集まっていた。「カンファレンス」と呼ばれる関係者による打ち合わせで、担当する患者リストを見ながら、マサとどういう関わり方をしていくべきかを定期的に話し合っている。重い病気の患者が多く入院しているため、重苦しい雰囲気かと思えば、和気あいあいと明るい雰囲気だ。それもそのはず、マサもその場に同席しているからだ。
「新しく依頼しようと思っている子がいる」「マサに興味を持って追いかけてきた」など、まだマサが訪問していない子どもについても、興味の度合いや個別の事情などを共有していく。
看護師の釼持瞳さんは、マサがいることで治療自体が非常にやりやすくなっていると実感する。
「点滴や採血などの痛みのある処置をするときにも、マサがいてくれると子どもたちは事前に気持ちを落ち着かせてから来てくれる。嫌々来るのではなく、自分で主体的に頑張るという力をマサが引き出してくれています。『点滴怖いけど、でも頑張れる』という気持ちにさせてくれるので、処置もスムーズにやりやすい」
実際に点滴も子どもがマサを触りながらであれば、すんなりできるケースが多いという。
子どもたちの心をそっと開くマサ
カンファレンスが終わり、マサが病室に向かうと、ぎんじくん(8歳)は嬉しそうにベッドから起き上がった。そして、マサのリードを握ると、病棟奥のスペースへ一緒に歩き出した。ここからはしばしマサとの遊びの時間。輪投げをして、入ったらマサがその輪っかをぎんじくんのところへ持ってくる。うまくできたときにはマサにご褒美でおやつをあげる。そのときに「ステイ」と呼びかけると、マサは座ってじっと待つ。「リリース」と呼びかけると、おやつをパクッと食べた。こうして子どもが主導して何かをすることも、この病院内では貴重な機会となる。
保育士の平真由美さんは、マサが子どもたちの心をそっと開いてくれていると語る。
「マサを通してこれまで私たちが知らなかった子どもの側面を権守さんから聞くことがあります。その子の関心のあることがわかると、『では今度はこういうものを保育の現場でも取り入れてみよう』と参考になります。また、『一緒に歩こう』と言っても歩かない子が『マサが来るから見に行こう』と言うと歩いてくれる、なんてこともあります」
ただ、マサが働ける時間には限りがある。動物福祉の国際的な指針で1時間の活動ごとに1時間の休憩をとるよう示されている。これを踏まえて活動は1日3時間程度を目安にしている。勤務は平日の週5回だ。それだけに、誰に会いにいくかを判断する必要が出てくる。
「最低でも週に1回は行こうと思っていますが、お子さんの状態、検査の状況なども踏まえて決めていきます。病状によっては毎日顔を出したりします。また、厳格に3時間ぴったり働くと決めているわけではなく、『ほとんど寝ていてリラックスしていたな』というときは、少し長くしたり、『疲れたかな』というサインがあれば早めに引き揚げたりしています」(権守さん)
そうしたファシリティドッグとの交流を通じて、病を乗り越えた子もいる。
小児がんを乗り越えた子からの感謝
2022年2月から約半年間、同センターに入院していた宇田華都さん(14歳)もその一人だ。
ちょうど小学校の卒業式の準備が始まった頃に小児がんが発覚。生活が一変した。頭では状況が理解できても、気持ちが追いつかずに過剰なストレスを感じる場面もあったという。
華都さんはもともと動物が苦手だったが、犬好きであるお母さんから「プロのワンちゃんだから大丈夫だよ」と言われてマサに来てもらうようになった。
「最初に挨拶に来てくれたときは恐る恐る撫でるくらいでした。そこからだんだんと慣れていきました。マサは動じないので、こっちが萎縮しないでも大丈夫だとわかりました」
マサに会えるのは週に1、2回程度。それでも、つらい病院生活においてマサの存在はどんどん大きくなっていった。
「最初は治療に前向きではなかったですが、マサと出会ってからは体調が悪くてもマサと一緒なら頑張れた。マサはつらいときでもただ寄り添って、自分の話を聞いてくれるという感じがしました。それに、マサはモフモフしていて柔らかく、癒やされました」
想定された多くの副作用が出て、精神的に不安定になる日もあった。ある日、面会に来たお母さんが帰らないようしがみついて大声で泣き叫んだことがある。そんなときに現れたのがマサだった。
華都さんのお母さんはこう振り返る。
「もう手に負えなくてどうしたらいいのかわからないときに、マサくんが来てくれたんです。そして一緒に散歩したら、娘の心がどんどん落ち着いてきた。それで私も帰ることができました」
退院してから1年以上経った今でも、マサのことは毎日気にかけている。インスタグラムをチェックしたり、マサと撮った大量の写真を見返したり。「マサに助けてもらった分、自分も恩返しがしたい」。病院に行った際はマサの活動のための募金箱に小銭を入れているという。
病院で「日常」とつながれるという効果
国立成育医療研究センターで総合診療部長を務める余谷暢之さんは、ファシリティドッグの効果は「日常」から隔絶されている子どもの患者ほど効果が大きいと語る。
「本来、子どもたちの『日常』というのは、他者と主体的に関わっていくものです。ですが、病院は『非日常』なんです。子どもたちからすると、マサのように特定の目的があるわけではない存在は『日常』とつながれる貴重な機会になっていると思います」
こうした日常をつくる重要性は以前よりも増している。それは入院患者の「生活の質」が問われてきているからだという。
「これまでの医療は治すことが全てでしたが、小児がんは40年前の5年生存率が60%くらいだったのと比べ、今では90%になっている。そうなると、治った後にその子たちがどう生活していくのか、ということが課題になる。ただ、医療従事者は治すことに全力を注いでいるので、入院環境の支援まで手が回らない。ですからパラメディカルの人たちに入ってきてもらう必要性が増しているのです」
認定NPO法人シャイン・オン・キッズは日本でファシリティドッグを導入するために犬のトレーニングやフォローアップを行っている団体だ。事務局長を務めるニーリー美穂さんも、アメリカに比べて日本の小児病棟における環境の遅れを感じているという。
「私が視察したアメリカの病院では『チャイルド・ライフ・スペシャリスト』という職業の人が150床に30人くらいいて、長期入院の子どもの心のケアをしていました。日本では、まだまだ普及しているとは言えません。病院をいかに日常にするか、楽しいところにするか、といった子どもの心のケアへの理解がもっと進んでほしいと考えています」
長期入院多い日本 活動の継続への課題も
病院での子どもたちの心のケアという点において、ファシリティドッグが果たしている役割は大きい。シャイン・オン・キッズなどがファシリティドッグを導入した病院の医療スタッフに行ったアンケートによると、「患者の協力の得られやすさ」で73%、「作業の円滑化」では60%の人が効果を実感していると回答した。
しかし、こうした活動を広げていくには大きな課題がある。それは費用の問題だとニーリーさんが指摘する。
「導入するとなると、犬に関する直接経費だけでなく、病院の中に犬の控室や犬のための動線を設ける必要もあります。するとそのコストも病院で負担してもらうことになる。また、関係者への理解も求める必要もあり、そこまでして導入する価値があるのかという議論にもなるでしょう」
ファシリティドッグが医療現場で活動できるようになるまでには2年程度かかる。しっかりとしたトレーニングを重ね、医療安全に配慮しながら慎重に導入していくことが求められるからである。犬に関する費用のみならず、ハンドラーの給与など直接経費だけでも年間1000万円程度のランニングコストが必要となる。
医師の余谷さんは、だからこそ効果を示していくことが求められると語る。
「費用的なハードルがある以上、それを上回る効果があることを明示できるようにする。それが次のステップとして大事です。そうなれば例えば診療報酬に組み込むといった可能性も出てくるのではないか。今のままでは継続的に寄付に頼ることになるが、それでは数を増やしていくことは難しいでしょう」
実際、マサの活動費用については国立成育医療研究センターでは「アイノカタチ基金」という基金で寄付を募っており、継続的な支援を必要としている状況だ。
日本では長期で入院し、高度な医療を受けている子どもは多い。前出のニーリーさんは「日本でこそ、もっと子どもたちの心のケアをする存在が必要なのです」と訴える。そのためには、ファシリティドッグという存在が広く世間に認識されることが第一歩となる。
国立成育医療研究センターでは多くの子どもたちが病気と闘っている。ちよちゃん(10歳)はベッドに寝たまま点滴の処置を受けていた。決して痛みの少ない処置ではないが、嫌がる様子は全くない。おなかのところにはリラックスしたマサが頭を乗せて寝ているのだ。ちよちゃんはマサの頭を撫でながら穏やかな表情を崩さない。ベッドの脇には自分で描いたというマサの絵があった。マサの優しさがいろいろなものを包み込んでいた。
元記事は こちら
小川匡則(おがわ・まさのり)
ジャーナリスト。1984年、東京都生まれ。講談社「週刊現代」記者。北海道大学農学部卒、同大学院農学院修了。政治、経済、社会問題などを中心に取材している
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