福祉施設に増えるヤギ なぜ? 「なごみ」と「面倒くささ」で予想外の効果 #老いる社会
おとなしくてのんびりしたイメージの草食動物、ヤギ。牧場や動物園で黙々と草を食べる姿を見かけたことのある人も多いだろう。いま全国の高齢者向け福祉施設で、ヤギを飼うケースが増えているという。なぜ福祉施設でヤギを飼うのか。千葉県と宮城県の施設を訪ね、ヤギを取り巻く地域の人たちに起こった「変化」を取材した。(文・写真:ジャーナリスト・古川雅子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
ヤギと遊ぶ子どもたち、その姿を見てなごむお年寄り
田畑と竹やぶに囲まれた広い敷地に、80メートルにわたる長い縁側のある木造の建物がある。縁側の掃き出し窓の前には、池や芝生の庭が広がる。ここは千葉県にある高齢者のデイサービス施設だ。
利用者は主に認知症の高齢者。車いすの人や障害のある人も通っている。
2月中旬、この庭で小さな子どもたちが駆け回っていた。市民活動団体「里山保育・木のわ」が開く未就園児の集まりだ。近隣に住む6組の親子が集まった。
子どもたちの目当ては、子ヤギの「ツノ子」。初めは遠巻きに眺めていた3歳の女の子がおもむろに地面の葉っぱを拾って差し出す。すると、ツノ子が葉っぱを噛んできた。女の子は「かわいい」と満面の笑みだ。
昼食の後、デイサービス施設の女性利用者が庭に出てきた。70代で認知症の彼女は、芝生に座る子どもたちと目が合うと、かがんだ姿勢で子どもたちの頭を優しくなでた。
子育てサークルの代表で保育士歴20年を超える吉田まりこさんは、ヤギがいる効果をこう話す。
「子どもたちはヤギと一緒に楽しく遊べるし、高齢の方たちは子どもたちの姿を見てなごんでいらっしゃる。それに、子どもを連れてきたママたちも居心地がいいんですよ。普段は親子だけの閉じた関係でいるから息が詰まっちゃう。いろんな人がつながる場にいる安心感でしょうね」
ヤギの放し飼いをめぐってスタッフ間に生まれた議論
現在、こうしてヤギを飼う高齢者向け福祉施設が、愛知県名古屋市や埼玉県鴻巣市、新潟県上越市など各地で増えている。
その一つが、千葉県八千代市の高齢者デイサービス施設「52間の縁側のいしいさん家(以下、いしいさん家)」だ。冒頭に登場したツノ子がいる施設で、2022年12月に開所した。
代表の石井英寿さん(49)は、2006年に宅老所を開いて、近隣の誰もが助け合える地域づくりの実践を積み重ねてきた。いろんな人がごちゃまぜになって見守り合う場をつくりたい──。そんな石井さんの思いを形にしたのが、長い縁側を象徴とするこの建物だ。2023年度のグッドデザイン大賞を受賞した。
ツノ子を飼い始めたのは昨年秋。付き合いのある愛媛県今治市の宅老所で子ヤギが数頭生まれたのを聞き、石井さんはこう思った。「そういえば設計の時、建築家が『施設内にヤギみたいな動物がいたら、里山の雰囲気に合うね』と言っていた。本当にヤギが来たら、利用者にも、遊びに来る近所の子どもたちにも、きっと喜ばれる」。そこで、1頭をもらい受けることにした。以前飼っていた施設でついた名前は「ツノ子」。
ただ、実際に飼い出してみると、ヤギの飼育は簡単ではなかった。
連れてきてからの1週間は、石井さんがツノ子の脇に寝袋を敷いて寝泊まりした。愛媛から800キロの距離を車で運ぶうちに、ツノ子に情が湧いたのだという。
「夜中に泣くからかわいそうで。知らない土地に来て、寂しいのかなと思ったんですよ」
かいがいしく世話をする石井さんを、スタッフたちは温かく見守っていた。だが、ツノ子が自由に動き回れるよう放し飼いにしたいと石井さんが提案すると、スタッフの間で賛否が分かれた。反対の理由は明快だった。敷地内で自由にフンをされると、掃除などが大変で収拾がつかなくなるからだ。
そこから数日にわたって「ヤギ談議」が繰り広げられた。結果、折衷案で「ヤギ小屋から長いロープを張ってつなぎ、ヤギが緩やかに散歩できるようにする」という方針に落ち着いた。
この時の論争を、石井さんは頭をかきながら振り返る。
「意見が割れるのは、人間に対する介護観の違いと同じですよ。どこまで寄り添うか。制限をかけるか。誰がお世話するか。議論してテンヤワンヤしているうちに、建設的な案も出てくる。面倒だけれど、ヤギのおかげでコミュニケーションが増える。そう考えると、いいことかもしれない」
次々に現れた「餌やり隊長」と「ごちゃまぜ」の関係性
一方で、ヤギは人間関係を円滑にもする。石井さんがそう実感したのは、餌やりを通じてだった。
近くに住む太田正子さん(78)は施設に来ると、ツノ子にカゴいっぱいの野菜くずを差し出す。すり寄ってくるツノ子にギュッとハグをする。
「この子は甘えん坊でなついちゃってね。いつもあたしのこと、しっぽ振って待ってるの」
太田さんはいしいさん家の敷地の元・地主だ。石井さんと関わりが深く、ちょくちょく口げんかをする間柄でもあったが、ヤギが来てから少し変わった。太田さんがツノ子の「餌やり隊長」として朝夕欠かさず餌を運んでくる。石井さんはその姿を見て、感謝の言葉が自然と出るようになったという。
太田さんに続くように、その後、地域に第二、第三の「餌やり隊長」が現れた。その一人が、近所に住む50代の男性だ。もともとつながりのある太田さんが、独居で無職のその男性のため、多めに作ったご飯のお裾分けをするなど日常的に世話をしている。男性は介護サービスを受ける必要はないものの、引きこもりがちで人とコミュニケーションをとるのが苦手だ。そのため、地域のさりげない見守りが必要だった。
一方で、男性はいしいさん家のデイサービス利用者ではない。それでも太田さんから事情を聴いた石井さんは、何らかの関わりを持ちたいと考えるようになった。男性にペンキ塗りの経験があることがわかり、手始めに少額の報酬を支払って、縁側の木材に防腐剤を塗る仕事をお願いした。
だが防腐剤の塗布は、季節に一度ほどで頻度が少ない。そこで、昨秋ヤギが来て餌やりからヤギの世話をお願いした。すると男性は、黙々と世話をし始め、今では太田さんとともに餌やりなどヤギの世話を担っている。
最近は、70代男性も餌やり隊長に加わった。地域の相談事に応じる「中核地域生活支援センター」から石井さんが見守りの依頼を受けた人だ。就労が難しく地域で孤立してしまう可能性のあったこの男性も、頼まれなくても時間になるとヤギを散歩に連れ出してくれるようになった。
石井さんは、ヤギを飼う「面倒くささ」こそ、多様性のある人間関係を育む要素だと感じている。
「ヤギが1頭いるだけで世話という面倒な『仕事』が多く発生する。すると、人との関わりを苦手とする人が、自分から進んで取り組んでくれたりする。ヤギの世話を通じた『仕事』がいろいろな関係性や出会いを生んでいく。ごちゃまぜの関係性って、こういうところが面白いんです」
閉ざされた福祉施設に外部の人を呼び込む「アイコン」
宮城県仙台市の住宅街。人通りのある場所に牧場風の小屋が立つ。庭でのんびり草を食(は)むのは、白と黒の2頭のヤギだ。
昼下がり、通りがかった若い女性が足を止め、「きゃ、おっきいヤギ!」と歓声を上げた。2頭はオスの兄弟で、ともに硬そうでカールした角がある。ヤギ小屋の看板には「だいふくとごまぞう」と名前が書かれている。
午後3時過ぎ。ヤギ小屋がある庭に複数のスタッフや利用者が出てきた。ヤギ小屋の後ろの施設からは帰り支度を済ませた障害者が外に集まってきた。敷地内の保育園からも2、3歳児が次々に出てきて、餌のニンジンをヤギにあげ始めた。そこに放課後等デイサービスを利用している小学生も入ってきた。
実は、この敷地全体は「アンダンチ」という福祉の複合施設だ。高齢者が住むサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)のほか、障害者の就労支援を行う事業所や保育園など多様な施設が配置されている。一般客向けの玄米食レストランもある。2018年に開所した。
2頭のヤギ、だいふくとごまぞうは、この複合施設の開所時からの仲間だ。アンダンチを運営する福井大輔さん(40)は、ヤギを飼い始めたのは戦略的な考えがあったと話す。
「施設内に高齢者の住まいを構想した時、『外の人を呼び込む接点』が必要だと最初に考えたんです。例えば、サ高住の建物の一角で『駄菓子屋』を開こうと発想したのもそう。近隣の子どもたちが立ち寄りやすくするためです。駄菓子屋に来れば、そこでお年寄りと触れ合う機会が増えるかもしれない。そうなると、お年寄りにとっても部屋の外に出るのがいい刺激になる。そういう接点をつくることが必要だと感じて、ヤギはその戦略の中でも重要なアイコンだと考えました」
福祉施設の利用者ではない近所の住民がぶらりと訪れる。そんな地域交流の実践に注目が集まり、アンダンチには全国から視察の人々が訪れる。
接点づくりの「ヤギ効果」は、徐々に表れた。まず開所から1年ほどして、施設外から野菜の餌をあげにくる老夫婦が現れた。ヤギ小屋の横に車で乗り付けると、夫婦は分担して餌やりを始める。体格差のある2頭が餌を取り合わないようにする工夫だ。「おふたりの餌のあげ方がプロ化している」と福井さんは舌を巻く。
ここ数年は、別の地域住人が2頭の誕生日にプレゼントを届けてくれるようになった。中身は香りのいい干し草が入った大きな袋。「だいふくとごまぞうへ」というメッセージも添えられている。
日々の餌はアンダンチで購入している。それでもこうした周囲との関係が増えるのがうれしいと福井さんは言う。
「だいふくとごまぞうがいてくれるから、みんな気軽に足を運び、おまけにプレゼントまでくれる。家族みたいに誕生日を気にしてくれるって、すごいですよね」
なぜ、外部の人を呼び込む必要があると考えたのか。
福井さんは大学卒業後、商社に勤めていた。開業医の義父から高齢者の住まいづくりの相談を受け、「いつか起業を」と考えていた福井さんは、手始めに介護事業に乗り出した。2015年、仙台市で地域に密着した「小規模多機能ホーム」という形で介護施設を運営し始めた。すると、あることに気づいた。福祉施設では人間関係が閉じてしまいがちになることだった。
「外から人が入ってこないと、刺激がない単調な日常になってしまうんです。であれば、外の人にも足を運んでもらえるアイドル的存在が施設に必要だと思ったんですよ」
予想以上のヤギ効果 「まち」との距離を縮める
福井さんがアンダンチを構想した時、「人寄せ」のヒントをもらおうと石川県の福祉施設を訪ねた。そこでは「アルパカ」を飼っていた。羊のように毛がふかふかで愛嬌がある風貌の南米の動物だ。ただ調べると、アルパカは体長が大きく、コストもかかることがわかった。他の選択肢を探すうち、ヤギに行き当たった。
福井さんは、宮城県の複数の大学がヤギを飼っていると耳にした。東北工業大学を訪ね、ヤギの譲渡について相談すると、逆に大学側から歓迎された。ヤギは3頭以上になると自治体への届け出が必要になるという。渡りに船と、2頭のヤギの譲渡が決まった。
「ヤギ効果」は予想以上だった。まずヤギの譲渡は「贈呈式」として大学との合同イベントになった。地元テレビ局もヤギの話題をたびたび取り上げるようになった。ヤギ小屋は設計の専門家とペンキ塗りを手伝う東北工大の学生との合作によりでき上がった。
ヤギを通じて東北工大とつながったことで、思わぬ展開もあった。
「施設の敷地内で地場のハンドメイド品を売るマルシェ(出店)を開くと、東北工大の大学生のフレッシュなパワーで盛り上げてもらえるようになりました」
ヤギは福祉の世界とは畑違いの人も呼び寄せた。その一人が大村文彩(ふみさ)さん(26)だ。彼女は東北工大のサークルでヤギを飼う「ヤギ部長」だったが、現在はアンダンチの運営会社に就職し、障害者の就労支援施設で生活支援員として働いている。
「こんな福祉施設があるなんて以前は全く知らなかった。ヤギのつながりがなかったら就職していなかったでしょうね」
アンダンチがある場所は、仙台湾沿岸から4キロほど西に入った地域。東日本大震災の後、震災で家を失った人たちの集団移転地域として指定された場所だ。福井さんは言う。
「震災時、ここに津波は来なかったけれども、集団移転先として間接的には『まちづくり』が必要になった地域。そもそも核家族が増えたから、みんなつながりを求めている。今、僕らとまちとの距離を縮めてくれる存在がヤギなんじゃないかな」
少子高齢化が進むなか、福祉施設と地域住民を交えた「自然な支え合い」は「地域共生ケア」として国が掲げる方針にもなっている。ヤギとともに過ごす施設は、そんな取り組みの一つの形になりつつある。
いしいさん家も、アンダンチも「ヤギが取り持つ縁」が呼び水になり、施設内に足を運ぶ人の多様性がぐんと増したという。ヤギがつないだ「ごちゃまぜ」の人の輪は、思わぬ縁を各地にもたらしながら、今後さらなる広がりを見せるかもしれない。
元記事は こちら
古川雅子(ふるかわ・まさこ)
ジャーナリスト。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障がいの当事者、医療・介護の従事者、イノベーターたちの姿を追う。「AERA」の人物ルポ「現代の肖像」に執筆多数。著書に『「気づき」のがん患者学』(NHK出版新書)など。
「#老いる社会」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。2025年、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上となります。また、さまざまなインフラが老朽化し、仕組みが制度疲労を起こすなど、日本社会全体が「老い」に向かっています。生じる課題にどう立ち向かえばよいのか、解説や事例を通じ、ユーザーとともに考えます。