国土の7割を覆う森へ、5割の人が行かない。''林業漫画家''平田美紗子さんが語る森に行くことのススメ
林野庁で働きながら、得意な漫画とイラストを活用して森や林業に関する情報発信を行う"林業漫画家"の平田美紗子さん。
資料集めや取材を綿密に行い、下絵の段階で一度は専門家に見てもらうなど正確さを大切にした漫画は親しみやすく、知識を楽しく身につけることができます。
幼い頃から『風の谷のナウシカ』が大好きで、『ファーブル昆虫記』を読んでは虫を追いかけまわしていたという平田さん。
そんな"森の人生"を生きる平田さんに、森の魅力や現在直面している危機、森に対して私たちができることなどをお聞きしました。
平田美紗子さん
林野庁 北海道森林管理局 総務企画部企画課 経営企画係長
2004年、林野庁に入庁し、群馬県の利根沼田森林管理署で係員として勤務。2005年から同署相俣森林事務所、静岡森林管理署静岡森林事務所、同表富士森林事務所で森林官として働く。2010年から5年間の育児休業を経て、2015年4月より林野庁本庁に。渉外広報班第二渉外広報係長、企画課林野図書資料館総務係長を経て、2019年より故郷・北海道へ戻り、現職(本庁企画課併任)。利根沼田森林管理署所属時に、森の情報発信紙にイラストを描いたことをきっかけに、パンフレットの作成や連載などを担当。森林官としての経験を活かしながら、イラストや漫画で林業や森に関する情報発信を行っている。
漫画で楽しく学ぶ森林・林業・木材産業の魅力:林野庁
漫画で楽しく学ぶ北海道の森林:北海道森林管理局
森の植物を生かす"菌"に魅了されて林野庁へ
── 平田さんが森に興味を持ったきっかけを教えていただけますか。
そもそものきっかけは、生まれ育った環境にありました。両親はともにワンダーフォーゲル部に所属していたこともあり、小学生の頃からよくキャンプをしていて、森がとても身近な存在だったんです。
絵を描くことも森と同じくらい好きだったので、進路選択のときに美大に進むことも検討しましたが、森の生態について体系的に学びたいと考えて、北海道大学の森林科学科に入学しました。そこで「菌根菌」という菌に出会ってから、森にますます魅了されたんです。
── 菌根菌とは、どんな菌なのでしょうか?
菌根菌は植物の根と共生している菌類の総称で、陸上植物の8割以上が、この菌根菌と根の部分で共生していると考えられています。菌根菌の本体は「菌糸」と呼ばれる糸状の細胞で、それを植物の根を介して森じゅうに張り巡らせているんです。森林の土の中では、1平方センチメートルの中に張り巡らされた菌糸の長さは総延長1キロメートルにもなるんです。
菌根菌の重要なはたらきは、植物の生育に必要な水分や養分を吸い上げることです。今から4億年以上前、当時はまだ海にいた植物が陸上に進出する際、植物は菌根菌と根の部分で共生していたからこそ、陸上に上がってこられたとも言われているんですよ。
さらに、植物間の養分のやりとりも菌根菌の菌糸が担っています。菌糸が森じゅうに養分を届けてくれていると考えると、森全体が一つの生命体として感じられてくるんですよね。
菌根菌以外の菌類も、森林の生態系を支えています。腐朽菌の仲間はやはり森林の土壌に菌糸を張り巡らし、森に落ちている葉っぱや枝、昆虫の死骸などの有機物を土に還してくれるはたらきがあります。この菌がないと、森の中はゴミだらけになってしまうんです。
── すごい! 菌類は森林の環境を守る"陰の立役者"なんですね。
そうなんです。でも、ほとんどの人にとってはきっと初めて知ることばかりですよね。
日本は国土の7割が森林で、森の恩恵を受けているのに、そのことがまだまだ知られていない。私はそうした現状をもったいないと感じていて、一般の方にも森の機能や魅力をたくさん知っていただきたいなと思い、林野庁に就職したんです。
「地球温暖化」も「クマ出没」も森へとつながっている
── 森が持つ機能には、どのようなものがあるのでしょうか。
土砂災害を防止する「土壌保全機能」や、空気をきれいにする「快適環境形成機能」など、さまざまな機能があります。
とくに知っていただきたいのは「生物多様性保全機能」です。
菌根菌がいないと植物が陸上で生きられないというお話をしましたが、実はそうした生態系のつながりって、自然界のあちこちにあるんですよね。「ミツバチがいないと植物は子孫を残せない」といった事例もその一つ。森の環境においても、多様な生き物が存在することによって、生態系のバランスを整えています。
参考記事
世界中で「虫」が減って、食糧不足に!? 養蜂家に聞く、人と自然のこれから
サストモ編集部
最近では、クマをはじめとした野生動物が住宅街に出没するニュースが全国的に話題になっていますよね。実はあのニュースも、人とクマとの生態系バランスが崩れた事例の一つです。
昔はクマと人との緩衝地帯として存在していた里山の森林に人の手が入らなくなり、クマの恰好の隠れ家となりました。さらに、ナラ類などのどんぐりをつける木が成長してエサ場となり、クマと民家の距離が近くなってしまったことも要因の一つと言われています。
── 森の機能不全が、私たちの生活にも影響を及ぼす。森と人の生活は、思った以上に近いところにあるんですね。
そうなんです。人間には関係ないように見える存在でも、かなり密接なかかわりを持っていることが少なくありません。
そういった意味で、人間も生物多様性の中の一つに含まれているんだという意識をきちんと持って、生活していくことが大切なんじゃないかなと思います。
── 木には、地球温暖化を食い止めるはたらきがあると聞いたことがあります。こうした木のはたらきも、森の機能に含まれますか。
地球温暖化を抑制するはたらきは「地球環境保全機能」に当たります。
地球温暖化は、二酸化炭素(CO2)などの「温室効果ガス」の大量放出によって、地球全体の平均気温が上昇している問題のことですよね。
木は成長するときに光合成をして、二酸化炭素を吸収して酸素を出すので、地球温暖化を抑制する機能があると言われているんです。もちろん木も呼吸するので二酸化炭素は出しますが、放出する酸素量のほうが大きいので、結果的に温室効果ガスの増加を食い止めてくれます。
── 森には、地球上の生き物や環境を守ってくれる機能もあるんですね。
地球環境を守る以外のはたらきもありますよ。保養や行楽などの「保健・レクリエーション機能」はその一つです。
たとえば、現代社会のストレスに晒されている人間が、一定の時間を森で過ごすだけでストレス値が下がるという報告(※)もあります。これは木が発する「フィトンチッド」と呼ばれる化学物質によるものだとされていて、ストレス値のほかにも、血糖値や生理痛が改善する可能性があるという研究結果も出ています。
ただ、日本では森に慣れ親しんでいる人があまりに少ないんですよね。内閣府が令和5年10月に行った調査では、直近1年以内に「森に行っていない」と回答した方は47.4%でした。国土の7割(約67%)が森なのに、半数近い人が1年間で1度も森に行っていないという結果は、森の仕事に携わる者としてはショックな事実でした。
樹齢50年のトドマツが1,400円以下になった理由
── 森を訪れる人が少ないこと以外にも、森に関する課題はありますか?
木材の価格が下がり、森に木を植えて育てようとする人が少なくなってしまったことですね。
ひと昔前までの山は"財産"で、山を所有する方にとって、木が銀行貯金のような役割をしていたんですよ。たとえば、子どもの進学や家を建てるときなどに、木を売れば十分なお金を手に入れることができたんですね。
60年前にスギが1反(10アール)あれば、大卒初任給の約20ヶ月分ほどもらえたと聞いています。それが現在だと、大卒初任給の0.4ヶ月分程度にしかならないんです。北海道の樹齢50年のトドマツは1,400円以下にまで下がっています(※石狩森林管理署管内の50年生トドマツ立木1本で試算した場合)。
── 50年かけて育てたトドマツが1400円以下に! 木材の価格はどうして下がってしまったのでしょうか?
国産材の需要が少なくなったのが原因の一つです。戦後、復興をするために木材の需要が急増し、大量の国産材が伐採され、それでも不足した分を補うために、外国産材に頼らざる得なくなり、木材輸入の自由化が行われました。
そのため安価な輸入材が流入し、国産材の価格は低迷しました。そのうえ国内で再造林した人工林が利用段階になるまで数十年を要したことから、製造施設での国産材から外国産材へのシフトも進み、国産材の自給率はどんどん下がって、一時期は18%台まで落ち込んでしまったのです。
こうして需要の低下に伴って、国産材の価格も下がってしまったんです。
── なるほど。やはり木を伐採することはよくないんでしょうか?
木を適度に切って使うこと自体は、森の循環を促すのでむしろいいことなんですよ。
ただ、1980~1990年代の教科書から「林業」という言葉が消えて、のちに森林の水源涵養機能や土砂災害防止機能など公益的機能が重点的に取り上げられたことで、ともすると「木を切ることは悪いことだ」と感じる人が増えてしまった経緯もあるように思います。
適度に、適切な場所で「伐って、使って、植えて、育てる」を繰り返すことで、森林の自然環境は保全されていくこと、私たちの毎日の生活で使う「木」を届けてくれる「林業」という生業があることを、たくさんの方に共通認識していただきたいです。
葉のスケッチから始める森林保全
── 森の環境を守るために、私たちができることはありますか。
まずは森が循環するよう管理している木材でできた製品を大切に長く使うことです。木材製品を使用することによって国産材に需要が生まれて付加価値がつき、森林の維持・管理にお金が回りやすくなります。
2017年には、正しい流通に乗った木材の利用を促進することを定めた「クリーンウッド法」が施行されました。間伐材を使用していることを表す「間伐材マーク」や、国内外の森林認証制度(※)もあるので、家具などの木材製品を買う前にチェックしてみるといいかもしれません。
また、私自身も自宅の中古マンションをリノベーションするときに、北海道産の木材を使ってもらったことがあります。
当初、リフォーム業者さんに「北海道産の木材を使ってください」とお願いしたときは「外国産材しか使ったことがないので無理だと思います」と言われました。でも、その後も粘って交渉し続けた結果、「試してみたら意外と簡単にできました」と言っていただいたんですね。
要するに、工務店さんやリフォーム業者さんは外国産材の利用が当たり前になっていて、国産材を利用する発想自体がないだけだと思うんですよね。料金もそれほど高くなかったですし、消費者である私たちができることは意外と多いはずです。
ただ、個人的には、まず森に行っていただきたいと思いますね。森に行って楽しんだり癒されたりすれば、「この森を守るにはどうしたらいいんだろう」「この森とこれからも共に歩むには何ができるだろう」という発想が自ずと生まれると思うので。
── 森の行楽と聞くと「ハイキング」が真っ先に思い浮かぶのですが、ほかにもおすすめの楽しみ方はありますか?
私は絵を描くのが好きなので「ネイチャージャーナル」という自然観察日記を描いています。毎朝散歩したときに、そのときに見つけた動物や植物をこんな風に描いているんですよ。
ネイチャージャーナルのポイントは、絵を上手に描くことではなくて、じっくり観察することなんです。枯葉1枚をスケッチしようとすると、ものすごくよく見ることになるんですよね。そうすると、何でもないように思っていた葉っぱ1枚から、世界がものすごく広がるんです。
たとえば、「端っこが欠けているのは何かに食べられたのかな」とか「食べられたとしたら、どんな動物が食べたのかな」とか。いつも新しい発見があります。
── 森や植物に慣れ親しんできた平田さんでも、新しい発見があるんですね。
未だに発見の連続で、とっても楽しいです! 私はコロナ禍に入ってからネイチャージャーナルを始めたのですが、人間社会がどれだけ変わっても、木は変わらないんですよね。一方で、天候や季節によって、葉っぱの見え方や光の当たり方が変わるので、ずっと楽しめるんですよ。
「森のために何かしよう」と考えると、ハードルが高いと感じる人もいるかもしれませんが、まずは日常の中で木に触れることから始めてみていただきたいですね。
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取材・執筆佐々木ののか
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取材久保直樹
編集友光だんご(Huuuu)
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