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「透明人間」をなくす方法 医療的ケア児の付き添い問題 #令和の人権

    

Yahoo!ニュース オリジナル 特集

沖縄県読谷村
ストレッチャーに乗って帰宅した優希さんを迎える鈴木さん(中央)。昔は「おかえりなさい」が言えなかった

12月3日~9日の1週間は「障害者週間」。痰の吸引、人工呼吸器管理などの医療行為を日常的に必要とする「医療的ケア児」は、厚生労働省によると、2021年の時点で推計約2万人に上る。小児医療の進歩に伴い、15年で2倍以上に増加した。そんな医療的ケア児たちが学校に通うときに生じるのが「親の付き添い問題」だ。何かあった時のために、学校で「透明人間」のように待機し続けることが求められる。この問題の解消に取り組んだ横浜市立東俣野特別支援学校の手法を取材した。
(文・写真:ジャーナリスト・飯田和樹/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

できるだけ気配を消し「透明人間」になることを求められる母

特別支援学校で「見えないもの」とされている人たちがいる――。

そんな実態を世に明らかにしたのが、写真家で、医療的ケア児の母である東京都在住の山本美里さん(44)だ。山本さんは息子に付き添う自分自身を被写体にした写真作品を制作。「透明人間」のタイトルで写真集を自費出版すると、同じような境遇の人を中心に大きな反響を呼んだ。

沖縄県読谷村
横浜市内で行われたトークショーで登壇した山本美里さん

なぜ「透明人間」というタイトルなのか。それは、山本さんが支援学校で言われた次の言葉に起因する。

「学校は教育現場であり、子どもたちの自立の場です。必要なとき以外、お母さんは気配を消していてください」

この言葉について、山本さんは写真集の中に次のような文章を添える。

校内待機することを「黒子に徹する」とか
カッコよく言う人もいるけれど、
私はここでの自分を「透明人間」と呼ぶことにしました。

「おかえりなさい」が言える日々

「おかえりなさい。あれ、今日、学校でいいことがあった? そんな顔してるよ」

横浜市泉区の鈴木妙佳子さん(48)が、学校から帰宅した医療的ケア児の優希さん(18)に笑顔で声をかける。人工呼吸器をつけ、ストレッチャーに横たわった状態の優希さんが、送迎用の車から降りてきた。

玄関からではなく、駐車場を通って庭に回り、リビングに通じる掃き出し窓からストレッチャーごと自宅に入る。リビングに入ったところで、優希さんが装着している人工呼吸器をいったん外すと、鈴木さんと通学・訪問型発達支援を担う看護師の2人がかりで、リビングの隣の部屋に設置してあるベッドに移乗させる。

人工呼吸器の準備をする鈴木さん
一旦取り外した人工呼吸器の準備をする鈴木さん

さらに15~20分ほどかけて、痰の吸引や人工呼吸器の再装着を行う。傍目にみると、大変な作業に見えるが、鈴木さんと看護師は時折優希さんに声をかけながら、着々と自宅で過ごす準備を進める。いち段落すると、優希さんはベッドから見やすい場所にあるホルダーにはめてあるiPadを使って看護師と学習を始めた。

その様子を横目に、鈴木さんが口にした。

「以前は付き添いがあったので、学校から帰ってきた子どもに『おかえりなさい』と言えなかった。子どもを『おかえりなさい』と迎える。そんな当たり前のことができるようになるまでの道のりは簡単ではなかった」

小学校入学を迎えるにあたり、「家」以外の居場所に気づく

優希さんは、出産時に脳に十分な血液や酸素が送られずにダメージを受ける低酸素性虚血性脳症で生まれた。帝王切開で産むべき状態だったが、医師の判断ミスでそのタイミングが遅れてしまったため、医療過誤が認められた。手足が自由に動かない四肢体幹機能障害という重い後遺症が残った。

父方の祖父に初めて抱かれた時の様子。
生後4か月頃、出産した病院のNICUで、父方の祖父に初めて抱かれた時の様子。出産後、写真を撮るような気分になれずまだこの時まで1枚も撮っていなかったという。(提供写真)

東京の病院に1年半ほど入院した後、自宅近くの神奈川県立こども医療センターに転院。胃ろう、気管切開、さらに唾液の誤嚥を防ぐために食道と気管を分離する喉頭気管分離という三つの手術を経て、2歳になった頃にようやく自宅での生活が始まった。

優希さんが自宅で生活するようになると、鈴木さんは家に引きこもらざるを得なくなった。「出かけ方もわからないし、とにかく家にいました。それが当たり前だと思っていた」。そんな生活が数年間続き、優希さんが翌年に小学校に入学するという頃。一本の電話がかかってきた。入学の案内だった。

「私は『学校?』ってびっくりして、こう返しました。『いや、うちの子はこういう障害があるので。学校には行ける子じゃないんです』って。そうしたら『いやいや。義務教育なのでみんな行くんですよ』って言われて......。小学校に行けるなんて思っていなかった。それ以前に、特別支援学校という学校があることも知らなかった。こんなに重い障害がある子に、家以外に居場所があるってことを知らなかったんです」

横浜市立東俣野特別支援学校(提供写真)
横浜市立東俣野特別支援学校(提供写真)

その後、教育委員会と面談すると、「おそらく優希さんの場合は訪問籍かと。自宅に学校の先生が週2、3回来るっていう授業のスタイルです」と言われる。しかし、鈴木さんは寂しさを感じた。「やっと自宅と病院以外の場所があるっていうことがわかったのだから、行く場所があるんだったら行かせてあげたいと思った」のだという。

「通学籍にできませんか」と鈴木さんが相談すると、「学校は病院じゃないので、お医者さんもいないし、学校看護師さんも医療的ケアができる人たちじゃない。親御さんが付き添うのであれば、通学籍も検討できます」との答えが返ってきた。

「『うちは一人っ子だし、私ができることは何でもするから、何とか通学籍で』とお願いしました。さらに『週1日からのスタートでいいです』って私のほうから言いました。本人の体力的にもどのぐらいのペースがいいのかもわからなかったし、私自身も家事をして、優希のケアもやって、学校の付き添いまでやるということがどれぐらいの負担になるのか、全く想像がつかなかったからです。最初の入り口を低く設定したことで学校も受け入れやすかったんじゃないかなと思います」

後に聞くと、24時間ではないにしろ、人工呼吸器を使っている子どもが通学籍になるのは、優希さんが横浜市で初のケースだということがわかったという。こうして2013年、横浜市立東俣野特別支援学校に優希さんは入学した。

付き添いの日々に疲弊、学校の状況を変えようと動く

優希さんが入学すると、鈴木さんも「透明人間」になることを余儀なくされた。「教室の片隅で、背もたれのない木の丸い椅子に座り、『子どもたち、かわいいなあ』みたいな顔をして、うっすら笑って過ごしていました」。付き添いは小学1年生から2年生の途中までのおよそ1年半続いたが、心身ともに激しく疲労した。

「朝、出かけるのに、さっき見てもらった帰宅の時と逆のことをやる上に、自分の身支度も整えなければいけない。もう大変です。昼ご飯を用意する時間なんてないので、お昼は抜き。学校の先生は給食を食べてるんですけど、お茶を飲んでおなかを膨らませたりしていました」

「付き添いをやって、家に帰ってきて、また家で優希をケアする。当時は訪問看護もそんなに使っていなかったので、お風呂も一人で入れて、夜中も何時間かおきに様子を見る。病院だと看護師さんが日勤、夜勤、準夜勤みたいに交代するのを、母親一人でやるわけですから、不眠症になりました」

自宅のベッドに移乗させる鈴木さん
看護師と2人がかりで優希さんを自宅のベッドに移乗させる鈴木さん(左)

その後、優希さんが学校で過ごすことに対する先生たちの不安が少なくなったことなどもあり、鈴木さんの「透明人間」生活はいったん終わる。ただ、電話がかかってきて、学校に呼び出されることも度々あった。優希さんが小学6年生になった頃、24時間人工呼吸器をつけることになり、4年ぶりに付き添いが再開するが、「私やほかのお母さんたちがいろいろ要望していたことがあったけど、学校は何にも変わっていなかった」。危機感を覚えた鈴木さんはほかの保護者とともに「呼吸器生活向上委員会」を立ち上げ 、「医療的ケア実施マニュアル」(後述)の改訂に関わるなど、環境改善に取り組み始める。

そんな頃、鈴木さんは当時の校長に自身の生活について語る機会があった。すると、校長は「下校した後の話をしてくれたことで、恥ずかしいけど初めて気づいたよ。自分たちは学校で精いっぱいだから、学校が終わったらもう終わりだと思っていた。お母さんの付き添いを解消させるため、学校も何かしら努力できることからやらなければいけない」と言ってくれたという。

人工呼吸器は「爆弾のようなもの」と感じていた教員たち

自宅のベッドに移乗させる鈴木さん
東俣野特別支援学校の中井大輝教諭。保護者との信頼関係構築を大切にした

校長が鈴木さんにかけた言葉通りに、東俣野特別支援学校で「透明人間」解消の取り組みが本格的に始まったのは2019年のことだ。すでに医療的ケア児支援法の成立(2021年)に向けた動きがあり、先取りする形で始まった。学校側の中心人物となったのは、現在は優希さんの担任を務める中井大輝教諭。「まず、なんで付き添いが必要なのかを考えようというところから始めた」と振り返る。

付き添いの根拠として、教育委員会の作成した「医療的ケア実施マニュアル」があった。マニュアルの中で、人工呼吸器のケアについては保護者に依頼する、と決められていたのだ。

当初、教員たちからは「通知で決められている」「何かあったときに大変だから、お母さんの手が必要」――など、取り組みに必ずしも前向きとはいえない意見も出てきた。中井教諭は「教員たちの頭には、言われてないことをやることの恐怖がどうしてもつきまとう。でも『どうしたらできるかを考えよう』というテーマで動いた」と言う。それまで教員にとっては触れるのが怖い「爆弾のようなもの」だった人工呼吸器について、メーカーの人を呼んで仕組みや取り扱い方を学ぶこともした。

そうして保護者が付き添わなくていい時間を徐々に増やしていく一方で、完全に付き添いを解消するための取り組みも進めた。

透明人間はどのように生まれるか

特別支援学校には専門職である学校看護師がいる。彼らは保護者の代わりにならないのか。

中井教諭は「学校看護師さんといっても、全員に小児の経験があるわけではない。(人工)呼吸器を見たことがない、重度の肢体不自由の子と関わりがなかった方もいます。そもそも当時は採用の段階で『呼吸器の子をみてもらいます』という形になっていなかった」と説明する。

一方、「お母さんたちは本当にすごい」と中井教諭は語る。

自宅のベッドに移乗させる鈴木さん
学校からの連絡帳に眼を通す鈴木さん。担任の中井教諭がまるで優希さんと言葉で会話したような内容だという。

「子どものちょっとした動き、たとえばどこに汗をかいているか、といったことでその日の体調を把握できたりする。そのレベルを教員や普段の様子を知らない看護師が やるのはなかなか難しい」

そうなると、どうしても保護者の付き添いに頼ることになってしまうのだという。一方で、教員たちの一番の仕事は子どもたちを指導し、成長させることだ。「成長のために、ぼくたちは常に母子分離をさせたいと思っている。でも付き添いがあることは前提となっている。そうなると、出てくる言葉が『気配を消してください』になってしまう」

大切なのは保護者との信頼関係

中井教諭を中心に、学校内の取り組みは着実に進んでいった。子どもたち一人ひとりの「支援確認表」を作り、その支援確認表をベースに「登校したときにどんな状態か」「どういう状態になったら保護者を呼べばいいのか」といったことを当日確認する資料を作成した。また、日常的に子どもたちのケアをおこなっている外部の訪問看護師が学校内に入り、学校看護師に対してレクチャーする機会なども積極的に設けた。その結果、2021年度中には 、ほぼ付き添いを解消できたという。

高等部受験(面接)に臨んだ優希さん(提供写真)
中学3年生の時。小さい頃からお世話になっていた訪問看護師の息子の学ランを来て、高等部受験(面接)に臨んだ優希さん(提供写真)

重要だったのが、鈴木さんをはじめとする保護者との信頼関係の構築だ。中井教諭は取り組みがどこまで進んでいるのか、その途中経過をきちんと保護者に報告することを徹底した。

「学校って、どうしてもまだ決まっていないことを伝えることを避ける。それでは、時間がかかる案件は、いつまでたってもどこまで進んだかが保護者にはわからない。だから、『先週に会議があって、こんな課題が上がったところで止まっている。次の会議はいつだから、その時までは先に進まない』といったことを伝えるようにした」という。

さらに、「今はダメだけど、どうしたらできるか」ということを報告に付け加えることも欠かさないようにした。学校だけでできることなのか、それとも教育委員会への働きかけが必要なのか、はたまた法律の問題なのか。「クリアしなければいけない問題は何なのか。そこを共有することで、保護者とタッグを組めるようになった」と振り返る。

保護者の側も学校が少しずつ変化しているのを肌で感じていた。呼吸器生活向上委員会の代表として、学校とともに付き添い解消に取り組んだ鈴木さんは、「親が学校を支える側になることも必要だと思うようになった」という。

付き添い解消の目的は子どもの成長

「ああ、鳥肌が立ってる! 僕がゆうくん(優希さん)から受け取った返事は間違いじゃなかった」

高校2年生の秋休みに家族ではじめてディズニーランドに行った時の様子。
高校2年生の秋休みに家族ではじめてディズニーランドに行った時の様子。優希さんはこの時に 出会ったキャラクターを覚えていて、中井教諭にまた会いたいキャラクターとして伝えた。(提供写真)

今年5月。中井教諭は、鈴木さんのスマートフォンに保存されている写真を見て声を上げた。昨年、ディズニーランドで優希さんがドナルドダックやチップと撮った写真だった。聞けば、月末に控えたディズニーランドへの修学旅行でどのキャラクターに会いたいかについて、優希さんと相談していたのだという。寝たきりで発話がない優希さんの微かな動きから中井教諭が受け取った答えが、ドナルドダックやチップだった。

今年5月。保護者の付き添いなしで、先生と学校看護師のみで修学旅行に行き、大成功を収めて帰校した。
今年5月。保護者の付き添いなしで、先生と学校看護師のみで修学旅行に行き、大成功を収めて帰校した。「今度こそ、修学旅行で楽しい想い出を作ってあげたい」という目標が達成でき、高校2年生の時の担任(左)、現在担任の中井教諭(右) も喜んだ。(提供写真)

鈴木さんは「言葉が話せなくても、一緒に過ごす時間を積み重ねれば、親以外の人とでも会話ができるようになる。素晴らしいと思います。このために付き添いの解消に取り組んでいたんです」と話す。「付き添いの解消というと『私たちが体を休めたいがためなんでしょう』と思われるかもしれませんが、そうではありません。そもそも、子どもたちは障害があっても親と離れるべき。親がいない場所で、同じ年の友達、先生と過ごすことがすごく大事なんです」

中井教諭も付き添い解消が子どもの成長に大きく役立っていると感じている。

「お母さんから『子どもが劇的に変わった』という話を聞きます。頼れる存在がすぐそばにいることも大事なんですが、そうではない場面でどう過ごし、学んでいくのかが大切だということを改めて感じました。それは障害があってもなくても、重くても軽くても、変わらないことだと思います」

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