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豊かな未来のきっかけを届ける

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働く人を大切にしたら、効率もアップ。既成概念を打ち壊す「思いやり」漁業

TRITON JOB

畠山民雄さん

宮城県の最北東端に位置する唐桑半島。
青森県から続く三陸リアス式海岸のちょうど中間にあたるこの半島は、複雑な地形で入り江が多く、美しい景勝地としても名を馳せています。
半島にある気仙沼市唐桑町は、古くから漁業で栄えた町。

なだらかな起伏のある道を車で走っていると、競い合うように肩を並べる立派な赤い屋根の家々が目に飛び込んできます。
これは、「唐桑御殿」と呼ばれる豪壮な入り母屋造りの家屋。
かつて遠洋マグロ漁で栄えていたこの町の歴史を物語る貴重な建物です。

赤い屋根の向こうに見えるのは、どこまでも青い海。
対照的な2つの色は、この町を象徴する欠かせない色として、今なお輝きを放ち続けています。

高台から気仙沼を一望すると、木々の緑と海の青が入り組み、とても美しい。

高齢化、人材不足。日本の漁業を取り巻く現実。

太平洋に面した唐桑半島の東側は、親潮と黒潮がぶつかり合う荒々しい外海。
一方の西側は、気仙沼大島を望む波の穏やかな内海です。
町の人々は、この異なる2つの海を最大限に生かし、漁業を行っています。

半島の西側、「浦」と呼ばれる場所で漁業を営むのが、畠山民雄さん(83歳)。
浦という名前の通り、波の入らない静かな入り江を拠点にして、ワカメやホタテの養殖を手がけています。

畠山民雄さん

「このあたりは昔は船乗りでいっぱいだった。遠洋マグロ船からあがった人もいたから、養殖が忙しい時期も本当に人に困らなかったのさ。そういう人もいなくなってしまってね。若い人なんて特に......」

この地域で半世紀に渡って養殖業を営んで来た民雄さんは、「体が本当でねぇから」と謙遜しながらも、今なお現役漁師として現場に立ち続けています。
16歳から船乗りとして働き続け、肩や腰を痛めるたびに大きな手術を繰り返してきました。それでも民雄さんは休むことはしません。

「休んでしまっては終わり。動かなくなってはダメ。今でも魚獲れる季節になると獲りたくなる。困ったもんだ。漁師の性分なんだな」

民雄さんは、ワカメやホタテの養殖をメインで行いつつ、秋は鮭、冬は鱈と刺し網漁も行っています。

「年齢的には、休んでほしいけど、この通り休まないでしょう(笑)? 無理でしょうね」

隣で苦笑いするのは、息子の淳さん(48歳)。
体を痛めながらも漁業と向き合い続ける民雄さんの姿を見て、30歳のときに一緒に養殖業に携わる決意をしました。それまでは、遠洋マグロ船や内航船に乗っていたそうです。

畠山民雄さんと息子の淳さん

「養殖業は一人じゃやっていけない。でも、責任を持って船の舵を取る人がいなかったら今度は働く人が困る。どっちもいなくちゃダメなんです」

日本の漁業者の平均年齢が60歳に近づきつつある昨今。
漁業の現場の高齢化をどこか遠くの出来事のように捉えている人が多い中、私たちが日々おいしい海産物を食べられるのは、こうして膝をさすり、腰を叩き、体を痛めながら歯を食いしばって海と向き合ってきた漁師たちがいるからなのだということを、忘れてはなりません。

大量の包丁。包丁の柄には名前が書いてあり、包丁の数だけ働く人がいる。

「働いている人は高齢の方が多いので、朝仕事だけにするとか、疲れるから休まいよって声をかけあってますね。なかなか漁業やりたいっていう若い人はいないので、今いるベテランさんを大事にしてます。ただ、みんな体がひどくなって辞めていくんですよね。そうすると、商売を減らしていくしかほかないんです」

畠山家では、ワカメやホタテの作業時期に合わせて、13人ほどパートさんを抱えています。平均年齢は60代後半。
その中でも、48歳の淳さんがいちばんの若手。
民雄さん自身も高齢であるからこそ、働く人への気遣いは人一倍かけているそうです。

既成概念を打ち壊す究極の「思いやり」漁業

作業場は、すべて屋根付きです。
メインで使っている船にも屋根が付いています。

立派な玄関のある休憩所は、きれいに整頓され、テーブルにはかわいらしいクロスも。ここでご飯を食べたり、「お茶っこ」をしたり、心地よく休憩ができるようにという気配りがうかがえます。
休憩場や作業場、倉庫は、震災後に畠山さん親子の手で作ったというから驚きです。

作業場

働く人を大切にする畠山流の極めつけは、ワカメの収穫。
なんと半島の東側、外洋の漁場で育てているワカメを筏ごと西側にある浦の岸壁まで船で引っ張ってくるのだとか!
そうすることによって、作業場の目の前でワカメが収穫でき、安全性が保たれ、同時に作業効率もアップするそうです。
沖でのワカメ収穫が常の中、これは驚きの発想。
ワカメの筏は、2、3時間かけて、半島をぐるっと回るように引っ張ってくるそうです。

「思うように舵もとれないし、ほかの人の網やカゴがあるような狭い場所を縫うように船で走る。真似しようと思ってもこれはできない。畠山さんのところは、ちょっと考え方が別格なんです」と、宮城県漁協唐桑支所の千葉さんも脱帽の様子。

漁具を修繕する様子

岸壁で収穫したワカメは、葉・茎・めかぶと分けられ、葉は塩蔵ワカメとして出荷します。
塩蔵ワカメは、ボイル→冷却→塩もみ→水切り→芯抜き→脱水と、多くの手が必要となるため、2~5月にかけてが一番忙しい時期です。どうしても地域の忙しい時期が被ってしまうため、助っ人をお願いするにも一苦労。

パートの従業員さんの高齢化と若い人材を育成していかなくてはという危機感もあり、人材の募集にも乗り出しています。
地域的にも、漁業を辞めていく人が多いため、新しく来た人を応援したいという思いもあります。

海と向き合う。海と生きる。

気仙沼市では、120年の歴史の中で、これまでに大小5回の津波を経験しています。
唐桑町では、2010年のチリ津波の余波で養殖筏が被害に遭いました。
借金を背負って漁業の再興を目指した人たちの中には、翌年3月に起きた東日本大震災で、家も船も漁具も失い、今度ばかりはと心が折れて辞めてしまった人もいます。

「ちょうどワカメの作業が始まったばかりだったのさ」

民雄さん

思い出されるのは、浜を覆い尽くした瓦礫の山と、裏山の木々にぶら下がった塩蔵ワカメ。民雄さん自身も、家、船、作業場と被害を受けましたが、家族が無事だったことが、せめてもの救いであり、頑張る糧になったと言います。

「辞めるっていう選択肢はなかった。ボランティアさんに入ってもらって、瓦礫をひとつずつ片付けて。ここは地盤沈下がひどかったから、船をつけることもできなかった。だから自分たちでブロックを重ねて、足場に板を乗せて、岸壁を作ったのさ。流れてついた木を切って、運んで、製材して。全部自分たちでやったのよ」

自作の岸壁

なんと岸壁まで作ってしまったという畠山さん親子。不屈の精神で、2011年秋にはワカメの筏を入れ、翌年にはワカメを出荷させました。

「養殖はいいときもあるし、悪いときもある。だから我慢強くやらなきゃない」

民雄さんの静かなる胸の内には、ふつふつと湧き上がる熱い魂があります。民雄さん、まだまだやりたいこともあるんだそう。現在、長年の夢だったアワビの養殖にも挑戦しているそうです。

『雨の日には雨の中を、風の日には風の中を』

「素直で真面目な子に来てもらえるといいね。お嫁さんもらうのもそうさ。気持ちいいのが一番だから。いつ漁業をやりたいって子が来てもいいように、寝泊まりする場所も作ったんだ。布団も家電も、全部揃ってる。エアコンもこたつもあるよ」

長い人生、雨が降らない日はありません。
だから民雄さんは、屋根を付けます。

長い長い冬もやってきます。
だから民雄さんは、こたつも用意して、まだ見ぬ若者を待っているのです。

この浜には、誰かが雨宿りをしているときに、そっと自分の傘を差し伸べてあげられるような気遣いのできる優しい人が似合うかもしれません。

船の前で働く仲間と

\ さっそくアクションしよう /

ひとりでも多くの人に、海のイマを知ってもらうことが、海の豊かさを守ることにつながります。

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