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豊かな未来のきっかけを届ける

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なぜ町長に?地域の未来をつくる3人の挑戦 #豊かな未来を創る人

Yahoo! JAPAN SDGs編集部

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#豊かな未来を創る人 では、未来を創るために活動する様々な個人にフォーカスを当てて話を伺います。

今回は、地域の未来にとって重要な役割を担う、3名の若手町長をご紹介します。

政治家と聞くと、国会議員を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、日本には47都道府県1741の基礎自治体があり、自治体ごとに議員や首長(市長や町長)が選挙で決められています。その数は3万人を超えており、公認会計士と同じ程度の人数です。遠い世界の人ではなく、意外と身近な仕事であるとも言えます。

とはいえ、若くして政治の道に進む方はまだまだ多くありません。そんな中で、今回ご紹介する3名は、なぜ若くして町長になることを選択をしたのでしょうか。どんな思いで地域と向き合っているかを聞きながら、地域の未来について一緒に考えました。

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桑原悠

1986年新潟県中魚沼郡津南町生まれ。2011年東日本大震災・長野県北部地震を機に、東京大学公共政策大学院在学中に帰郷し、津南町議会議員に。2018年より津南町長。その他、国土審議会計画部会委員、令和臨調国土構想委員を務める。

町長は決断できる仕事

一人目の町長は、新潟県・津南町長の桑原悠さん。大学院在学中に町議になり、全国で最年少女性町長としても注目されています。政治の道に進むことになったのは、とにかく地元に貢献したかったからだといいます。

「公共政策大学院に進学した当時は、社会がどうやって良くなっていくかに関心がありました。パブリックマインドというか、自分たちの力で社会を良くしたいと仲間と語り合っていましたね。

その後、在学中に長野県北部地震で津南町が被災して、地元のために役に立ちたいと思って地元に戻りました。郷土愛ですね。また、町長に立候補した時には子どもが生まれていたので、母としての思いというか、子どもが大人になった時にもっと良い町、希望を持てる町にしたいという思いがありました。

町長は、決断できる仕事です。町民や議会のみなさんの思いを受けて、子育てにこれぐらい予算を使いましょうとか、産業をこんなふうに育成していきましょうと決断できます。若くして町長になり苦労も多くありましたが、大きな裁量があり、やりがいがあります」


課題が山積みの地域では、大きな決断をして、新しいことに着手する必要があるのかもしれません。桑原さんは2018年から2022年の4年間町長として務めを果たし、今年6月の選挙で再選されました。

この4年間で様々な決断をしてきた中でも、町立病院の経営改革では1.8億円ほど収支が改善されています。どんな施策を打ったのでしょうか。

「外部有識者の力を借りて、組織改革に取り組みました。今も継続中です。公立だからと"親方日の丸的"に構えるのではなく、自ら変わっていける組織を目指しています。実際、職員の意識改革が進むにつれて『町民の日常の医療を守るために病院経営を安定させる必要がある』という視点が養われています。職員一人ひとりの動き方が変わると、医療サービスの質が上がり、結果的に収益性が改善されているのです。

経営改善と聞くと、コストをカットして、サービスの質が下がり、利用者にとって不便になるイメージがありますが、できる限り不便になるようなことは少なくして、収入を増やしたんです。今後は、収入を確保しつつ、今まで以上に医療の質・サービスの質を上げていくことを目指しています」

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まちをジブンゴトにする人を増やす

町長の仕事は、現在のまちの暮らしを守り豊かにしながら、まちの未来をつくる仕事。桑原さんは「将来まちを担う人づくり」に力を入れています。

「まちづくり・地域経済を担う人の育成に力をいれます。これまで津南町をつくり、支えてきたのは、パワフルな団塊の世代の皆さんです。今も精力的に活動してくださっていますが、未来のことを考えると、少しずつ世代交代していく必要がありますよね。

まずは、未来を担う世代同士が主体的に、協力、協働することが一歩。そんな考えのもとで、様々な世代や立場の人が集って話し合う『津南未来会議』が、3年前からスタートしています。会議の中で、気軽に集まって交流ができる場所、交流拠点を整備してほしいという要望が出てきたので、商店街の活性化と交流を目的としたまちなかスペースをつくりました」


今年誕生したまちなかオープンスペース「だんだん」の企画には、地元の有志が関わり、中には学生も関わっているそうです。ハードを整備するだけでなく、ソフトを活性化させることが肝だと桑原さんは考えています。

「大事なことは 『ソフトがあるからハードができる』ことだと考えています。人の活動というソフトがあってはじめて、施設というハードが規定される。そういう意味で、ソフトとしては津南未来会議のような多様な主体の話し合いの場があります。

津南未来会議は、『津南町をみんなでより良く変えていくんだ』という雰囲気で活動しています。コロナ禍になり、町としてコロナ対応に集中していた期間も、形を変えながらいろんな人が議論する場は続けていました。その中でこの施設にどんな機能をもたせるかなど、メンバーを中心に話し合って生まれました。今後はここからイノベーションが生まれて、事業化や創業につながる流れが出てくることも期待しています」

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津南町まちなかオープンスペース だんだん

子ども時代に町を変える体験を

まちづくりに関わる人を増やすためには子ども時代の体験が重要になると考え、津南町では、大人になって持続可能な社会を主体的に担う人材を育成するために、ども時代から「自分たちで町を変えられる」という手応えや経験を積めるよう、環境や人材を提供しています。

「例えば、私の執務室も含めて、役場幹部の部屋は誰でも自由に入れるようにしていて、小中高生が政策提言にくることがあります。いわゆる総合学習や探究学習の時間で、自分たちで議論したものを津南町への提言として持ってきてくれます。

その中で、小中高生と議論した上で実現できそうなものは、実行するようにしています。例えば、『森を守る』という取り組みで、小学生が植林をして景観が良くなった場所にブランコを作りたいという相談があり、実際に予算化されました。他にも、中高一貫校の探究学習で高校生とディスカッションをする中で、町の防災訓練を一緒にやりました。

小さなことですが、丁寧にコツコツと続けています。大人になってしまってから主体的な人材になれとか、SDGsに対応できる人材になれとか言われても急には変われないので、子どもの頃から積み重ねて、持続可能な社会のために動ける人材を育てられたらと思います」

さらに、まちに興味を持った人の声を拾うことも重要だといいます。

「みなさん地域活性化への思いはあるのですが、その思いを十分に遂げられる設計に必ずしもなっていません。そこは、私たち役場の課題です。ですので、津南未来会議だけでなく、町民のみなさんとの対話会もしています。また、現場を回って町民のかたがたと話したり、町で生活感を感じたり、そこで得られる感覚を大事にしたいです。

私自身がこれまでの町長像の中でまれな存在ですので、存分にそれを活かしたいと思っています。二児の母親で、四世代で暮らす嫁として、町で生活している一人としての感覚を大切に、その感覚でみなさんと話すようにしています」

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最終的に決断できる仕事だからこそ、周囲の声に耳を傾けることが大切なのかもしれません。最後に、町長としてのやりがいを聞きました。

「責任のある決断をして、それによって人の動きや町の構造が少しずつ変わるのを見ると、心のなかで小さくガッツポーズしたくなる喜びがあります。まだまだこれからですけどね」

「決断する立場に立つ」という思いは、次に紹介する奈良県・三宅町の森田さんも同様です。

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森田浩司

1984年奈良県磯城郡三宅町生まれ。大阪商業大学を卒業後、生協職員、国会議員秘書、三宅町議会議員などを経て、2016年に32歳で三宅町長選挙に初当選。当時の現職を大差で破り、県内最年少町長となった。2020年に再選。

同じ立場に立つから言えること

森田さんは30歳で町議になり、32歳で町長になりました。それまでは、政治家を志していたわけではありません。大学卒業後は仕事を転々としていたといいます。また、知人の頼みで選挙の手伝いをすることが多く、その縁で国会議員秘書を務めたこともありますが、自身が政治家になりたかったわけではないそうです。そんな森田さんが立候補したのは、シンプルに「自分のまちをダサいまちにしたくない」という思いでした。

「町に文句を言うなら、自分も同じポジションに立たないとだめだと思ったんです。というのも、30歳の頃、町のよくわからない場所に、何百万円もするモニュメントが立ったんですよね。よくよく聞くと、少子化対策のために、三宅町を恋人の聖地としてアピールして、その聖地で結婚する人が増えたら子どもが増えると考えたということで。自分の住んでいる町があまりにもダサいと感じました。

税金が変なことに使われて腹が立つと飲み屋で話していたんですど、飲み屋でわあわあ言っても何も変わりません。だったら、まずは同じ立ち位置に立ってみて、文句を言おうと思ったんです。自分の住んでいる町をダサくしたくないという気持ちでした」

町議になって1年後には町長選に立候補。当選の望みは薄かったものの、応援してくれた人に応えたいという思いが決め手でした。

「1年間議員をしてる中で、町政におかしいと感じることはたくさんありましたし、そう言い続けていました。とはいえ、現職の町長が再選することは濃厚で、対立候補もなく無投票選挙になりかけていました。

僕も立候補する気はなかったのですが、自分のチラシ配りをしているときに、おばあちゃん2人ぐらいに、泣きながら選挙に出てくれと言われたんですよね。『このままやと私たちほったらかしにされる』と言われて。それまでいろんな選挙をお手伝いしましたが、泣いて頼まれることは初めてでした。

おそらくその人たちは町議会選挙で僕を応援してくれた人です。泣きながら訴えた思いを無下にしたら次の選挙で応援してもらえませんし、何よりその気持を無視する議員にはなりたくないと思いました。

正直勝てると思っていなかったので、無職になることを覚悟していましたが、反対票がどれだけあるかを示すだけでも町の声を見せることになると思って、立候補を表明しました」

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事例を一緒に作る官民連携

三宅町は様々な企業と官民連携を進めています。多様な住民ニーズに応えるためには、行政だけでは難しい。それぞれの得意分野を活かして連携したほうが、早く課題解決できると森田さんは考えているからです。連携スピードの速さから「スタートアップ自治体」と呼ばれることもある三宅町。連携を進めるポイントは、「スタートアップ企業の実績を見ないこと」だといいます。

「新しい価値や今までになかったものを生み出そうとしている人たちに実績を求めても仕方ありません。未来をつくる企業と一緒にチャレンジすることをすごく大事にしています。

また、行政として何を返せるかを常に意識しています。一方的に何かをしてもらうのではなく、企業側のメリットもつくる。行政もリスクは負いますが、信用を投資するなど、一緒に動くことで双方に利益があるようなことを心がけています。企業側の負担しかなくて持続可能ではない連携はやらないですね。

また、連携した企業には持続的に三宅町のまちづくりに関わっていただいています。例えばワクチンのアプリを作っていただいた企業とは、その後生理用品を無料で配布する連携や、子宮頸がんワクチンの啓発を一緒にするようになりました。食品ロス問題に一緒に取り組んだベビー用品企業では、その後0歳から歯磨きをするプロジェクトや、赤ちゃんの防災に一緒に取り組んでいます。1つの企業で1つの取り組みではなくて、お付き合いする中で一緒に課題解決しているのは三宅町の官民連携の特徴だと思います」


民間企業と連携することは、職場内から反発もありました。しかし、実際に始めると、職員の視点が広がるような効果が得られたといいます。

「三宅町では、複業のプロ人材を役場のアドバイザーとして受け入れたのですが、最初は職員にすごく嫌がられました。民間の人が複業として役場に入って何ができるのかと。とにかくやってみようと説得してまずは半年受け入れました。蓋を開けてみると、毎回、会議するたびに職員が変わっていきました。最後には『自分たちが何が分からなかったのかが分かりました』と言われるほどです。勉強の仕方がわかり、勉強する楽しみが分かったと言われました。

今まで目の前の仕事に追われていたのもあって、役場の外の情報が入ってきてなかったんですよね。例えば、DXが大事と言われても『DXって業務増えるだけでしょ、めんどくさい』みたいな。それが外の情報に触れて、実感が持てると、自ら変わっていくんです。

そういう意味では、学ぶ時間をいかに作るかは一つのテーマかもしれません。今は目の前の仕事で時間がないのが大きな課題なので、デジタルに投資して業務を効率化しないと組織がもたないだろうと。人にコストをかけるって、本当はそういうことなんだと思います」

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三宅町交流まちづくりセンターMiiMo(ミーモ)の様子

町長は未来をつくる仕事

町長になって6年。森田さんは、町長の役割をどう捉えているのでしょうか。

「町長の仕事は、未来を作る、今ないものを生み出していくことが大事だと思います。一人では実現できませんが、ビジョンを示すことが求められます。町に何もないなら、新しいことを生めばいい。不平不満があるなら、それを良い形に変換していけばいい。後ろを向くのではなく、見方を変えてどうポジティブに捉えるかを意識しています。

未来のことを描くのが仕事なので、職員や住民に理解されないくらい先のことを考えたいです。何言ってるかわからないと言われるけど、2年後、5年後になってみんなにも共感してもらえるような、そんな距離感を大切にしています。

とはいえ、ビジョンは一人では実現できません。職員が形にしてくれていて、このチームがあって初めて自分がいると感じています。住民も選挙を通して僕を信任して、4年間をベットしてくれている。『4年間任せた、未来を作れ』と言っていただいていると思っているので、自信を持って取り組んでいます」


さらに、未来を描く町長として、子どもたちとのコミュニケーションでも気をつけていることがあるといいます。

「子どもの夢を絶対に笑わないと決めています。僕自身、若い頃に夢や希望がなかったように、夢を持てるかどうかはタイミングだと思いますので、持ってほしいとは言いません。ただ、夢や希望を口にした子どもを笑わないと決めていますし、周りにも笑わないようにと伝えています。夢を話すと、そんなん無理だってバカにされるじゃないですか。そういうのはやめたい。夢を口にしたら、いいねと共感して、どうやったら実現できるかを一緒に考えるようにしています。

誰も笑わないという心理的安全性があれば、夢を持っても大丈夫だと思える。それがないのに、夢を持てというのも違う。子どもたちがいつでも夢や希望を持てるような環境を整えておきたいです」

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未来のまちのために、意思決定するのが町長の仕事。最後に紹介する山形県・西川町の菅野大志さんは、まさに「8年後の未来」を見据えて、町長になる覚悟を決めました。

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菅野大志

西川町出身、早稲田大卒。2001年東北財務局入局。2022年より西川町長。ボランティアで主宰する公務員と金融機関職員のコミュニティー「ちいきん会」はメンバーが2,500人を超える。趣味は登山やランニングなど。

地方創生の経験を地元に

菅野さんは、今年の4月の選挙で町長になる以前は、国家公務員として20年ほど勤務。東北財務局に入省し、金融庁や内閣府、内閣官房など、国の中枢で政策に関わってきました。またプライベートでは「ちいきん会」という、地域金融機関と金融行政職員の有志が集まるコミュニティの運営や、複業の実践など、活発に動いていました。そんな中でも、「地元に貢献できていない」という後ろめたさがあったといいます。

「私は国の仕事の中でも、地方創生の仕事に10年以上関わってきました。複数の省庁で働きつつ、地方創生に関わる仕事を続けられたことは珍しいですし、幸運な立場です。その中でも、『デジタル田園都市国家構想』や『まち・ひと・しごと創生』など、大きな予算を扱っている仕事をしていたので、地域活性化の知見をためることができました。また、『ちいきん会』で公務員の枠から一歩踏み出す中で、人とのつながりや産学官連携の価値を実感する機会を頂きました。

一方で、故郷の西川町のために何もできていないという心残りもありました。帰郷した際に役場の方と話す機会もありますが、最終的にお金を出して事業化するかどうか判断するのは当事者です。国の地方創生の政策がわかり、どうすれば助成事業として実施できるかの知見もたまってきた今、なにかできないかと考えているときに、立候補の話を頂きました」

立候補の話が来たとき、あらためて西川町の状況を調べて、地域活性化が自分ごとになったといいます。

「西川町は、人口4,800人で、高齢化率は47%に及びます。内閣府にいたときに、人口が4,000人以下で高齢化率が45%を上回る自治体は、その先に生産年齢人口が増加しないという調査を見ました。西川町は、今なんとかするしかないですよね。毎年人口が100人ほど減っているので、このままでは8年で自治体としては立ち行かなくなる。挑戦するなら今しかないと思ったんです。

8年以内に生産年齢人口を増加させる。そのためには、交流人口、関係人口、移住につながることを愚直にやるしかないんです」

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町の取り組みを世の中の文脈に翻訳する

菅野さんがこれまで国として取り組んできた地方創生の仕事の中には、国のお金をいかに地方に分配するかも含まれます。どういったテーマに国が予算をつけているのか、また、どういった地方の取り組みが補助金の対象になるのかを熟知しているともいえます。その強みを活かして、国からの補助金を西川町の取り組みに活用することに力を入れています。それは、新しい取り組みを始めるだけではなく、すでに行われている取り組みや考え方を、国の文脈で言い換えているともいえます。

「西川町の取り組みで、国の注力テーマに該当するものはたくさんあります。それを、町の中にいると気づけないだけなんですよね。例えば、SDGs。西川町では地ビールを作り、そこで出たビールのカスを豚の餌にして、モルトポークという特産品を販売しています。これはまさに、廃棄物を減らす循環型の農業でSDGsにつながります。他にも、面積の90%が森林なので、CO2の排出量などしっかり計算すれば、カーボンフリーといえるでしょう。

ただ、SDGsについて習ったことがないから、町の中ではその価値に気づきづらい。今行われている取り組みを、外の文脈に合わせるプロデューサーが必要です。私がプロデュースできるかはわかりませんが、少なくとも外でどう評価されるかの視点を持って、中の活動を見ることが大事だと思います。

まずは国のトレンドを把握すること。骨太の方針など見ると、国がやりたいことはなんとなくわかるのですが、仕事に追われている職員が見る時間を作るのは難しい。だからこそ、町長や副町長がしっかりと捉えていくことが大事だと思います。

また、新しいことに挑戦する意識も大切です。テレワークやゼロ・カーボン、関係人口やDXなど国の注力施策は、町ではこれまでやったことがないこと。そういうものに補助金は出るので、今まで通りのことを行なうだけではなく、リスクを取って新しいことを実施する決断が必要になってきます」

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町長室に貼ってある付箋。省庁の公募する助成事業に、どの事業で申請するかやその結果が整理されている。

次につながる経験を積むためのお金

国の補助金を使うのは町の財政にとってはポジティブなインパクトがありますが、国の財源頼りの町政には懸念もあります。補助金を使うことを、どう位置づけているのでしょうか。

「経験を買うための資金だと考えています。成功するかわからない新しいことを、町や個人の資金で実施するという判断は、なかなか難しい。国のお金を使うことで、挑戦できるわけです。そこで成功の道が見えたら、今度は違う補助金を使って事業拡大をすすめることができます。

とはいえ、成功確率が低いものに踏み切るわけではありません。私はこれまでちいきん会や複業人材として地域の現場を見てきました。西川町でも、現場に入って事業化できる自信が持てたものに投資をしています」

この1年の間に、具体的な事業もいくつか生まれています。最近では「山菜版農協」をつくる事業が農林水産省の補助金に採択されました。

「西川町は山菜がたくさん取れる地域です。ただ、山菜は一人ひとりが収穫する量が少なく、農協の様にまとめてどこかに販売するということをしていないんですよね。だから、近くの直売所でその時にあるものを売ることしかできていなかった。これを、収穫できる量を把握して、一定の量まとめて東京など遠方に販売することをしていけたらと。

私がきた意味の一つは、町外のつながりがあること。東京で買ってくれるという人もすでにいるので、あとはものを集める仕組みをつくるだけ。そのために農水省から出ている補助金を600万円ほどいただき、事業化を進めています」

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町民とのワークショップの様子

ファーストペンギンのまちに

事業を作る際は、行政のみで行なうのではなく、町内外の様々なステークホルダーと連携。この町で小さなモデルをつくることで、その先に日本全体への波及効果も狙っています。

「西川町をファーストペンギンにできないかと考えています。企業が新しく始めたいことがありフィールドを探しているときに、西川町との実証実験事業として行う。町との連携事業になれば、国の補助金も活用できて企業は費用を抑えて実施できる。企業版ふるさと納税なんかも活用して、その事業が他の地域に横展開されたら、日本全体がよくなる。そして、西川町としては事業で関わった人が関係人口になったり、視察で人が来たりと、三方良しと考えています。

だから、町民もそうですけど、チャレンジしたい、課題解決型の新規事業やりたい企業の方には、ぜひ西川町に来てほしいです」


チャレンジしたい企業に来てほしい。それは、菅野さん自身がチャレンジを続けているからこそ、企業にも届く言葉になるのかもしれません。

今回、3人の若手町長に話を伺いました。「まちの未来を考える」という共通点もあれば、具体的な取り組みはまちの特徴によって様々で、それぞれの個性も垣間見えました。

日本全国どの地域でも、政治という手段でまちと関わる仕事があります。自分が暮らす地域の豊かな未来をつくる選択肢の一つとして、考えるきっかけになればと思います。

\ さっそくアクションしよう /

ひとりでも多くの人に、地球環境や持続可能性について知ってもらうことが、豊かな未来をつくることにつながります。

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