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知る、つながる、はじまる。

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性的マイノリティでありテレビマンである僕が、誰かのかすり傷を減らすために考えること #豊かな未来を創る人

    

サストモ編集部

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今から5年前、ゲイという自身のセクシュアリティを職場の仲間たち約200名の前で公表した、日本テレビ報道局のディレクター・白川大介さん。

マイノリティの存在が身近にあると示すことで、社内の空気を変えていきたい。そしてそこから生み出されるコンテンツが、見えない誰かを傷つける可能性を少しでも減らしたい。そんな思いで踏み出した一歩が、ともに働く仲間や社会を着実に動かしていきました。

性的マイノリティ当事者であり、メディアの発信者として大切にしている視点や、これからテレビを通して実現していきたいこととは。そこには、あらゆるマイノリティへの眼差しを忘れずに、言葉一つひとつと真摯に向き合い続ける白川さんの姿がありました。

白川大介(しらかわ・だいすけ)

日本テレビ報道局 デジタルグループ プロデューサー・ディレクター兼社長室サステナビリティ推進事務局。
1981年、大阪府生まれ。2004年に入社し、「ザ!鉄腕!DASH!! 」や「ZIP!」などの番組制作に携わる。2017年に報道局へ異動し、社会部の記者を経て、報道番組「news zero」でカルチャーを担当。2021年には生配信番組「Update the world」を企画し、社会の価値観のアップデートを目指した。現在は報道局で「news zero」やカルチャー分野のデジタルニュースの配信に関わりながら、サステナビリティ推進事務局で多様な人材の活躍と共生に向けての活動を行っている。

「俺の人生、面白くなってきたな」

── ご自身のセクシュアリティを初めて認識したのはいつ頃でしたか?

中学1年生の5月、ゴールデンウィークの時期でした。学校がしばらく休みの間、「あと何日で親友に会えるかな」と心待ちにしている自分に気づいたんです。その感情がこれまで自分が経験してきたものとは明らかに違うと、子どもなりに感じました。

ちょうど家のトイレにいたとき、自分が好きになる対象は男性なんだという考えが、ふっと降りてきたのを鮮明に記憶しています。

自分のセクシュアリティがゲイだと考えると、これまでの人生で言語化できなかったクエスチョンや違和感がすべて繋がったような気がして、納得できたというか。答えをひらめいた感覚で、すっきりしたんです。「俺の人生、面白くなってきたな」と思いました。

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── 「面白くなってきた」というのは、少し驚きました。性的マイノリティの方が自分のセクシュアリティと最初に向き合うときには、少なからず戸惑いや不安が生じるのでは。そんな勝手なステレオタイプが、自分の中にあったように感じます。

確かに、僕のようなケースは珍しいかもしれません(笑)。考えてみると、僕が自分のセクシュアリティをポジティブに受けとめられた背景の一つとして、小学5、6年生の頃に担任だった先生の言葉があったように思います。

ある日同級生が「オカマっぽい」という言葉を使ってクラスみんなの笑いをとると、その先生は「お前らな、最近はオカマの人も国会議員に立候補するんやで」と言ったんです。

そんな先生の言葉から、性的マイノリティの人も当たり前に世の中にいて、社会生活を営んでいると理解できた。今思うと、フラットな知識や価値観を子どもの頃にさりげなく伝えることは、いわば予防接種のような役割となり、人の心を守ってくれることもあるのだなと感じます。

── その後、自身のセクシュアリティが、いわゆる"生きづらさ"のようなものにつながることはありましたか?

僕の場合は、周りの環境にも恵まれていました。通っていた中高一貫の男子校では、周囲もなんとなく僕のキャラクターを自然に受け入れてくれていた。みんな「白川ってそういうやつやんな」と。男性が好きなこともかなりオープンにしていましたし、自分のセクシュアリティが原因で疎外された経験はほとんどないんです。

ただ、マイノリティの属性を持つがゆえに対処しないといけない課題が、成長にともなって立ちはだかっていった。いわば面倒くささのようなものはありました。

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「高校生の頃は、髪を伸ばしてファッションを中性的にして、今でいう"ジェンダーレス男子"的なポジションでした」(白川さん)

── 「面倒くささ」というのは具体的に言うと?

例えば、将来のロールモデルが身近に見つからなかったことです。大学を卒業して就職して家庭を持って...という、いわゆる"普通"の人生のビジョンが描けなかった。中学生の頃は、大人になったら自分も新宿二丁目で働くのか、と真剣に考えていましたね。

けれどその後、高校生のときに社会学者・上野千鶴子先生の『発情装置』という本に偶然出会って。そこからジェンダーを研究できる学部があると知ったんです。東京の大学へ進学し、上野先生のゼミでゲイの当事者研究を行いました。

ですが、上野先生から、「自分のセクシュアリティをテーマにして卒論を書くと、就活で質問されたときに自ずとカミングアウトすることになるけど、大丈夫?」と心配していただいて。今から20年前は、LGBTQへの理解が今よりはるかに進んでいない世の中だったので、結局僕は卒論のテーマを「関西人であること」に変える選択をしました。

── 本来自由であるべき「学ぶ」という行為においても、世間の"普通"に合わせてチューニングする必要があったのですね。そこからテレビ局を志望されたのは?

そうですね。もともと書くことが好きで、大学新聞の部活に所属していたんです。それで、人に何かを伝える仕事がしたいなと。先進的な価値観を扱うマスコミ業界であれば、マイノリティである自分も他より働きやすいのではとも考えました。

マイノリティは「どこかにいる人」ではない

── テレビ局に入ってからは、自身のセクシュアリティをどの程度周囲に開示していたのでしょう。

学生時代と違い、職場ではゲイであることを親しい人以外にはオープンにしていませんでした。20代は「ザ!鉄腕!DASH!! 」というバラエティ番組のADやディレクターをしていて。そのときは異性愛者の男性が多い現場で、「付き合っている女性は?」「どんなタイプの女の子が好き?」といった会話が自然に飛び交っていましたね。

その話題になるといつも口数が減る僕に、あるとき先輩が問いただしてきたんです。「実際のところどうやねん」と。それで、思い切って自分のセクシュアリティを打ち明けたところ、「そうやったんや」と言われ、そこから仲良くなりました。

当時は地方ロケの出張があると、撮影後に女性のいるお店に行こうと誘われることも少なくなかったのですが、その先輩が「おい白川、さっきの仕事終わってないやろ。ホテルで仕事しとけ」とウソをついて逃してくれて。マイノリティ当事者が心地良くないと感じる状況から遠ざけるための、さりげない声かけに助けられました。

── 限られた相手にしかカミングアウトしていない当事者にとって、そうしたサポートの方法もあるということですね。

そのように感じます。それから30代になると、朝の情報番組「ZIP!」のプロデューサーに。コンプライアンスチェックのために、テロップやカンペを確認する機会が増えました。

このときは、自分が引っかかる表現を見つけても、「やたらジェンダー問題に詳しい人」と思われたくなくて。LGBTQにまつわる研究結果のような客観的なエビデンスを添えてフィードバックするなど、指摘の仕方に苦心していましたね。

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「ZIP!」のプロデューサーを担当していた頃。

── そこから職場でカミングアウトしたきっかけは何だったのでしょう。

37歳のときに報道局へ異動になりました。2017年の当時は、徐々にLGBTQが注目され、報道の機会も増えつつあった時期でした。

性的マイノリティの方に取材をするにあたって、自分のことを開示しないまま相手に向き合うのは不誠実なのではないか。そう感じて、上司に公表したいという意志を伝えました。

ちょうど同じ頃に、LGBTQについて学ぶ社内研修が行われることとなり、進行役を自ら志願したんです。研修の冒頭で、ゲイであることを200名ほどいた社員の前で伝えました。

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社内のLGBTQ研修で進行役をする白川さん。

── 一対一のカミングアウトとは、まったく異なる状況です。

さすがにマイクを持つ手は震えていましたね。それでも公表することで、自分が働く会社から送り出すコンテンツで傷つく人を、一人でも減らせたら。そんな想いがありました。

実際、カミングアウトしたことで、部署の垣根を超えてLGBTQに関する表現の相談をしに来る人も増えました。性的マイノリティが「どこかにいる人」としてではなく「白川みたいな人のことだよね」と想像力が及ぶことで、発信の仕方も少なからず違ってくるのではないかと思います。

── そこから社内のダイバーシティ推進のために、今も活動されているのですね。

はい。カミングアウト後は、僕がパートナーと同居したことをきっかけに、社内に同性パートナーシップ制度の導入を訴え、実現にいたりました。

そのほかにも、今は社内のサステナビリティ推進事務局を兼務していて、「多様な人材の活躍と共生」などの目標に向けてアクションをしています。

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昨年は「東京レインボープライド」に参加。会社名の入ったボードを掲げて、自身のパートナーとともに渋谷の街を歩いた。

大事なのは誰がどんな文脈で発する言葉か

── 性的マイノリティの当事者であり、情報の発信者として、メディアの在り方にこれまで課題を感じることはありましたか?

うーん、これはとてもベタな答えになってしまうかもしれないのですが、やはりこれまでテレビが扱ってきた性的マイノリティの人たちというのは、いわゆる"オネエタレント"といわれる人たちが圧倒的に多かったように思います。

人を楽しませる話術であったり、華やかな外見であったり。ある意味特殊な能力を持った人たちをエンターテイメントとして描くということは、たくさんしてきた。僕自身、そうした方々をリスペクトしていますし、実際に性的マイノリティの当事者をエンパワーメントしてきた側面があったと思います。

一方で、そうしたメディアの発信によって、ステレオタイプを強化してしまう側面もあったのではないかと感じます。

性的マイノリティと言っても、人それぞれ個性は一様ではない。エンタメ的に突出しているわけではない人、わかりやすく見た目のジェンダー表現をしているわけではない人。さまざま人に目を向け、その有り様を描いていくこともこれからのメディアの役割だと思います。

── そのような課題がある中で、LGBTQに関する情報を正しく発信するための動きも進んできたかと思います。2022年には「LGBTQ報道ガイドライン」(第2版)が公開されました。

このガイドラインについては、僕も報道に携わる人間として策定の際に意見をしたので、発信をする際の考え方の参考にしていただけたら嬉しいです。

── こうした指針が整備されていくのに伴い、一方ではコンプライアンスが厳しくなり、表現の仕方が難しい...というような声も耳にすることがあります。

確かに僕自身、ドラマやバラエティ番組でLGBTQにまつわる表現の監修をする上で、言葉の扱いは慎重にすべきだと考えています。

ですが「この言葉は使ってはいけないルールだから」とか「なんとなくリスキーだから」と、短絡的に言葉の是非が判断されることは避けたいなと。

以前は許されていた表現を、どのような理由で言い換えた方が良いのか、またはどのラインからNGとなるのか。そういう議論をすっ飛ばして「クレームが来ないように、ひとまず扱うのをやめておこう」みたいな流れになるのは、本質的でないと感じます。

── 身に覚えが...。こうして記事を書く際も、少しでもリスクのある表現はなんとなく排除しておこうといった考えが浮かびがちですが、それはある意味で思考停止に陥っているともいえる気がしてきました。

わかります。例えば冒頭でも触れた「オカマ」という言葉。性的マイノリティの人たちが、傷つけられてきた歴史的な背景があるために、当然ですがメディアにおいては非常に気をつけるべき言葉という風になっているわけです。

ですがこの言葉が、昨年僕も監修面でお手伝いした「ファーストペンギン!」というドラマの、とあるシーンで出てくるんです。

堤真一さん演じる漁師の息子が、ゲイだという設定のストーリー。その脚本の中で、他の漁師が別の漁師に「女の尻に敷かれた腰抜けは、ケンカもできねえか!」「まるでオカマじゃの!」という台詞を言うのです。

これに対して、息子の恋愛対象が男性だと知っている父親が「オカマのなんが悪いんかぁ!」と言い返す。この「オカマ」という言葉について、そのまま使用するかどうか社内で協議しました。

マニュアル通りに考えると「オカマ」は使わないことが推奨されるわけですが、この台詞は父親が息子を想うがゆえの、わが子を肯定する気持ちから出てきた言葉だった。つまり、差別をしてはいけないという強いメッセージも感じられます。息子役のキャラクター監修に入ってくれたブルボンヌさんのご意見も参考にしながら、十分に話し合った上で、脚本通りに世に送り出すことにしました。

大事なのは、どのような文脈で、どんな立場の人が、どんな目的で発している言葉なのか。それを丹念に自分たちの中で議論をして世の中に出していく。難しいことでもありますが、普段から僕も心を砕いていることです。

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"普通"による安心に寄りかからない

── ジェンダーに限らず、さまざまな分野におけるマイノリティが存在する社会において、発信をする上で意識していることはありますか?

まずはあらゆるところに多数派ではない人がいることを、常に頭に置く必要があると思っています。極端に言うと左利きの人もそうでしょうし、その他にも外国籍の人、ひとり親の人、仕事をしながら介護をしている人など、誰しも何らかの側面においてはマイノリティとなりうる。

一方で、自分と同じ境遇や価値観を前提に、ジャッジしたり発言したりすることって、よくあると思うんです。つまり自分と人を同一視して、一括りにしてしまう。その結果、そこにあてはまらない人にマイクロアグレッション、つまり少しずつかすり傷を負わせている可能性があることも忘れてはならないなと。

例えば「私たち」という言葉。「私たち日本人は」「私たち国民は」...。「私たち」というのは、共感を生むために便利な言葉です。だから、テレビのようなマスに向けたコミュニケーションにおいてはよく使われてきたわけですが。

そこに含まれない人たちが置き去りにならないよう、僕が「私たち」という言葉を使いたいときは、それが一体誰を指しているのか、因数分解してできるだけ言葉を置き換えていけたらなと思っています。

── 最後に、多数派、少数派の属性に捉われることなく、それぞれが固有の存在として自由にのびのびと生きていける社会となるためには、どういうことが必要だと思いますか?

うーん、壮大なテーマです(笑)。強いて言うとするなら、"普通"との闘いでしょうか。

── "普通"との闘い?

この社会を生きる上では、他の人と同じである、つまり"普通"であることによる安心というものがあると思うんです。そこから同調圧力が生まれるわけですが、それを乗り越えて克服していくことが大事なんじゃないかなと。

他の人もこうしているから、どうやらこれが正解らしい。つまりそれが"普通"なのだ、と考えることはとても楽で自然なことですが、僕はなるべくそこに寄りかかりたくない。

一人ひとりがほんの少しそのような気持ちを持てば、世の中において"普通"といわれる人も、それ以外のマイノリティと呼ばれる人も、境界がなくなりフラットになっていくのではないでしょうか。

そして、そこに対してテレビが果たせる役割があるとも僕は思っています。

── テレビが果たせる役割?

はい。というのも、今なんとなく世の中に漂っている"普通"という価値観は、テレビが醸成してきた部分もあるのではないかなと。

テレビが始まってから今年で70年。当初、みんなが同じ映像を同時に観るというのは、人類史上初めての経験だったと思います。その中で、例えばホームドラマの暮らしぶりや家族の在り方のように、あらゆる「スタンダード」とされるものを全国の茶の間に提示してきた背景がある。

だからこそ、テレビの中の人間として、そしてマイノリティの当事者として、これから僕ができることは、より多様な人たちの在り方や価値観に目を向けて伝えていくこと。そして世の中において"普通"だとされる範囲を、もっと自由に広げていけたら良いと思います。

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  • 取材・文木村和歌菜

    撮影Yuki Arai

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