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豊かな未来のきっかけを届ける

豊かな未来のきっかけを届ける

当事者意識が人も社会も変える。誰もが愛着の持てる地域づくりを #豊かな未来を創る人

Yahoo! JAPAN SDGs編集部

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25歳になって被選挙権を得た今年、川崎市議会議員選挙に立候補した那須野純花さん。川崎市幸区において、最年少でトップ当選を果たしました。

川崎好きを公言する那須野さんですが、10代の頃は地元を遠ざけていた時期もあったと話します。自分が暮らす街にあらためて目を向けてさまざまな人と出会う中で、地元の魅力や課題を知ったと言う那須野さん。そこから、自ら発信したいことや変えたいと思うことが次々と湧き上がるようになっていきました。

街やそこで暮らす人たちへの愛着がどのように生まれ、なぜ議員としてのキャリアを歩み始めたのか、伺いました。

那須野純花(なすの・あやか)

1997年、神奈川県川崎市出身。高校3年生で、NPO法人グリーンバード武蔵小杉チームリーダーに。その後、大妻女子大学社会情報学部に進学。川崎の街おこしを行うクリエイティブ集団として立ち上がった一般社団法人の活動に、学生スタッフとして携わる。大学卒業後、広告代理店に勤務。2021年、25歳以下の若者たちが参加できる地域密着プラットフォームを仲間とともに立ち上げ、コミュニティづくりによる地域資源の再編集と、価値創造に取り組む。2022年10月に会社から独立し、街づくり事業などを行う株式会社マチノタネ代表取締役に。2023年4月、川崎市議会議員に立候補し当選。

地元に居場所がなかった学生時代

現在、議員となって活動する川崎。かつては、生まれ育ったその街に居場所がなかったと那須野さんは振り返ります。

「兄弟はおらず、幼い頃から一人で黙々と遊ぶことが好きでした。いつも周囲から浮いているような気がして、コミュニケーションの仕方がわからず、小学4年から中学3年までの6年間はいじめを経験しました。学校で靴を濡らされたり、画鋲を入れられたり。そんな日常を過ごしていた地元は、私にとって孤独を感じる居心地の悪い場所でした」

苦しい記憶が拭えない場所と距離を置くように、高校は都内に進学。がらりと環境を変えると新たな友人もでき、それまで自分が思い悩んでいた状況が、世の中のすべてではなかったと那須野さんは気づきます。そして次第に、人との関わりをさらに広げてみたい、学校の外にも自分の居場所を作りたいと思うようになりました。

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高校2年生になったある日、「高校生 ボランティア」とインターネットで検索した那須野さん。そこから参加したボランティアのつながりで、国内外で街の清掃活動を行うNPO法人グリーンバードと出合います。

「ホームレスを経験したという人や、IT社長、障がいを持つ幼い男の子。朝の約1時間で老若男女さまざまな人と一緒にゴミを拾いながら会話をすることが、とても新鮮でした。学校という閉ざされたコミュニティから出て、性別や年齢、職業、気質の違う人たちと接することで、当たり前ですが、人は一人ひとり違って良いということ、だからこそ価値があるということを身をもって理解できたのです」

那須野さんにとって、ゴミ拾いというツールを通してさまざまな人と話すことは、周囲と異なる自分自身を受け入れ、認めることでもありました。都内でのゴミ拾いの活動に力を注ぐ中、高校3年生のときに自ら川崎市内の武蔵小杉でチームを立ち上げてリーダーとなります。

「武蔵小杉駅は、毎日通学の乗り換えで使う場所でした。あえてそこにチームを立ち上げたのは、それまで地元から逃げてきたという、後ろめたさのようなものがあったから。自分が日常を送る場所だからこそ目を背けず、今一度誰かとつながれる場所を作りたいと思ったんです。

ゴミを拾いながら街に目を凝らしてみると、そこに暮らす人たち、そこで営まれている生活が見えてくるような気がしました。そうやって街を知ることで、好きじゃなかった地元に少しずつ愛着が生まれていきました」

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「川崎、捨てたもんじゃない」

ゴミ拾いを通して地域に目を向ける中で、街づくりに興味を持つようになった那須野さん。大学に進むと、川崎の課題解決や魅力の発信につながるイベントやプロジェクトを行う一般社団法人の活動に、学生スタッフとして携わることに。そこで川崎の面白さに改めて気づきます。

「川崎はよくベッドタウンといわれますが、私にとっても夜眠りに帰ってくるだけの街だったんです。遊びに行くのだっていつも都内で、地元で過ごすという発想がなかった。だから、街に対して思い浮かぶイメージといえば、コンクリートの建物が並ぶ風景くらいでした。

ところが、街おこしに関わる中で、地元を面白くしようとするかっこいい大人がたくさんいることを知ったんです。他の地域から引っ越してきて川崎の良さを発信しようとする人や、昔からそこに住んでいて地域をより良くしたいと試行錯誤する人など、地域を愛してやまない人たちが実はこんなにいたのだと。

消防士やクリエイター 、地主さんなど、地元にいるさまざまな職業のプロフェッショナルが集まって、それぞれの視点で楽しみながら街を盛り上げようと奮闘する姿に憧れました。みなさんこちらが尋ねていなくても、ものすごく熱心にいろいろなことを教えてくださって。無機質だと思っていた場所は、自ら関わりを持とうとすることで、いつしか人の体温の感じられるあたたかな場所になっていたんです。川崎捨てたもんじゃないな、と初めて思いました」

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再開発で新しく移住してくる人たちもいれば、古くからこの土地に住んでいる人もいる。人も施設も新旧入り交じる、多様な文化が共存する街の魅力に那須野さんは気づきます。知れば知るほど、自分たちの手でそれらを価値あるものとして再編集して、発信したいという思いが強くなっていきました。

那須野さんはここで出会った仲間とともに、武蔵小杉駅構内で地元野菜や加工品を販売するマルシェ「カワサキノメグミ」を催したり、市内の畑で飲食や音楽ライブをする「農園フェス」、多摩川でアウトドアを楽しみながら防災スキルを学ぶ「TAMAGAWA CAMP」など、あらゆる取り組みを行いました。

若者の声をなかったことにしない

大学を卒業後、那須野さんは広告代理店で働きながら、ゴミ拾いや街づくりの活動を続けていました。地域に深く関わる中で、街の魅力を再発見していくと同時に、そこにある課題を自分ごととして捉えられるようにもなっていったと言います。中でも強く感じたのは、街づくりに若い世代の声が反映されていないという課題でした。

そこで2021年4月、那須野さんは25歳以下の若者たちが参加できる地域密着プラットフォームを立ち上げます。これは、川崎に関心のある若者たちが情報交換をしたり、プロジェクトを立ち上げたりするための、ゆるいつながりの場。那須野さんを含めて23名が発起人となり、現在は120人のメンバーが在籍。団体のリーダーは置かず、プロジェクトごとに挙手制で集まり、その中からリーダーを決めます。そして、川崎でチャレンジしたいことや課題だと感じていることをそれぞれ持ち寄って、活動をしています。

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「キックオフ当時はコロナ禍で、特に若者たちが地元の人たちとの接点を持ちにくい状況にあると感じていました。だからこそ、同世代や自分より若い人たちをエンパワーメントしたいという思いもありました。

若者はしたいことやアイデアはあるけれど、お金も人脈も経験もない。だから、意見があっても、その声が社会に届かないまま消えていくことも少なくないのではと。それならば、チームとして取り組むことで、力を結集させて社会を動かせたらと考えたんです」

この活動が注目され、その後川崎市から協業の申し出も。市民の環境意識向上のための絵本を作ったり、地域振興のイベントに出展したり、メンバーそれぞれの課題感が形となって社会に反映されていきました。

25歳となった今、自身もこの活動の「定年を迎える」と話す那須野さん。次の世代にバトンを渡して、コミュニティ内の新たな循環を作っていけたらと考えています。

声をあげても届かぬ現実を変えたい

そして今年、地域の課題をさらに解決していく手段として、那須野さんが選んだのが政治の道でした。2023年4月の地方統一選挙に初出馬し、川崎市議会議員に当選。立候補した理由を尋ねると「もどかしさがあったから」と話します。

「地域で出てきた課題や困りごとを実際に解決しようとしたときに、きちんとそれが市政に届かなければ、本当の意味で現状を変えることはできないという実感がありました。

例えば、先ほどお話しをした25歳以下の若者たちによる地域密着プラットフォームのプロジェクトで、メンバーたちが市に対して政策提言をする機会があったのですが、その後結局何も実状は変わらなくて。自分たちの声が届いていないと感じました。

まずは意見を吸い上げる窓口となる人が、若者に対する理解や、時代に即した視点を持っているべきだなと。それならば、地域に暮らす当事者の一人として、私自身がその役割を担えば良いんじゃないかと思うようになりました」

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このとき、学生時代にいじめに遭っていた経験も那須野さんの背中を押しました。

「当時、学校評価アンケートで、何度も『助けてほしい』と書いたけれど、誰もその声に耳を傾けてはくれなかった。その頃の自分と同じように、声をあげても届かないもどかしさを抱える人を少しでも減らしたいという思いもありました。自分が議員になることで、小さな声であっても確実に拾い上げたいと考えました」

当事者意識が人を豊かにする

初めての選挙は何もかもが手探りだったと振り返る那須野さん。

「自分がこれまで経験してきた学校の受験や就職活動と違い、選挙においては何をすべきかもわからず、最初は不安でした。ですが、これまで自分が大切にしてきた地元の人たちの声やつながりを一番に信じようと思ったんです。

私にできることはとにかくここに暮らす人たちの声に耳を傾けること。そう考えると、街宣車でぐるぐる回ったり、SNSで発信したりするだけでは、困りごとは拾えない。だから対面で話すことにはこだわっていました」

9日間の選挙期間では、1日3万歩、街中をくまなく歩いた那須野さん。困りごとを相談してくれる人や応援してくれる人に出会う度、問題意識を共有できる地域の仲間が日に日に増えていくような感覚があったと話します。

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「今後は、もっと身近に地域と政治がつながれるような環境を整えていきたいです。これまで私自身、政治家というのは、選挙期間にしか会えないようなイメージを持っていました。でもやはりそうではなくて、困ったときに気兼ねなく頼ってもらえるような、日常の中にいる存在になりたいんです。そのためにも、後援会活動の他に、地元の方々と普段から顔を見て話せる場を設けていきたいと考えています」

「政治家になりたかったというより、地元が好き過ぎたと言う方がしっくりくる」と那須野さんは笑います。まずは自分の足で一歩踏み込んで、知ること。そこから生まれた目の前の人やものに対する愛着や当事者意識が、新たな出会いや挑戦を生み、那須野さんの人生を豊かなものにしてきました。

「この先もこの街に暮らす当事者の一人として、街で起こっていることや人々の声に目を向け続けていきたい。そこから自分なりに考え行動していくことで、多様な人たちがそれぞれにいきいきと生きていけるサポートができたらなと。そして、川崎に住んでいてよかった。誰もがそう思える街にしていきたいです」

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  • 取材・文木村和歌菜

    写真Yuki Arai

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