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知る、つながる、はじまる。

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自分の感性にもとづく問題意識が、大きな熱量となり社会を動かす #豊かな未来を創る人

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27歳で初めて衆議院議員となってから、20年近く政治の道を歩んできた寺田学さん(比例 東北)。政治信条は、自分の感性にもとづいて問題意識を持つことです。誰かに与えられた課題ではなく、自らの視点で社会に埋もれた小さな声を拾い上げていくこと。それが、誰も取り残さない社会を作るために大切だと、寺田さんは語ります。繰り返し自分に問うてきた政治家という仕事をすることの意味や、この先の政治において必要だと考えることを聞きました。

寺田学(てらた・まなぶ)

立憲民主党
1976年、秋田県横手市生まれ。横手高校、中央大学経済学部を卒業後、三菱商事に入社し、海外事業の拠点作りに参画。2003年、秋田1区から衆議院議員に初当選。現在は6期目。国会では財務金融委員会、外務委員会の筆頭理事を務め、政府では内閣総理大臣補佐官に二度就任。内閣総理大臣補佐官のときには、震災対応や雇用対策、待機児童対策、行政改革や社会保障の充実などに取り組んだ。秋田港の日本海側拠点港湾指定や日沿道の全線開通、卸売市場や太平低温倉庫の整備などを実現。2013年、落選中に息子を授かり、育児に専念して主夫となる。翌年の再選後は、在外公館や海外進出企業の環境改善などの外交地盤強化と併せて秋田産品の海外展開にも寄与。ライフワークの一つである「教育の多様化」では、超党派議員連盟の事務局長として不登校やフリースクールの支援を通じ、多様な教育機会の確保のために奔走している。妻と息子の3人家族。

政治の慣習を変えたい

寺田さんが政治の道に足を踏み入れたきっかけは、大学時代の先輩から「政治家になりたい」と相談をされたことでした。政治家である父の姿を間近で見てきたからこそ、政治家を目指す先輩に大反対したといいます。

「僕の父は地元秋田で市長や知事をしていたので、政治家という仕事を長年近くで見てきていたんです。世間からは事実ではない情報によって批判され、取り組んだことがダイレクトに評価に結びつくわけでもない。選挙だって結局のところ、政策や人柄ではなく、人脈や肩書きが物を言ったりもする。

政治の世界でいくらがんばっても、そこに意味の無さのようなものを感じていました。あまりに理不尽で、理想から遠い世界だからやめた方が良いと、夜を徹して力説したんです。

すると先輩から『それほどおかしいと考えているならば、寺田が自分の手で政治の世界を変えるべきなんじゃないか』と言われました」

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その言葉で、遠ざけてきたはずの政治に対して、自分が思い描く理想が確かにあることに気づいた寺田さん。自らが政治の担い手になると決め、政治の世界に飛び込みました。初めて選挙に立候補し、当時全国最年少だった27歳で、衆議院議員となります。

「政治の慣習を変えたいという、大きな使命感に突き動かされていました。『次世代からの提言』をスローガンに、20代の当事者として、これからの時代に必要な政治を堂々とやっていくべきだと本気で考えていました」

議会は700通りの感性を持ち寄る場

国会議員となり、政権交代や総理補佐官として東日本大震災の原発事故対応などを経験をした寺田さん。36歳のとき、初めて選挙で落選します。その後、子どもが誕生し、しばらく育児と家事に専念することに。政治の現場から離れた中で、改めて政治家として仕事をすることの意味について考えたと言います。

「それまでは社会を変えていく大きな流れの中で、自分がその一翼を担っているという実感を持って、無我夢中で走ってきました。けれど、落選を機にふと立ち止まったことで、政治において自分にしかできないことは何なのか、問うようになったのです」

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生まれたばかりの息子と。オムツを替える、ミルクを作って与える、なんとか寝かしつけたらまた泣く...の無限ループだった日々。(本人提供)

自問自答を繰り返しながらも、日々進められていく財政問題や原発政策、安全保障問題などの対応に疑問を感じていたと言う寺田さん。子育てをする一人の親として、次の世代のために行動すべきだと考え、再び国政に挑戦することに。子どもが1歳になった頃、2年間のブランクを経て選挙に出馬し、衆議院議員として復帰します。そして、さまざまな政治課題に取り組む中で、落選後から抱えてきた自らの問いに対して、一つの答えにたどり着きます。

「政治において、自分という人間がそこに介在する意味は何か? 日々考え続けた末に、ある日すっと行き着いた自分なりの答え。それは、自分の感性に基づいた問題意識を持つということでした。自分にしか聞こえない人々の声に耳を傾け、課題をすくいあげる。そこに、他の誰でもない自分が政治活動をする意味があると感じました。

国会にはおよそ700人の議員がいる。つまり議会は、700通りの感性の集合体なのです。それぞれ多様な感性を持ち寄ることで、これまで見えてこなかった社会の矛盾や歪みを顕在化させ、解決していくことができるのではないかと思いました。

例えば年金や外交問題など、議会で常に活発な議論が交わされている課題について、政治家が真摯に取り組むことは大前提です。けれど、そうした大勢が関心を寄せるテーマだけを見ていると、埋もれてしまう小さな声が必ずある。僕たちは自分なりの視点でアンテナを広げ、そうした小さな声をきちんと拾い上げていく必要があるのです。それが結果として、誰かを取り残すことのない社会を作っていくことにつながるのだと考えています」

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個人的なことは全て政治とつながっている

社会にはあらゆる課題があるからこそ、何を政治で解決すべきなのか精査していくことが、政治家としての大切な役割だと言う寺田さん。そして、だからこそ一人ひとりの議員が感性をアップデートし続ける必要があると話します。

「私たちが困ったり、憤りを感じたり、そうした日常の営みのすべては政治と関わっています。家族のこと、仕事のこと、健康のこと。個人的な悩みは、実はすべて社会につながり、政治につながっている。その一方で、それらすべてのことを政治という手段で解決すべきかというと、そうではないと僕は考えています。

そもそも政治の役割というのは、ルールを設けたり予算をつけたりして、世の中をあるべき方向に導いていくこと。ですが、すべてをルールで縛れば社会が居心地の良い場所になるわけではないと思うのです。

ちょうど先日、9歳になる息子が何気ない会話の中で『それって法律作っちゃえば良いじゃん!』と言ったんです。でも、ルールを増やせば増やすほど、社会全体が思考停止に陥り、『ルールにないことは、しても良い』という風潮が生まれてしまう可能性もあります。そうではなく、成熟した国家では本来個人が主体的に考え、その国の文化や慣習の中で、あるべき状態を模索していくことが望ましいと思うのです。

だから、何に対しても政治が出しゃばれば良いわけではない。世の中のどんな課題に対して政治という手段を用いるべきなのか、本当に政治の力を必要としている人はどこにいるのか。それを議員それぞれが、日々感性を研ぎ澄ませながら見つけていくことが大切です。そうやって自分の内側から湧き出てきた強い問題意識が熱量となり、物事を動かす大きな力となっていくのだと思います」

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沖縄にあるフリースクールの代表と。不登校の時期もあった自身の経験から、一人ひとりの個性に合わせた多様な学びを支援することがライフワークの一つ。(本人提供)

社会的な決定層の偏りが生む歪み

寺田さんは今、政治家として「音楽の自由を守る」「学びの自由を守る」「性犯罪をなくす」という3つのライフワークを掲げています。そのどれもが、これまでの経験や価値観から育まれた、寺田さんの感性に根ざしたテーマだと言います。

中でも性犯罪の根絶については、2021年から党の座長としてワーキングチームを立ち上げ、性犯罪に係る刑法改正に向けて取り組んできました。当事者たちが上げ続けてきた声やそれに対する世論の高まりもあり、2023年7月には刑法改正が実現。この課題に取り組む中で、これまで政治に届いてこなかった、たくさんの声なき声に触れたと言います。

「取り組むきっかけは、友人の娘さんが性被害に遭い、相談を受けたことでした。警察に訴えても、当時の法律では加害者を適切に処罰することが難しかったと聞き、同じ子どもを持つ親として強い憤りを覚えました。

実態を把握するために被害者や支援団体の方々の声を何度もヒアリングする中で、これまでの長い歳月の中で、被害にあっても泣き寝入りするしかなかった女性たちが数えきれないほどいたこと、そして、そこには想像を絶する苦しみ、時間が経っても癒えない深い傷があることを初めて知りました。

一方で、それを罰するための刑法に目を向けると、あまりにも男性にとって優位な理屈の上に成り立つ法律であること、そして、それが女性の感覚と乖離していることに驚きました。これまでの法律の問題点とあるべき形をきちんと議論して、男女の圧倒的な認識のズレを是正する必要があると感じたのです。

そもそもこの性犯罪の刑法に限らず、これまで社会的な決定層が男性ばかりだったことによる歪みが、今の社会のいたるところにあります。だからこそ、政治の世界に、性別や年齢、社会的背景を問わず、多様な人たちが参加していくことが、社会の実態に即した制度を作る上で大切なのです」

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性犯罪に係る刑法改正が施行された後、性被害当事者の団体の方々と。(本人提供)

社会に潜む小さな声を拾い上げる

今後は、政治の世界に新しい人材が入ってこられるような制度や仕組みを整えることも、自分の役目の一つだと寺田さんは考えています。

「僕も含めて、常に政治の担い手が入れ替わっていくことが、あるべき状態ではないかと。20代から政治家になる人もいれば、70代から始める人がいたって良い。多様な感性が活かされることが、大切だと思います。

政治の世界に飛び込んでから20年。『政治家になりたかったわけではない』という気持ちは、当初から変わっていません。政治家であり続けることが重要なわけではなく、自分が疑問に感じたことを変える手段として、たまたまこの職業を選んだだけなのだと感じています。

社会の陰となった場所で『助けてほしい』という声も上げられず、一人で苦しんでいる人を見つけ出すこと。そして、その声に寄り添い解決していくことにこそ、政治に携わる価値を感じます。

『あなたならわかってくれると思った』と言ってもらえること、誰かの力になれたという実感が大きなやりがいであり、この仕事を続けてきた理由です。この先も政治家として、自分の内側にある感性に真っ直ぐ向き合っていきたい。それが、自分の外側にある社会に潜む小さな声に向き合うことでもあり、誰もが生きやすい社会を実現することにつながっていくのだと信じています」

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  • 取材・文木村和歌菜

    写真西田優太

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