SDGsの「S」と、75歳オーバーのばあちゃんたちがイキイキ働くローカルベンチャー
右も山。左も山。そのあいだをうねうねとした細い道が行く。福岡県うきは市は、大分県との県境近くにある自然豊かな農業のまちだ。ブドウ、イチゴ、ナシ、カキ、モモなど、一年中採れるフルーツが特産品という。
うきは市のもう一つの特徴は、進む高齢化。27000人弱の総人口に占める65歳以上の割合(高齢化率)は35.6%と、全国平均(29.0%)と比べてひときわ高い。要するに、3人に1人以上は高齢者ということになる。
そんな高齢化の進むまちに居を構える創業5年のベンチャー企業・うきはの宝は「75歳以上のばあちゃんたちが働く会社」として全国的に注目を集める。人口減少による労働力不足の懸念から、まだまだ元気に働ける高齢者をいかに包摂するかは日本が抱える喫緊の課題。そのモデルケースとして、代表の大熊 充(おおくま みつる)さんには講演依頼が絶えない。
実は、SDGsの17の目標および169のターゲットに、高齢化社会の問題を真正面から扱ったものはない(スローガン「誰も置き去りにしない」に照らせば、関係するのは間違いないが)。大熊さんが同社を立ち上げたのも「あくまで地元のばあちゃんたちが抱える課題を解決するためであって、SDGsは念頭になかった」という。
では、なぜ今回うきはの宝を取材するのか。それはSDGsの「S」について改めて考えるためだ。どんなに高い志を持った活動も一過性で終わってしまっては意味をなさない。どうすれば持続的に課題と向き合い続けることができるのかを考えたい。
それこそがまさに、大熊さんがうきはの宝を作った背景にある問題意識でもあった。
ばあちゃんたちの「孤立」と「困窮」を解決する
ばあちゃんたち(大熊さんによる愛情たっぷりの呼び方にあえて倣おう)が元気にイキイキ働く会社として、うきはの宝は創業直後から注目を集めた。
最初に始めたのは、ばあちゃんたちが地元の郷土料理を振る舞う食堂。続いて編み物ブランド、惣菜の製造・卸、伝統技能のワークショップなど。いずれもばあちゃんたちが得意なこと(知財)を仕事にしているところに特徴がある。
11月にスタートした新サービス「ばあちゃん新聞
」は、こうしたばあちゃんたちが持つ知財をより直接的に届ける目的で創刊した。
「日々ばあちゃんたちと接していると、すごく深いことを言ってるんですよ。わかりやすいのは戦争体験。ほかにも土地に根付いている風習だったり考え方だったり。その時々で楽しく聞いてはいるけれど、僕だけに留めておくのはもったいない。商売にすれば、それを残せるんじゃないかなって」(大熊さん)
創刊号は、支援者の力も借りて全国30人以上の高齢者に取材して発行した。ちなみに、題字を書いたのは書道が趣味の85歳。現在はまだ大熊さんが編集長を務めているが、タウン誌編集の経験がある「ばあちゃん編集長」候補も後に控えるという。
地元出身の大熊さんは、2019年にうきはの宝を創業する前、地域の高齢者の無料送迎サービスを運営していた(サービス名は「ウーバー」ならぬ「ジーバー」)。のべ3000人の高齢者とやりとりをする中で見えてきた二つの大きな課題が「孤立」と「困窮」だった。
「一人暮らしが多いし、家族と一緒でも孤立しているという人もいました。多くの人が口にするのが年金プラス2〜3万円あると生活が楽になる、ということ。だから体が元気なうちは働きたいと思っているんだけれど、75歳以上が働ける場所が全然ないということがわかってきて」
「働きたいが、働ける場所がない」という彼女たちが働くための場として作ったのが、この会社だった。だから目指したのは、ばあちゃんたちの「生きがい」と「収入増」の両立。そこから考えると、ばあちゃんの得意とか「やりたい」気持ちありきで仕事を作るというのは自然な発想だったという。
「まず食堂から始めたのは、たまたま料理が得意なばあちゃんが多かったから。その後体制やプロダクトはいろいろ変わりましたけど、目的だけはずっとブラさずにやってます」
コロナの影響、派閥争い。規模は小さくなったが......
うきはの宝の事務所は、もともと保育園だったという敷地にある。取材当日は2人のばあちゃんが調理場に立ち、地元産イチジクを干したものをハサミで細かく切る作業をしていた。パンケーキの具として使われる予定という。
「まー、遠いところから、わざわざありがとうございます」
そう言って手製の大福を振る舞ってくれた内藤ミヤコさんは87歳。サツマイモ入りのパウンドケーキを作ってきてくれた内山ケイ子さんは82歳。ともに料理好きでおしゃべり好きというお二人の、心身の健やかさにはただただ驚かされた。「ばあちゃんたちがイキイキと働く会社」という看板に偽りはないようだ。
しかし、正直なことを言えば、事前のイメージからするとやや肩透かしを食らった感じも否めなかった。過去記事には「最大20人のばあちゃんがそれぞれ異なる個性を発揮して働く」とあった。現在のレギュラーメンバーはこの日の2人を含めた計5人。その他に不定期で関わるばあちゃんが数人いるものの、一時期よりはだいぶ規模を縮小して活動しているようだ。
それにはいくつかの理由があった。
一つは、拙速な採用拡大の見直し。送迎サービスを運営していた大熊さんは市内のほとんどの高齢者と知り合い。だから大熊さんを慕って「働きたい」という高齢者は山ほどいる。希望に応えたい大熊さんは採用を拡大、最大で20人の大所帯になった。
ところが拙速な拡大がばあちゃん同士の派閥争いにつながり、収拾のつかない事態に。外から見ていたのではわからない人間関係は大熊さんにとって学びになった。
「表面上は普通に会話しているから、てっきり仲がいいものかと勘違いしてしまって。実際は住んでいる地区が違うというだけでバッチバチなんですよ。僕からすれば意味不明なんですけど。結局、揉めごとの中心にいた人が自然と去るようなかたちで収束しました」
話題を呼んだ食堂も、コロナウィルスの影響で閉店を余儀なくされた。しかし、悪いことばかりではない。いくつかの"失敗"を経たことで、現在のばあちゃんたちは精鋭揃い。コミュニケーションが円滑で、お互いの関係も良好だ。また、利益率の高い事業に絞った結果、規模としては小さいがうまく回っている。
コロナ直撃で赤字だった1期目を除けば毎年黒字。大熊さんも「これ一本で食っている」。
ある日突然ハシゴを外すようなことはしたくない
うきはの宝がこの5年で経験してきたようなトラブルはビジネスにつきものかもしれない。高齢者の雇用を生むだけなら非営利でやる手もある。
だが、大熊さんはビジネスであることにこだわっている。マルシェに出店するとなれば「売上ノルマは6万円!」などと言って、ばあちゃんたちにプレッシャーをかける。日常から数字が飛び交う。「ぬるいことをするつもりはない」という。
大熊さんがビジネスにこだわるのは、持続可能性を考えてのことだ。うきはの宝創業以前は、困りごと解決のボランティアもしていた大熊さん。そのときの反省が今の活動に反映されている。
「その活動で助かる人はたくさんいたし、感謝されるから、自分としても気持ちがいい。でも、本業のデザイナー活動で貯めた自己資金を投じる活動には、いずれ終わりがやってくることがわかっていました。ちょっとのあいだだけ助けて気持ちよくなって終わりでは、結局自己満足なんじゃないかという葛藤がありました」
うきはの宝を立ち上げて忙しくなったことやコロナ禍があり、このボランティア活動は実際に止めざるを得なくなった。利用者だった高齢者からは、その後も助けを求める電話がかかってくるという。
「僕以外の人と接点がなかったり体も悪かったりして、この会社で働くばあちゃんたち以上に孤立した人たちなんで。電話がかかってくるたびに、やっぱり心が痛みますよ。関わったせめてもの責任として、今は大熊充個人としてケアし続けてるんですけど」
かくして持続可能性は、大熊さんの主要な関心事に。社会起業について学び直し、ビジネスとして課題解決に再挑戦することにした。
大熊さんが考えるビジネスとは仕組み化だ。仕組みがしっかりしていれば、自分が倒れても他の誰かが続けることができる。
某アイドル事務所に倣って考案した「Jr.システム」も、持続性を担保する仕組みの一つ。うきはの宝では、75歳以上のばあちゃんのサポートを75歳未満の「ばあちゃんJr.」が行っている。「Jr.」は年が経てば自動的に「ばあちゃん」に昇格するから、半永久的。実際、現体制のリーダー的存在である国武トキエさんは、5年前の創業当時は「Jr.」だった。
仕組み化できれば、爆発的に広がるのがビジネス
内閣府の「高齢社会白書」(2023年版)によると、22年10月1日現在、総人口に占める65歳以上の割合は29.0%で、75歳以上は15.5%。人口に占める労働者の割合は65〜69歳が52.0%なのに対し、75歳以上は11.0%にとどまる。
厚生労働省の調査(22年6月現在)では、70歳以上でも働ける制度を設ける企業は39.1%。21年4月には、70歳までの就労機会確保を企業の努力義務とした改正高年齢者雇用安定法が施行され、国も環境整備に本腰を入れ始めたが、なかなか進んでいない現状にある。
大熊さんが考える、高齢者の雇用がなかなか進まない理由の一つは、"平等"な国の制度のあり方という。雇用保険に加入できるのは、週平均20時間以上の労働が条件で一律。一方、ばあちゃんたちの体力を考えると週8〜15時間労働が目安だから、雇用とは見做されない。
「最低賃金も一律ゆえに、お互いが望んでも働けないケースもあります。多様な人が輝く社会を目指すなら、ルールも多様である必要があるのでは?」と、大熊さんは国に継続的に働きかけている。
高齢者の雇用が進まないもう一つの理由は、本気で取り組むリーダー(大熊さんのポジションを担う人)がいないこと。
大熊さんのもとには、うきはの宝の噂を聞きつけた全国の自治体、企業、起業家予備軍、地域おこし協力隊などからコンサル・講演の依頼が絶えない。だが、うまくいかないことも多いのだという。
「象徴的なのは自治体主導のケース。町や村としては高齢者が活躍する場を作りたい。けれども、結局誰が継続して運営するのかが決まらないんです」
となると、本気度が低くても成り立つような再現性を持った仕組みの必要性は増す。逆に考えるなら「しっかりと仕組み化できれば、直接関われない人の助けになる可能性もあるのがビジネスの醍醐味」と大熊さんは言う。
うきはの宝が掲げるビジョンは『75歳以上のばあちゃんたちの雇用を直接的、間接的に500人以上創っていく』というもの。その実現のためには、導入したら翌月から収益が上がるというレベルにまでビジネスモデルを磨く必要がある。
「僕は今43歳なんですけど、45歳までに仕組みを作れなかったらやり方を変えようと思ってます。今の形でチャレンジするのは、あと2年。だって、通算したら7年ですもん。7年もやって形にもなっていないんじゃ、永遠にできないんじゃないかとも思うので」
迫る「ばあちゃんを隠す」べきタイミング
うきはの宝"本店"としても、もっとスケールして説得力を持たせたい。目標は高く、年商1億円(現在の約5倍という)だ。
そのための商品アイデアはたくさんある。現在開発中なのが「ばあちゃんプロテイン」。ヨモギ、ドクダミなどの地元で採れる野草やフルーツからプロテインを混合した商品で、タンパク不足の高齢者をターゲットに見込む。
試作は終わっており、現在は量産に向けた課題と向き合う。「プロテインひろこ」「ハーブ王子」といった有名人にも協力を仰ぐ、肝煎りのプロジェクトだ。
一方、こうした新商品の構想と並行して、先々の戦略として「ばあちゃんを隠す」ことも話し合われているのだという。「イキイキとしたばあちゃんたち」で知られるうきはの宝が「ばあちゃんを隠す」とは、一体......?
「これまでのうきはの宝は取り組み、つまりはコトを前に出すことでメディアに多く取り上げてもらい、共感した多くの人に応援してもらってました。でも、それがお金につながらないという課題があって。NHKの番組で特集されたときが象徴的。数千件の電話が来たんですけど、そのほとんどは"中高年の悩み相談"で、むしろ営業に支障をきたす状態になってしまったんです」
これからも取り組みを伝えていく必要はある。だが、コト消費からモノ消費に変えていかないといけない。モノとしてのクオリティを磨き、「モノから入った人にコトにも関心を持ってもらう」という、これまでとは逆の流れを作りたい。これが大熊さんの考えのようだ。
いくらいいことをやっていても、モノが弱いと再現性も、持続可能性も持たせられない。やはり常に「ビジネスをやっている」という考えを念頭に置く必要がある。
社会に対してものを言う以上は結果で示したい
ところで、大熊さん自身はなぜこんなに大変なことに本気で挑み続けるのか。持続的な活動のためには、取り組む当人のモチベーションも持続的であることが不可欠のはずだ。
大熊さんのキャリアを振り返ると、もともとは叩き上げのデザイナーだ。以前は商業デザインの世界にいて、「ただただ儲けるためにデザインをやっていた」という。
「結果を出せなければ即クライアントから切られる世界。そのために企画もデザインも毎回死ぬ思いをして捻り出す。一方でエンドユーザーと直接関わることはほとんどなかった。そんな世界に虚しさを感じて、もっと直接人のためになることをやりたくなりました」
そんな大熊さんを突き動かす一番の原動力は、ばあちゃんたちの笑顔だ。
「きれいごとに聞こえるかもしれないですけど、幸せなのは、誰かに必要とされているとき。今はばあちゃんたちに必要とされていると感じるんで、幸せですよね」
大熊さんとばあちゃんたちの関係は、「経営者と従業員」といった一面的なものではない。ばあちゃんたちに何かを施すという一方的なものでもない。時にはばあちゃんたちに説教され、つっ込まれ、そのことによって元気をもらってもいるという大熊さん。その関係性は見ていても伝わってくる。
「ばあちゃんたちと知り合い、一緒に働き、学園祭に出店して、お客さんに喜んでもらえて......それだけで満足。個人的にはこのままスケールしなくても構わない」という大熊さんが、それでも頑張っているのは意地でもある。それは「社会に対してものを言っている以上は結果で示したい」という意地だ。
「もともとがデザイナーだから、課題ありきの課題解決思考。誰かが喜ぶとか、誰かのためになるとかで力が出るタイプなんです。逆に言えば、自分自身がやりたいことは何一つないんですよ。あえて言うなら、ラーメン屋か、宿をやってみたいかなあ。 でも、それも何かをなし得てからの話ですよね」