「震災でできた1億円以上の借金をどう返すか。それだけを考えた」石巻で出会ったフィッシャーマン
2018年、4月上旬。
Gyoppy! プロジェクトが始まったばかりだったその頃。筆者は今以上に漁業や海のことに詳しくなく、好奇心だけを携え、手探りのまま石巻の地に足を踏み入れることになる。
大きな目的は"漁業をカッコよく"をコンセプトに集まった東北の若手漁師集団「フィッシャーマン・ジャパン」の漁師、阿部勝太さんと鈴木真悟さんに話を聞くこと。
ふたりはなぜ、被災地である石巻で漁師をやり続けるのか?
なぜ、フィッシャーマン・ジャパンをやる必要があったのか?
そのことと震災は、どのように関係しているのか?
そんな問いかけを胸に秘めつつ、東京駅から新幹線に飛び乗り、石巻へと向かった。
ヤフーと石巻のつながり
宮城県石巻市。
東京駅から東北・北海道新幹線を使って仙台駅まで2時間、そこから仙石東北ラインの快速を使ってもう1時間。約3時間ほどで石巻駅に到着する。
Gyoppy! チームはこの日、昼過ぎ頃に「ヤフー石巻復興ベース(以下、石巻ヤフー)」に集合。
石巻ヤフーがあった場所は、もともと日刊紙「石巻かほく」を発行する三陸河北新報社のオフィスだった。
役員フロアだった一階は津波が押し寄せ、震災の当日は濁流が流れ込み、内装は破壊された。
その様子は、同社による本に残されている。
三陸河北新報社の「ここを復興の拠点にしたい」との呼びかけに応じて、ヤフーは2012年7月に「ヤフー石巻復興ベース」をオープン。ヤフーの「復興デパートメント(現在の「東北エールマーケット」)」が生まれたのも、この石巻ヤフーがあったことがきっかけのひとつだ。
当初は「東北のために何かやりたい」という方々と共創する形で、地元企業やNPOにも使ってもらうというコンセプトだった。
そのコンセプトは今、ヤフーの本社内にあるコワーキングスペース「LODGE」にも受け継がれている。
漁師が会社をつくるのは珍しい?
石巻ヤフーをあとにした一行は、フィッシャーマン・ジャパン代表理事の漁師・ 阿部勝太さんの会社「浜人(はまんと)」へと向かう。浜人は、肉厚のわかめとこんぶ、生きたまま届く甘みを濃縮したホタテを生産している会社だ。
浜人がやっていることは、漁業界でいい事例になっている。漁師は個人事業主が多いが、勝太さんは、自身が生まれ育った石巻市の十三浜(じゅうさんはま)において、その地に根付く5つの家族で一緒になって会社をつくり、経営しているのだ。
- 勝太さん
- 「漁師は体調を崩して自分が働けなくなったら、稼ぎが一切なくなってしまうんです。法人化して、仲間ができたのが、会社をつくった大きなメリットでした」
- 勝太さん
- 「でも、正直な話、海上で労働する上では、法人化する大きなメリットなんかないんです。最初はただただ、もうけなきゃっていう思いが大きかった。お金のことしか考えていなかったですね」
勝太さんは社内にチームをつくり、シフト制を導入したことで、働き詰めになりがちな漁師たちが交代で休めるようにした。
1億円以上ある借金をどうやって返すかだけを考えてた
震災によって自前の船や設備が失われ、再投資により1億円以上の借金ができたことで、勝太さんは「稼ぐこと」を考え抜くことになる。
- 勝太さん
- 「利益をどうやって出すか、1億円以上ある借金をどうやって返すか。ただただそれだけを考えていました。おやじたちも若くないし、震災で体力的にも精神的にもダメージを負っているわけですから。極端な話、労働力があるうちに返さなきゃいけない。ダラダラしているヒマはないんです」
これから十三浜の漁師の労働力が落ちていく中で、どうすればしっかりと稼ぐことができるのか、勝太さんは考え続けてきた。しかし、震災直後はまだまだインターネット上に「稼げる漁師」の情報は少なく、検索してもヒットしなかった。そんな勝太さんは、思わぬところからヒントを得ることになる。
- 勝太さん
- 「いろんなビジネスセミナーに出たんですけど、最終的には農家のセミナーで習ったことが今のビジネスモデルの基となりました。簡単に言うと、野菜をつくって卸すだけで終わりじゃなくて、自分の野菜をブランディングして、自ら販売するBtoCのモデルです。同じ一次産業なんだから、自分たちでも同じようなことができるんじゃないかと考えて実行していきました」
継続した関係性のために、一族経営の会社に卸す
また法人化し、シフトを組んだことで、勝太さんは営業に行く時間を確保できるようになる。これにより自身の足を使って、個人では取引が難しい顧客とも契約を行い、販路を拡大していった。
浜人ではこんぶやホタテの直販売だけでなく、卸売りも行っている。ただ卸すだけでなく、そこにも浜人ならではのこだわりが光る。
- 勝太さん
- 「スーパーや小売店の場合は、一族経営の会社に卸すことが多いです。大手のスーパーだと、ブランドを気に入ってもらっても、担当者が1、2年で変わってしまうことが多い。でもオーナー企業であれば、ブランドを気に入ってもらえたら、継続的に関係性を深めていくことができるんです」
勝太さんが取引先と継続的な関係性をつくること、また、フィッシャーマン・ジャパンとして活動を続ける背景には、震災のあとに起こったことの影響がある。
- 勝太さん
- 「継続が大事なんです。震災のあと、打ち上げ花火はいっぱいやったわけですよ。『あれもこれも』と、いろんな人がいろんなことをやってきた。でも、その中でダメだったものもたくさん見てきて。 目の前の結果も大事なんですけど、長くやることで認知してもらって、定着することが一番大切。だからこそフィッシャーマン・ジャパンは『10年で1,000人のフィッシャーマンを増やす』という目標を掲げています」
新しいことに積極的に取り組み、やり続けることが、「こうやってもいいんだ」という空気をつくり、やがては日本の漁業を盛り上げていくきっかけとなる。自分たちが先行事例となって、少しでも業界の役に立とうと尽力する勝太さんの姿が印象的だった。
漁師の仕事は、新たに何か仕組みをつくって価値を生み出すことが、自身や、自身の会社に直接つながることは多くない。それでも勝太さんは震災をきっかけに「せっかく生き残ったんだから、全国にお世話になった分、誰かのために、何かを残したい」と考えたという。
自分たちの活動が、将来的に自分たちの地域にいい形で返ってくるかもしれない。もしかしたら、自分たちの子どもの世代に返ってくるかもしれない。震災から7年間、ぶれずに取り組んできた勝太さんは、これからも活動を続けていく。
銀鮭養殖のパイオニア「マルキン」
翌日は、フィッシャーマン・ジャパンの最年少メンバーである鈴木真悟さんのもとへ。真悟さんは震災後、父の反対を押し切って地元女川町に戻り、家業を継ぐことに。
株式会社マルキン。現在は真悟さんの祖父が代表を務める、銀鮭の養殖をメイン事業にした会社だ。
天然の鮭は秋から冬にかけてしか獲れないため、他の季節は養殖をしない限り、おいしい鮭を食べることはできない。
そんな鮭を、マルキンは昭和52年に女川町ではじめて養殖を開始、春から夏に生の状態の鮭を各消費地に出荷したことで評価を受けた。真悟さんの祖父は、銀鮭の養殖を定着させたパイオニアだったのだ。
「1円でも安い魚を」に感じた違和感
- 真悟さん
- 「僕はもともと水産業にはあまり興味がありませんでした。大学を卒業してから食の商社に就職したのですが、たまたま配属されたのが、(女川町と同じく宮城県にある)気仙沼の営業所だったんです」
商社に勤め、地元の水産加工会社やスーパーと付き合いをしていく中で、真悟さんはだんだんと疑問を持つようになる。港町にもかかわらず、地元で水揚げされたすべての魚がその地で加工されるわけではなかったのだ。
魚が大量に水揚げされたときは、中国に送ることが真悟さんの仕事だった。中国で加工して、完成したものをまた日本に運び、消費する。
なぜ、そんなに回りくどいことをするのだろう?
その原因は、僕ら消費者にもある。魚の価値が、価格にしか置かれていないからだ。「1円でも安い魚を」と消費者が望むからこそ、バイヤーも水産業者に対し、いかにコストを抑えて安く魚をつくれるかという点でしか評価しない。そうなると、地元企業がいくらこだわっておいしい魚をつくっても意味がなくなってしまう。中国にツテのある、大手企業しか生き残れないシステムが出来上がっているこの状況に、真悟さんは疑問を感じていた。
そして迎えた、2011年3月11日。
- 真悟さん
- 「震災があって、大手も中小も関係なく物流自体がリセットされてしまいました。マルキンはもともと養殖から加工までやってたんですけど、営業力が強いとは言えなくて」
値段重視の時代は、安ければ、養殖から加工までの流れがブラックボックスのままでもいいという考え方が根強かった。しかし、諸外国で薬品の問題や資源管理の問題が取り上げられるようになった今、その考え方は変わってきている。
- 真悟さん
- 「近年は、養殖から加工までの流れを明確化することが当たり前になってきているんです。だったら、養殖から加工まで自分たちでやっているうちの会社にもアピールできるチャンスがあるんじゃないかと思って、震災を機に会社をやめて地元に戻って、漁師をはじめました。正直に言ってしまえば、『稼げるな』と。ビジネスチャンスがあることを確信したんです」
持続可能な漁業に向けて動き出す
真悟さんは、スーパーや一般消費者が求めるものを把握した上で、それぞれのニーズに合わせた養殖業を行っている。時代の空気を敏感に感じ取った真悟さんは、次にASC認証の取得に着手した。
ASC認証とは、地域に配慮して、環境に必要以上に負担をかけずに養殖業を行う会社に対して付与される国際的な認証制度だ。
- 真悟さん
- 「ASC認証は、諸外国だと取っていて当たり前の制度で。ヨーロッパや北米の市場では、認証を持っていないとお店で扱えないという地域もあるくらい。それだけメジャーな認証制度にもかかわらず、もともと資源管理が成されていなかったマーケットなので、日本ではまったく知名度がないんです」
とはいえASC認証制度は2020年の東京五輪に向けて、水産庁を中心に徐々にではあるが話題になってきている。リオやロンドン五輪では、公式の場で提供される海産物はすべてASC認証を取得していなければ、扱うことすらできなかったからだ。
ここでひとつ疑問が生まれる。
魚を養殖するならば、資源管理は不要なのでは?
結論から伝えると、やはり資源管理は必要ということだった。
- 真悟さん
- 「女川町でも、天然の魚の漁獲量は年々減ってきているんです。養殖業自体は、世界的に見ると成長産業ではあるんですけど、養殖業でも育てるためのエサは天然の魚が原料なんです。だから、資源管理と無関係ではいられない。養殖業として一歩先に進むためにも、ASC認証の取得に向けて活動をはじめました」
現在も、真悟さんはASC認証の取得に向けて、持続可能な養殖業を続けていくために動き続けている。
漁業のこれからに何を残せるのか
阿部勝太さんと鈴木真悟さん。おふたりに共通していたのは、震災をきっかけに芽生えた、未来や子どもたちに、何かを残したいという気持ちだ。
漁師の声を聞いていると不思議なもので、自分にも何かできることはないか、考えはじめてしまう。それは、ある種の狩猟民族である漁師のワイルドさやパワフルさが影響しているのかもしれない。
ただ考えたいのは、漁業はビジネスとしても可能性を秘めているという点だ。
Gyoppy! を進行していく中で、取材を重ねてきたが、現在公開に向けて準備中のものも含め、気づいたことがある。
漁師や漁業関係者が口をそろえて話すのは「漁業は成長産業になりうる」ということ。
実際に世界には、漁業が成長している国はたくさんある。
それにもかかわらず、豊富な知見や経験を持っているはずの日本では、斜陽産業として漁業をとらえてきた。
日本の漁業は、これから成長できるのか。
日本の漁業に、未来はあるのか。
潮目を変えるのは、この文章を読んでいるあなたの行動かもしれない。記事を読んで、何かを知るきっかけに、考えるきっかけになってくれたらうれしい。
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文・取材くいしん
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\ さっそくアクションしよう /
「一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン」は、2024年までに三陸に多様な能力をもつ新しい職種「フィッシャーマン」を1000人増やすというビジョンを掲げ、新しい働き方の提案や業種を超えた関わりによって水産業に変革を起こすことを目指しています。