ラグビー日本代表 竹内柊平が次世代に伝えたい、好きな自分と出会えるスポーツの可能性 #豊かな未来を創る人
2027年のラグビーワールドカップ出場を目指して、日々の取り組みに励むラグビー日本代表選手の竹内柊平さん。「日本で最も良い3番」になるために鍛錬を続けながら、自身が感じてきたスポーツが持つ力や可能性を次世代に伝えるべく、地元宮崎でマルチスポーツクラブ「Horizon」を立ち上げました。一選手としてだけでなく、次世代を見据え高い視座を持ってスポーツと向き合う背景には、ラグビーというスポーツに救われてきた経験があるのだと言います。そんな竹内さんに、これまでの自身の経験やスポーツの可能性、次世代に伝えたい思いを伺いました。
竹内柊平
1997年生まれ。宮崎県宮崎市出身。宮崎ラグビースクール、宮崎ラグビースクール中等部、宮崎工業高等学校。ラグビー以外に空手・サッカー・野球・水泳を経験したおかげで割と何をやっても意外と得意。小学生の頃、学校の貸し出しにあったラグビーボールを『ドッジボールで使ったら面白いんじゃないか』という発想で手に取ったところからラグビーキャリアがスタート。子どもの頃は身体が小さく走るのも苦手だったことから、自分より後に始めた子たちに抜かされたり、チームで1人だけ県選抜に選ばれなかったりと辞めたくなるほど挫折を多く経験。周りのサポートもあり高校で徐々に身体が大きくなり、卒業後恩師の勧めで福岡県の九州共立大学へ。1年生からレギュラーで試合に出場。4年時はキャプテンを務め、大学初の大学選手権へと導いた。ラグビーを続けることを考え、プロのチームに入団するためのトライアウトで、ナンバーエイトからPR(プロップ)に転向。見事合格し、大学を卒業後、NTTコミュニケーションズシャイニングアークス東京ベイ浦安に入団し、現在は2022年7月に新たに誕生した浦安D-Rocksに所属。2022年6月、日本代表デビュー。2024年、日本代表スコッド選出。
「日本で最も良い3番」に。遠征を終えた現在地
── 2024年10月は日本代表としてヨーロッパ遠征に参加されていましたが、どのようなことを感じた遠征でしたか?
2年前にも日本代表に選ばれたのですが、その時は後半からしか出場できない試合がほとんどだったので、初めてスターティングメンバ―として試合に沢山出させていただけるツアーとなりました。スターティングメンバ―として試合に出ると出場時間が長いので、その分試合の中で学べることが非常に多かったです。
特に今回は、フィジカルの強い他の国の選手にどれだけ自分が通用するかを毎試合意識してプレーしていました。通用する部分はあったものの、まだまだ改善の余地があると感じましたね。僕は体の強さが武器ですが、他の国の選手はもっと体重が重くて、力も強いんです。また、単純にぶつかる力だけでなく力を入れるタイミングも巧みで、沢山の気付きがありました。2027年のワールドカップにスターティングメンバーで出場するという目標に向けて、ここでの学びを活かしたいです。
── その目標に向けてどのようなことを意識していますか?
ラグビーでは、試合中に小さな反則があったり、密集からボールが出ずに試合が動かなくなったりして中断された際、再開するためにスクラムを行います。各チーム8人の選手が組んで押し合いながら、真ん中に投げ入れられたボールを奪い合うのですが、僕は「3番」と呼ばれるスクラムの最前列のポジションを担っているんですね。ワールドカップに出場するということは、「日本で最も良い3番」として認められることが必要なので、誰よりも良い練習をすることを意識しています。
また、コミュニケーション力を上げて、相手のしてほしいことを汲み取りながらベストなスクラムを毎試合出すことが、3番としてワールドカップに出るための条件だと考えています。
3番は、一緒に最前列を担う1番と2番の力を借りないとスクラムを組めないんです。だから、3番だけが強くても組めないですし、1番・2番はもちろん、後ろにいる4番・5番とのコミュニケーションが取れないと上手くスクラムを組むことができません。そのため、もっと沢山の人とコミュニケーションが取れる3番になれるよう、意識的に取り組んでいます。
── ラグビーにおいてコミュニケーションを取る上で、気をつけていることはありますか?
自分自身のスクラムをより深く知った上で、スクラムの知見を広げることが、コミュニケーション力を上げるために大切だと考えています。
日本代表はずっと同じメンバーでチームを組んでいるわけではないので、2番が変われば組み方が変わったり、2番が同じでも1番が変われば組み方が変わったりと複雑なんですね。それでも、すぐにコミットしなければならないのがインターナショナルでのスクラムなんです。だから、その中で良いスクラムを組むためには、自分のスクラムの持ち味や強みを理解し、さらにどういうスクラムのプランがあるかを知った上で、自分自身をそこに合わせていくことが不可欠なんです。
ラグビーを通じてもらったもの、返したいもの
── 竹内さんは小学校6年生からラグビーを始められたそうですが、ラグビー選手としての基礎を作る中でターニングポイントになったと感じるのはいつですか?
どれか一つでも欠けていたら今こうなっていないだろう、と思うシーンは人生に何度かあったのですが、ラグビーをそれまで以上に好きになったのは中学3年生から高校1年生の間でした。
中学生の頃、僕は全然ラグビーが強くなかったんですよ。地元である宮崎県での中学生ラグビーの選抜は、母数が少ないので大体みんな入れるのですが、下手くそで体格も小さかった僕だけ入れなくて。チームメイトにも「竹内くんだけ選抜入ってないよね」といじられましたね。それで「ラグビーの練習に行きたくない」という時期が続いて、ラグビーをやめようかとも考えていました。
そんな時に、後々の恩師になる佐藤清文先生が「うちの高校でラグビーをやってみないか」と誘ってくださって。人生で初めて、ラグビーを通じて人から必要とされた瞬間でした。その経験が僕にとってすごく特別なものとなり、またラグビーを頑張りたいと思えたんですよね。ただ楽しくてがむしゃらにやってきた僕の中に、ラグビーをする意義が芽生えた瞬間だったと思います。
── ラグビーをする意義とは?
これまで沢山迷惑をかけてきた人、お世話になってきた人への恩返しですね。
佐藤先生のもとでラグビーをしていた高校時代、僕の代は初めて全国大会で優勝を目指せる代だといわれていたのに、1回戦敗退だったんですよ。というのも、僕は高校で急にプレーが伸びたのをきっかけに天狗になってしまって、勝てるだろうと調子に乗っていたら試合がうまく運ばず、チームメイトものびのびとプレーができず、結局負けてしまったんです。あの時に見た佐藤先生の顔は今でも忘れられないですね。
チームとして負けたこともそうですが、佐藤先生を勝たせることができなかったことも悔しくて「僕はこの人のために何ができるんだろう」と考えました。その時に「竹内の指導者だった」と胸を張って言えるような選手になろうと思ったのが、ラグビーを通じて恩返ししたいという思いが生まれた最初のタイミングでした。
ただ、その後大学に進学してからも、高校の延長線で腐っていたんです。大学1年生の頃は、努力せずとも九州リーグではスターティングメンバーで出場できたし、ある程度活躍もできたので。でも、結局それは狭い世界での話で、ある時に強いチームとの練習試合でボコボコにされてしまって。ラグビーも大学もやめようと思うくらいの挫折を味わいました。
その後、やる気が出ないままラグビーを続けていたのですが、当時僕を気にかけてくれていた先輩と大学の監督がきつく叱ってくれて、見捨てずに引っ張り続けてくれていたんです。ある時ふと「なんでこの人たちは、こんな僕に執着するんだろう」と不思議に思って。
先輩に聞いてみたら、「大怪我をして思うようにプレーできなくなる前の自分に似ているから気になるんだ」と。やりたくてもできない人がいることを理解してはいたものの、一番お世話になってきた身近な人がそうであることを知りました。
その時に、自分がラグビーをできているのは当たり前ではないし、気にかけてくれている先輩や監督がいるのに、ずっと腐っていることがかっこ悪いと思ったんです。それと同時に「あれ、前にもこういう経験をしたことがあるな」と、自分が慢心して高校の恩師である佐藤先生を勝たせられずに悔しい思いをしたことを思い出しました。もしやと思い、もっといろんな人にお世話になってきたんじゃないかと振り返ってみて、一番身近な家族や今までの同級生、先輩、後輩、監督にもすごく迷惑をかけてきたことにようやく気がついたんです。
そういう人たちに恩返しをしよう、関わったことを誇りに思ってもらえるような選手になろうと考えるようになり、それが今の僕がラグビーをする意義になっています。
「自分が一番強い」の源泉
── ラグビーを続ける上で大切にしている信念はありますか?
自分に対する揺るぎない自信をもつことですね。
何もしていないのに自信をつけても、それはただの過信にすぎないと僕は身をもって経験してきました。だからこそ、選手として注目されていない頃から自分を鼓舞し続けて、付き合いが悪いと言われるぐらいトレーニングをしてきたし、今でも周りが逃げるぐらいトレーニングをしています。
それをやり抜けるという誇りが僕の中では大きな自信になっていて、そういう自分が大好きなんです。だからこそ、自信をもって「自分が一番強い」と思いながら試合に臨めています。
ただ、自信の量を間違えると過信になってしまって自分に甘くなったり、うまくいかない方向に働き出したりしてしまうので、扱い方って難しいんですよね。それをコントロールしながら味方にすることができたら、これ以上大きな武器はないと思っています。
── 「ラグビーが大好きで毎日試合してもいい」と、以前メディアでお話しされているのを拝見しました。ラグビーのどんなところが好きですか?
さまざまな動きが全部できるところですね。パスを投げたり、ぶつかったり、ボールを蹴ったり、全速力で走ったり、タックルして相手を吹き飛ばしたり。スポーツの基本的なモーションが全部あるじゃないですか。そのどれにおいても評価されるんですよ。
僕はタックルも、ボールを持ってぶつかるのも、スクラムも、みんなで一つのことを成し遂げる団結感も好きで、自分を一番表現できるスポーツなんです。だからラグビーがめちゃくちゃ好きですね。
── 竹内さんにとってスポーツとはどんなものですか?
かつてのフランス代表の元主将が「ラグビーは子どもを大人にして、大人を子どもにする」という言葉を残していますが、それはラグビー以外の多くのスポーツにもあてはまるのではないかと僕は感じています。
スポーツって小さい社会なんですよね。目標やノルマがあって、監督という上司がいて。スポーツを経験した子どもはいち早く社会に片足を踏み入れて協調性を学ぶと思いますし、その中でも自分をどうやって出すかなど、学べることが沢山あると思うんですよ。そして周りよりも早く、社会を経験していく場になっていると思います。
逆に、大人にとっては、ルールはあっても社会にあるようなしがらみがない場がスポーツなんですね。思い切り試合を楽しんだり、ただひたすらに勝利を追いかける選手もそうですし、ファンでもただ同じチームを応援しているだけで仲良くなって盛り上がれるじゃないですか。スポーツを通じて子どものように無邪気にはしゃげる場にもなっているとも思います。
スポーツを通じて、好きな自分と出会ってほしい
── 2024年4月には、宮崎発のマルチスポーツクラブ「Horizon」を自ら立ち上げられました。ここではどのような取り組みをしていますか?
Horizonは、ラグビーや野球、サッカー、バレー、テニスなどさまざまな競技をプレーするスポーツクラブです。複数の競技をすることで、身体全身の使い方が上手くなればどのスポーツでも共通して役に立ちますし、何よりも自分に一番合うスポーツや生涯好きでいられるようなスポーツを見つけてもらうために立ち上げました。
このHorizonでプロの選手やトップアスリートを出したいのではなく、自分が一番お世話になった宮崎にスポーツ人口を増やして、自分の好きなスポーツを見つけて楽しめるような地域にしたいと考えています。
また、それをできるのが僕の今の立ち位置だと思うんです。現役選手だからこそ他の競技も含めてトップアスリートを呼ぶことができますし、それが子どもたちにとっての刺激やスポーツと触れ合う機会になればと思っています。
── ラグビーだけでなく、複数のスポーツをするのはなぜですか?
そもそも、僕がラグビーを始めたのも偶然だったんですよ。小学生の頃、ラグビーボールなんて見たこともなくて、ドッジボールをラグビーボールでしようとしたんです。それでボールを借りたらラグビーに興味があると勘違いされて練習に連れていかれて。その時初めてラグビーボールの存在を知ったんです。
そんな奇跡的な出会いで、自分が大好きになれるスポーツに出会えて、今や生計を立てている。スポーツはしていてもラグビーと出会えていなかったら、今こうなっていないかもしれないんですよね。そう思うと、自分が大好きになれるスポーツと出会う機会を逃している子どもたちが沢山いるんじゃないかと思ったんです。
また、親が好きなスポーツを仕方なく続け、結局嫌いになってしまった、という子もいると思うんです。でも、スポーツはアスリートになることが全てではなく、メディカルやドクター、サポーターなど、関わり方はいろいろあります。どれか一つのスポーツだけで嫌いになってしまってはもったいないじゃないですか。だから、いろいろなスポーツに触れることで、自分が本当に好きになれるスポーツに出会ってほしいと思いました。
── このHorizonを通じて好きなスポーツを見つけることで、子どもたちにどうなってほしいですか?
僕は自分を見つけられるのがスポーツだと考えているので、好きなスポーツを通じて好きな自分も見つけてほしいです。
そもそも、自分を作るのは環境だと思うのですが、今の子どもたちはその環境の一部がインターネット上にあることも多いじゃないですか。そこに自分を見出してしまうと、現実の自分はどこにあるんだろうと疑問に感じます。
実際に体を動かして、仲間と一緒に何かをしたり、「自分って何かに対してこんなに一生懸命になれるんだ」と発見したりしながら、リアルな体感を通して新しい自分自身を見つけてほしいと思います。
── 今後は指導者も目指されるのでしょうか。
そうですね。まずはワールドカップに3番で出て優勝することを目指していますが、その先で、僕がスポーツから学んできたことを伝えるためには指導者になることが必要だと思っています。
それと同時に、Horizonのような活動をしているからには、子どもたちに憧れてもらえる存在にならないといけないとも思います。そうした意味で、僕に課された責任は重いと思いますし、我ながら成し遂げなければならないことが沢山ありますが、すごくワクワクしていますね。
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文 安藤ショウカ
取材・編集 木村和歌菜
撮影 西田優太