「気仙沼を、日本一漁師さんを大切にする町にしたい」女将たちの銭湯復活物語
「暑い夏こそ、お風呂に浸かってサッパリしたい!」
と、考える方も多いと思うのですが、今回、Gyoppy!が取り上げるのは「銭湯を復活させる」というお話です。
「私たちは、困っている漁師さんのために、銭湯を復活させる」
最初にこう聞いたときは、正直、いまいちピンときませんでした。だって、日本には、どの家庭にもたいていお風呂があるじゃないですか?
「漁師と、銭湯。関係あるのかな?」
そんなふうに考えたんです。
しかし、それは大きな間違い。
漁師さんたちにとって銭湯の存在は、仕事をしていく上で、とても大切なものでした。
やってきたのは、宮城県気仙沼市。
漁師町として有名で、東日本大震災で大きな被害を受けた町でもあります。
そんな気仙沼で、漁師さんのために銭湯をつくるプロジェクトを発足したのが、おもてなしを考える女性たちの会「気仙沼つばき会」の小野寺紀子さん、斉藤和枝さん、根岸えまさん。
彼女たちは以前から、気仙沼の経済と産業で大きな役割を持つ漁師さんたちを応援し、その魅力を伝えるべく、『気仙沼漁師カレンダー』の制作や、気仙沼で獲れた魚を食べられるイベント『市場で朝めし。』などを企画してきました。
現在、彼女たちが力を入れているのが、気仙沼で唯一の「漁師さんのためのお風呂屋さん」だった「亀の湯」の復活なんです。
なぜ、漁師さんを支えるために、銭湯が必要なのか?
そもそも、気仙沼という町にとって漁師とはどういう存在なのか?
そんな疑問を携えながら、話を聞いてきました。
気仙沼には銭湯がひとつもない?
── なぜ、漁師さんのための銭湯を復活させようと考えたんでしょうか?
- 紀子さん
- 今まで営業していたお風呂屋さん、「亀の湯」さんが廃業になることを知ったのが、そもそものきっかけです。港町・気仙沼なのに、漁師さんが入るお風呂が一軒もなくなるのはどういうことなのかと。
── 気仙沼には一軒も銭湯がないんですか?
- えまさん
- 市内に「友の湯」という銭湯もあるんですけど。港からは遠いし、午後からの営業なので、漁師さんは行きにくいんです。
- 和枝さん
- 亀の湯さんは、震災で一回ダメになって、やっと再建したところだったのに、今度は防波堤の工事で退去を迫られたんですよ。さすがに心折れますでしょう。もう一回、建て直すのは難しいって思っちゃいますよ。
- 紀子さん
- それで市や漁協に「何とかならないか」って掛け合ってたんですけど、なかなか......。
- えまさん
- やっぱり市も復興でいろいろお金もかかるんでしょう。ずっと税金をつぎ込まないとやっていけないようなものを、市が始めてしまうのは、市民全体にとってリスクだって言うんですよね。
- 和枝さん
- それを言われたときは、漁師さんたちのことを考えているのかって、最初はちょっとムッとしましたけど(笑)。たしかになあ、って。
- 紀子さん
- 「建てました、けど続かないからやめました」ではダメだったんです。やっぱり、一番重要なのは、ずっと続けていくっていうことだから。なので初期投資を抑えて、長く続けられるお風呂をつくろうと考えました。それでトレーラーハウスでつくろうと考えたんです。
漁師にとって貴重な「真水のお風呂」
── 漁師さんを応援しようと「銭湯」を選んだのって、どんな理由があるんでしょう?
- 和枝さん
- 漁師さんって、船の上では海水を風呂にしているんですね。だからそもそもとして、真水の風呂に入りたいという気持ちがあります。
── そうなんですね!「真水の風呂」がそもそもありがたいものなんだ......。
- 紀子さん
- 気仙沼の漁師さんはいいんですよ、家のお風呂があるから。でも、実際のところ、気仙沼の水揚げ量の7割は他県の船の方なんです。たとえば、高知とか宮崎とか、遠いところから来ていらっしゃる方も多いんです。
── 地元の漁師さんよりも、むしろ遠方の漁師さんたちのためなんですね。
- 紀子さん
- しかも、みなさん半年くらいずっと気仙沼を基地にして、水揚げをやっている。
- 和枝さん
- 家に帰れないんですよ。
── そうなんですね......。
- 紀子さん
- 今でも漁師さんは、気仙沼にあるホテルの大浴場に行くことはできるんです。でも清掃時間とか日帰り入浴の時間とかは決められてしまっていますから、何かと不自由で。あと、よそ行きのお客さんがいる中に、カッパとか長靴を履いて行くと、変じゃないですか(笑)。
── たしかに行きづらいですね。
- 紀子さん
- 他には、お風呂が併設されたパチンコ屋さんがあるんですけど。そこまで行くにはタクシーに乗るしかなくて、気仙沼の沖からだと、往復5000円はかかるんです。
── そんなに。
- 紀子さん
- ただ、風呂に入るだけなのに、そんなにかかるのは申し訳ないなって。あとは、漁師さんがよく行く床屋さんに「風呂屋がないのが困るって言ってたよ」って聞いたりして。
- 和枝さん
- こんなに外から漁師さんが入ってきているのに、港の近くに風呂一軒ないのは情けないっていう気持ちで。気仙沼の町としてそれでいいのかって。
── それだけ銭湯というのは漁師さんたちにとって、大切な場所だったんですね......。
- えまさん
- それに銭湯は、漁師さん同士の交流の場でもあるんです。
- 和枝さん
- 漁師さんたちは、沖ではライバルだけど、裸でお風呂に入っていると沖の情報を交換し合ったり、若手が最近どうなんだっていう話をするらしいんですよ。
- えまさん
- 亀の湯のお母さんは、漁師さんみんなに「お帰りお帰りー!」って言ってくれるんです。それこそ亀の湯さんには「何々丸」って船の名前が書かれた、船ごとの桶もあるんですよ。そこにシャンプーとかを入れておいて、また海に出て、戻ってくるみたいな。
だからある意味、「母港」じゃないですけど。銭湯は「ただいま」って一息付ける場所だったんだと思います。
銭湯を続けることで「日本一漁師を大切にする」町に
── 話を聞いて、漁師さんにとって、どれだけ銭湯が大切なものなのかよくわかりました。
- 紀子さん
- 私たちは気仙沼を、日本一漁師さんを大切にする町にしたいんです。でも魚を高く買うとか、立派な市場をつくるとか、それはちょっと私たちにはできないことですけど。いつも漁師さんを応援したい気持ちから、カレンダーをつくったりとかいろいろやってるんです。
そうしたいろんな活動の中で、風呂を用意するっていうのは最低限のことでしょ? 生活の中で衛生を保つという、衣食住の根本に通ずることですよね。だから陸に入ってきたときは、真水の温かいお風呂で漁師さんをお迎えしたいっていう想いからはじまったことなんです。
- 和枝さん
- お風呂っていう基本的なところをないがしろにする町でいいのか?っていう健全な怒り?(笑)が、あったんですよ。
── 健全な怒り。大切ですね。
- 和枝さん
- だってほんと、気仙沼では漁師さんから、いろんな仕事が始まるんです。
- 紀子さん
- 船が入って水揚げするから水産加工もできるのであって。スナックもタクシーもパチンコ屋さんも、外来船の入港が大きく影響するんです。
── 気仙沼において漁師さんは、すごく大事なお客さんでもあるんですね。
- 紀子さん
- そうやって、漁師さんの英気を養える人こそ、気仙沼に住む私たちなんですよ。
だから私たちみんな、漁師さんのことが大好きで感謝しているってことを、銭湯を通じて漁師さんたちに伝えていきたいんです。
漁業の一大先進地である気仙沼
── そもそものところ、気仙沼は昔から「漁師の町」として有名だったんですか?
- 和枝さん
- そうですね。気仙沼の地形は、海からすぐにぐーっと屏風みたいな形で、山が迫っているんです。その山と海の、ちょっとした隙間に人が住んでいるんですが、平坦な地面がないから作物がつくれない。だから足りない分は、沖へ出て魚を獲るしかなかったんです。
- 和枝さん
- 魚が獲れればお金になるから、船をどんどん出すようになっていきました。だから、昔の気仙沼の子どもたちは、自分を苦労して育ててくれたお母さんに楽をさせたいから、船乗りになったって聞いています。
それで気仙沼に、船を造る人をはじめとして周辺産業が集積したんです。気仙沼はだんだん、東日本の一大「漁業の先進地」になりました。沖に船を出すための、ありとあらゆる技術がここに揃っているので、他県からも船が集まるんです。
あと、もうひとつ。気仙沼は波がとっても静かなんです。漁師さんは台風のときだって安心して、夜、飲みに行けるんですよ。
── なるほど! 悪天候でも、船の心配をしなくていいんですね。
- 和枝さん
- しかも、船を停泊させている間は、メンテナンスができるじゃないですか。「漁業の技術」と「安定した海」の両方があるから、今の気仙沼があるんです。
気仙沼には優秀な漁師さんが多いので、『うちの船にも乗ってほしい』ということで、他の地方から船と漁師さんが集まってきます。
── 漁師さん同士の技術交流もあったんですね。
- 和枝さん
- はい。たとえば富山の船が、気仙沼の漁師さんを乗せるために来たりして。ですから、漁師さんあっての、気仙沼なんです。
震災で漁師の重要性が再認識された
── もともと気仙沼は漁師さんたちに支えられた漁業の町だったんですね。そういった状況は、震災によって変わったところはありますか?
- 紀子さん
- 震災を経験して、みんな、本当に大切なことはなんなのかっていうことを改めて考えたんじゃないかしら。大枚はたいて買った、大切な家宝が一瞬にして流されてしまったりとかね。そうするとやっぱり、大事なのは物ではないんだなあって感じた方は多かったんだと思います。
だから漁師さんを大切に、という流れも、もちろん前からあるにはあったけど、震災後はすごく強くなった気がします。
気仙沼には何もないって、私たちは往々にして言ってしまうんですよ。東京とか仙台のような都会に比べると、気仙沼には映画館ひとつない。若者は「気仙沼なんて」と言って、外に行ってしまう。
── そんな町に震災が起こったと......。
- 紀子さん
- 震災で、気仙沼は壊滅的な被害を受けて、ホント、なんもかんも、海ですら燃えましたから。そのとき、気仙沼の経済は終わったなと思いました。
けど、沖にいる船が、また気仙沼の漁業をはじめとした産業を、盛り上げてくれるはずだって。この人たちを頼りに、私たちはまたやっていけるって、すぐにそういう考えに変わっていきました。
- 和枝さん
- 本当に、そうだったねえ。
- 紀子さん
- マグロ船って、だいたい一隻で3億円稼ぐんです。3億も稼げるものをイチからつくるって難しいじゃないですか。だから、震災で産業もなんもなくなったけど、「ああ、船がいる」っていうのはすごく支えだった。
- 和枝さん
- 震災で、海も陸も、もちろん自分の心も、文字通り真っ黒こげのドロドロのグッシャグシャになってさ。
でも、そんなときに海を見ていたら、真っ白いマグロ船が入ってきたんですよ。あの美しさは忘れられないです。
さいごに
取材当日は、「気仙沼つばき会」の3人や気仙沼の漁業関係者にとって、大切な日でした。
ちょうど、「出船おくり」が行われる日だったんです。
「出船おくり」とは、漁に出る船を見送る習わしのこと。この文化も、近年ではあまり熱心には行われなくなっていたところを、「気仙沼つばき会」が盛り上げていきました。
この日に見送った船が帰ってくるのは、約1年後。漁師さんたちは海の上で、携帯電話もインターネットも使うことができません。
船の上からかけられる電話もあるそうですが、数十分で5000円ほどの金額が発生する、とても贅沢な行為。それも発信専用で、陸に残る家族や妻の側から、電話をかけることはできません。
出船送りは人を集め、今では気仙沼の観光のひとつとして、定着してきています。
取材チームは、出船おくりを見て、全員が泣き出す始末......。
3人は出発する船に旗を振りながら、いつまでも「いってらっしゃーい!」と声をかけ続けていました。
銭湯も、出船おくりも、根っこにあるのは漁師さんを想う気持ち。
「気仙沼を、日本一漁師さんを大切にする町にしたい」という、気仙沼の人たちの熱い気持ちでした。
この日に見た出船おくりの景色、抱いた感情は、いつまでも忘れることがないと思います。
気仙沼、必ずまた訪れます!
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取材・文くいしん
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執筆協力菅原沙妃
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撮影小林直博