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豊かな未来のきっかけを届ける

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SDGsにつながる青のり養殖。キレイな海とともに身の丈で暮らす

Gyoppy! 編集部

山内満子(やまうち・みちこ)さん

Gyoppy! ではこれまで、漁業にかかわる女性たちを多く取り上げてきました。今回は周りに請われるがまま、いつしか社長にまで上り詰めた、とある「ふつうの主婦」のお話です。訪れたのは、愛媛県宇和島市、遊子(ゆす)。

きれいな山と海

宇和島市の中心部から車で走ること40分。遊子はマダイやハマチ、真珠養殖が主な産業で、2007年には「遊子水荷浦の段畑」が国の重要文化的景観に選ばれました。南予地方の経済を支える地区の一つです。

山内満子さん


「どうして、会社なんてはじめちゃったんだろうねぇ。やらなければ、ラクなのに」と笑うのは、山内満子(やまうち・みちこ)さん。山内さんは30代半ばで主婦から事務職に就職し、遊子漁協の女性部長を務めた後、2016年にスリーラインズ株式会社を立ち上げました。そこで主に取り組んでいるのは、「青のり(スジアオノリ)」の陸上養殖。

青のり(スジアオノリ)」を養殖する水槽

天然物の漁獲量が減り続けているスジアオノリを養殖し、魚類養殖よりも海に負荷をかけない持続可能な産業をつくる。山内さんはそんな夢を思い描いているのだと言います。

山内さんが「ふつうの主婦」から切り拓いてきたキャリアパスには、どんな原動力があったのでしょうか。

ただの主婦が外に出てみたらいきなり大活躍!?

── 山内さんは遊子のご出身なんですか?

ううん、山越えて向こうの津島町の出身です。平成の市町村合併で宇和島市になったんだけど。20歳のときにこっちへ嫁いできて、ずっと主婦をしていたんです。山内家はハマチの養殖をしていて、私も家業を手伝っていました。

── それが、どうして会社を起こすことに?

ホント、なんでだろうねぇ(笑)。最初は全然、そんなつもりはなかったんですよ。20年くらい前、ハマチ養殖が立ち行かなくなって、漁協の勧めもあってマダイ養殖へ切り替えることになったんです。でも、ハマチは2年で育つんだけど、マダイは3年かかる。その間、お金がないので、私が働きに行くことにしたんです。

家族8人養うには、市内のパチンコ屋さんくらいしかなくて、そこでフロアに出ながら半年くらい研修して、事務職に就くことになりました。なぁんにもわからなかったけど、社会保険とか簿記とか勉強しながらやってたら、いつの間にか事務部門のトップになってたんです。

── すごい!

5年くらい勤めたのかな。でも、人に雇われるの向いてないなぁって。それで、「鯛の養殖も軌道に乗ってきたでしょ? そろそろ辞めていいかなぁ」と思って主人に聞いたら、「もう、辞めたんだろ?」って。実は辞めるつもりですでに後任の人に引き継いでたんですけど、お見通しだったのね(笑)。

それで、職業訓練でパソコンを習いはじめたら、すっかりのめり込んで、インストラクターになったの。WordやExcelを習いたい人がたくさんいたから、市内をまわってパソコン教室を開いたんです。

それから知人に頼まれて、2007年に国の「重要文化的景観」に選ばれた「遊子水荷浦の段畑」の保全活動にも携わっていました

遊子水荷浦の段畑

観光客向けに弁当や加工品を販売しようって、いろいろと活動していたけど、ちょっとハリキリ過ぎて疲れてしまって、私ばかり前に出てもしょうがないかなぁと思って。引退して、そろそろゆっくりしようかなぁって思っていたところに、遊子漁協の女性部を仕切りなおそうという話が持ち上がったんです。

そうしたら、多数決で部長に選ばれてしまって。私なんて、ちょっとパソコンができるだけなのに......と思ったけど、やるからにはちゃんとやろうと思って、遊子をPRする活動をはじめたんです。そうしたらあれよという間に女性部で「全国青年・女性漁業者交流大会 農林水産大臣賞」とか「農林水産祭 水産部門 内閣総理大臣賞」とか、いろんな賞をいただいて

農林水産大臣賞、受賞時の様子
農林水産大臣賞、受賞時の様子
農林水産大臣賞、受賞時の様子

── どんどんパワーアップしてる!

ただの主婦だったのにね(笑)。家で洗濯やら料理やら、いろいろとしていたけど、外に出てみたら、「あっ、私って何か新しいことに取り組むのが好きだったんだ」って気づいたの。漁協でも特別なことをしたわけではないけど、資料が全部アナログだったから、ExcelとかWordで作り直して。私はパワポ(PowerPoint)ができたから、発表するときの見栄えがよかったんでしょうね(笑)。

そうこうしていたら、これまで女性部の部長は2年ごとに交代してたのに、いつの間にか8年も経ってしまって。そろそろ私はいいかなって、2016年に辞めたんです。全力でやり切ったし、もう、なーんにもしたくない。しばらく休もう......って思っていたのに、今度は中村(時広)愛媛県知事から「南予地区で『えひめいやしの南予博』というイベントをするから、遊子でも何か企画を立ててくれ」と頼まれて。

── なかなか休めませんね......。

ホントに! でも漁協でやってきたなかでノウハウはあったから、思い切ってやってみることにしました。それに、遊子を離れていた長男の歌吉が戻ってきてから3年経っていました。家業としてのマダイ養殖だけでなく、私の仕事も手伝ってくれていたから、その長男に前へ出てもらおうと思ったんだけど、補助金とか融資とか、実績があるほうがいいだろうということで、私が代表に立つことになって。それで「スリーラインズ株式会社」を立ち上げました。

地球にやさしいスジアオノリ養殖

── スジアオノリの養殖をはじめたのには、何かきっかけがあったんですか?

ほんの偶然だったんですよ。『えひめいやしの南予博』を機にはじめた「宇和海の沖合で真鯛のエサやり体験」という漁業体験と、特産品として開発した鯛のパイ包み「愛でたい」の販売。それと、うちで養殖した「歌吉鯛」をフルコースで振る舞う「三代目歌吉の店」がうちの事業なんだけど、それだけでは会社として成り立たない。もうひとつ何か、柱にできるような事業はないかって、いろいろと調べていたんです。

そんななか、八幡浜で廃校を活用して、アワビの陸上養殖をしていることを知りました。それで主人と長男と三人で、アワビの稚貝の養殖場を見学しに行ったんです。「ここです」って案内された養殖場の隅に、大きなタンク一面に緑色の何かが浮遊していました。「うわぁ、キレイ。これって何ですか?」って聞いたら、「青のりです」って言われて。

── それがスジアオノリとの出会いだったんですね。

そこにちょうどスジアオノリの研究をされている高知大学の先生もいらしていて、アワビそっちのけで話に聴き入っちゃったんです。何より長男の歌吉が興味を持って食いついて。「歌吉がこんなにやる気になってるなら、やってみようか」って、はじめてみることにしました。

スジアオノリ

── スジアオノリに可能性を感じた理由はなんだったのでしょうか。

そもそもマダイ養殖は、浜値があるため自分たちで値段が決められません。浜値が上がったり下がったりの乱高下で、出荷すれば出荷するほど赤字になることもある。しかも、1kgのマダイを育てるのに、エサが2.7kg必要なんですよ。それって最近よく聞く「SDGs(持続可能な開発目標)」にも逆らうことになりますよね。

その点、スジアオノリの養殖に必要なのは、海水と太陽光、あとほんの少しの電気だけ。陸上に設置した水槽に地下から汲み上げた海水を貯めて、スジアオノリの種苗を入れれば、遅くても1カ月ぐらいで収穫できます。しかも、スジアオノリを育てた後の海水は、光合成で赤潮の原因となると言われている窒素やリンを消費して、逆に酸素をたっぷり含んでいる。それをまた海に還すことができるんです。

── 海面養殖でエサをやり過ぎると、赤潮の発生につながる可能性も指摘されていますもんね。

そうなんです。私たちは別に、大儲けしなくてもいい。自分たちが不自由なく食べていけるくらいで暮らしていけたら......と思っていたので、スジアオノリはピッタリの生物なんですね。それに何より、自分たちで価格を決められる。

スジアオノリの収穫のピークは11月から春先までなのですが、年間を通して養殖することができれば、きっといい事業になるはず......。そう考えて、大金はたいて井戸を掘ったんです。水質を調べてみると本当にキレイで、水量も温度も比較的安定しているし、天然物は秋冬だけですが、夏でも問題なく育つことがわかりました。それで「よし、事業化だ!」って、資金繰りをはじめたんです。

気鋭の起業家たちの中で「ソーシャルデザイン賞」を受賞

── これだけの設備を完成させるには、資金も労力も必要ですよね。

本当に、いろんな方にお世話になりました。なかでも特にお世話になったのは、日本政策投資銀行さん。起業5年未満の女性起業家を対象に「DBJ女性新ビジネスプランコンペティション」を主催されていたんですけど、5カ月間審査があって、ウチにも来てくださって、270人の応募からなぜか最終審査の10人に残っちゃったの。

── おぉ......!

周りは「東大卒」とか「アフリカで社会貢献活動してた」とか、ものすごい方ばかりなのに、なーんで「愛媛のおばちゃん」がここにいるんだろう、って(笑)。最後の1カ月間はメンターの先生がついてくださって、私がわーわー夢みたいなことばかり話しているのを、しっかりとしたビジネスモデルにブラッシュアップしてくださって。

それで、結果的に「ソーシャルデザイン賞」に選ばれて、500万円の賞金をいただきました。夢って、口に出すと本当に叶うんですね。口に十(10)と書いて「叶」っていうけど。

── 本当だ。

500万円なんて大金なんですけど、ポリカーボネートタンク50基と配管や材料代、諸々含めたら結局、それくらいかかって。長男が工業高校出身で、器用なんですよ。ここにある設備のほとんどは長男のお手製なんです。業者の方に頼もうとすると、もっとお金がかかるんだけど、そのぶん、能力を発揮してくれたから、本当に助かりました。

山内歌吉さん
長男の山内歌吉さん。スジアオノリ養殖を手がけるほか、「三代目歌吉の店」(完全予約制)では料理の腕を振るう

── 実際にスジアオノリの養殖に取り組んでみて、いかがですか。

天然の青のりはここ数年不作続きで、国内生産の大部分を占める徳島県の吉野川では収穫量が年々減少しているみたいなんです。だからもう、うちに問い合わせがひっきりなしで、作っても作っても間に合わない状態でした。今年は隣の敷地も含めて設備を増設して、増産しようとしています。

それに地下海水を使う陸上養殖なら、ゴミや不純物も少ない。魚貝類が含まれないから、甲殻アレルギーの方でも安心して食べられます。「青のりって、なーんてステキな事業なんだろう!」って。ほら、絹の糸のように真っ直ぐで、キレイでしょう? だから「きぬ青のり」って名付けたんです。

絹の糸のような青のり

子どもたちに「この町はいいよ」と語り続けられるように

── それにしても、ものすごいバイタリティ。周りの人を動かすほど、強い気持ちで語れる夢があるって、ステキですね。

そう? フフ(笑)。あのね、山内家の夢があるんですよ。

── 山内家の、夢?

いつか、ぜーんぶ自分たちで自給自足したいんです。しかも、現代的な自給自足を。というのも、ここからちょっと上がったところにウチの段々畑があるんだけど、そこで作物を育てたり動物を飼ったりしたいの。ニワトリやヤギ、羊なんかに囲まれながら畑仕事をして、ここでは青のりやマダイを育てて......家は近代的でちゃんとしたのに住んでね。

そうやって、ここから遊子や海の恵みの豊かさを発信して、おいしい鯛や青のりを食べてもらう。そう、長男の嫁はもともと東京で働いていたので、この事業のフォローもしてくれるんですよ。

── ご長男の奥さまは東京から移住されたんですか?

そうなの! お客さんとして「三代目歌吉の店」に来てくれたのがきっかけで。だから、お店をやってなかったら出会えなかったかもしれない。そういう意味では、会社をはじめてよかったですね。

山内満子さんとご長男夫妻
会社の横の海で長男夫婦と

── そうやって地域の良さを発信することで、遊子へ移住する方が増えるといいですね。

そうですねぇ......でもね、みんな地域活性化、地域活性化って言うけど、正直なところ、爆発的に増やすのは難しいと思うんです。だって、少子高齢化が進んで、年間数十人単位で減少していく地域がほとんどでしょう? この遊子でも地域の中学校が5年前に廃校されて、
市街地の中学校に通わざるを得なくなって、家族みんなで引っ越してしまう人も多いんです。

ただ、私はずっと子どもたちに「遊子っていいところだよ」「いつかは帰ってくるんだよ」って、刷り込みのように言い続けてたんです。そうしたら、長男も次男も県外に就職したけど、ちゃんと帰ってきてくれました。長女も近くに住んでますし。だから、ちゃんと親が「この地区は良いよ」って、自分の子どもに語ってあげないといけないんじゃないかと思うんです。

── でも、どんなに生まれ育った町が素晴らしくても、働き先がないと暮らし続けるのは難しいかもしれません。

そう。だから、このスジアオノリの養殖をフランチャイズのように広げたいんです。コンペティションの段階から、事業計画書にはそう書いていました。実際、県外からもたくさんの方が視察に来てくださって、大規模なお誘いもあるのですが、私としてはあまり大きくしたくない。

それよりも、地域に養殖の仕組みと技術を提供して、ひとつの家族が持続していける範囲で、小さな事業をいくつも増やしていきたいんです。そのためにはまず、私たちがしっかりとやっていけるようにならないとね。

成功するまでやり続けたら、失敗にはならない

山内満子さんとご主人
いつも応援してくれる主人と

── 山内さんをそこまで駆り立てるものは何なのでしょうか?

何だろう......? 思いついたら、やってみないと気がすまないんですよね。家族はなんやかんや、だいぶ巻き込まれてるけど(笑)。主人も「コイツは自由にやらせんといけんな」ってわかってる。何度か聞かれたの。「楽しいか?」って。「うん、楽しいよ!」って答えたら、「楽しいなら、やりぃよ」って。

── ステキですね!

いやぁもう、主人は10年くらい前まではなーんもできなかったの。「肉まんあっためて食べてね」って出かけて帰ってきたら、「肉まんから火がでた」って。電子レンジさえ使えなかったんだから。

お嫁に来たとき、主人が風呂に入ってる間におばあちゃんに言われたの。「パンツとパジャマ出してあげなきゃ」って。えー! この家はそこまでしてあげなきゃいけないの?って驚いた。あれから32年、ずーっと教育しなおして、今では掃除も洗濯物をしまうのも、猫の世話もしてくれるようになりました(笑)。

── エラい!(笑)。ただ、山内さんのように、まったく経験のなかったことをはじめて、起業するのって、多くの方はなかなか勇気が出ないと思うんです。山内さんはなぜそれができたのでしょう?

私はね、「失敗しない」って思っちゃう。だって、成功するまでやり続けたら失敗にならないから。

── ......確かに。

途中であきらめるから、失敗になってしまう。あともう一歩、二歩進んでいたら、成功したかもしれないのに。「あっ、失敗した」と思っても、そこで何か納得できるものが見つかるはずなんですよ。そうしたら、また次に行ける。今の私のミッションは、何と言っても資金繰り。夢を叶えるまでは、あきらめられませんからね。

── 山内さん個人としての夢は何ですか?

私? 私は一日中、家にこもるのが大好きだから、スジアオノリの養殖が軌道に乗ったら、社長は歌吉に任せて、のんびり過ごしたいな。家族や友達とゆっくりお酒を飲んで話せれば、それでいいかなぁって。

── とか言いながら、また何か新しいことをはじめそうですね。

そうかな(笑)。幸せの形って人それぞれだけど、お金儲けして、いい車を買ったからって、幸せになれるとは限らないもの。だから私はこの場所でのんびりと、家族みんながそれぞれやりたいことをやれるのが理想なんです。

山内家のみなさん

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