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豊かな未来のきっかけを届ける

豊かな未来のきっかけを届ける

若い芽を摘ませないため、先輩がフォロー。明石浦漁協が育む、なんでもやれる対応力

Gyoppy! 編集部

魚を運ぶ女性職員

兵庫県明石市と言えばタコ、そして鯛に海苔。今や明石の水産物は、全国にその名が知られている。その背景には、明石の海はエサが豊富など漁場の環境がいいことに加え、全国的に見ても特異なパフォーマンスを発揮する漁協の存在があった。

明石浦漁協を覗いてみれば、まず、あたり一面水浸しであることに度肝を抜かれる。

生簀(いけす)のようなセリ場
取材日は風が強く船が出なかったため、セリはおやすみ。盆と正月以外は、海水が絶えず掛け流し状態だそう

セリ場一帯が、生簀(いけす)だ

さらに漁協が実施するセリには、一般的には売り手であるはずの漁協が買い手としても参加していたり。関西圏だけではなく、東京の市場に対し営業活動を行っていたり。これは、全国的に見てもとても珍しい。また、鮮度を保つための工夫として現在では広がりつつある神経締めは、20年以上も前から行っていたという。

とにかく、他では考えられないような創意工夫が行われ、成果を出し続けているのが、明石浦漁協なのである。

明石浦漁協

しかし、明石浦漁協で17才からアルバイトを始めて30年、今も第一線で活躍する宮部博行参事は、飄々と語る。

「当の本人は、『やった感』まったくないよ。ヨソもバリバリやっていたと思っていたわ」

宮部博行参事

ある意味では"井の中の蛙"として、目の前にある課題にひらすら対応してきた結果、全国的に見ても異彩を放つ存在となった明石浦漁協

ビジネスはグローバル化し、SNSが発展したことで、あらゆる隣人の「うまくいってる例」が耳に入る時代になった。他者のいい部分を真似して自分たちをよくすることがうまくできればよいが、溢れる情報に翻弄されて振り回されてしまうという弊害もあるだろう。

「井の中の蛙大海を知らず」ということわざは、「されど空の青さを知る」と続きがあるように、他と比べることなく、自分たちの頭を使って工夫を重ね、邁進してきたからこそ、彼らは唯一無二の漁協になったのかもしれない。宮部参事に、明石浦漁協のこれまでの歩みを伺った。

営業に回って気づいた、明石の価値

── 明石浦漁協の特長を順番に聞かせてください。まず、神経締め(神経を破壊して鮮度を保つ技術)は、いつから始めたんですか?

神経締め自体は少なくとも20年以上前からですよ。

── そんなに前から! 一般的に神経締めって寝かせるためにやりますよね。東京や東北はちょっと寝かせてねっとりしたのが好きだけど、西日本は、鮮度がよくてパキパキで角が立っている魚が好きと言われています。それなのになぜ、明石では神経締めをやっていたんでしょうか。

明石では、仲買さんが当たり前に神経締めやってはったんですよ。僕にとっては、効果とか値打ち感とかは分かってなくて、箱詰めまでの単純な工程のひとつに過ぎなかったんです

真鯛を持って神経締めを説明する

── 宮部さん自身が、神経締めの価値に気づいたタイミングってあったんですか?

外に営業に行ってみることで、改めて必要な作業なんだなって思いましたね。

── 営業は、どこを中心に行ったんですか?

東京ですね。関西圏では、モノ(魚)もタイミングもバッティングするんで。東京で評価されて、関西の需要をあげようという作戦なので、まず東京で仕掛けていこうと。最初は大田市場に行きました。

おもしろい市場なんだよって東京の人に聞いて、築地のメガマーケットでなく、大田から行こうと。魚の発泡スチロール持って、漁青連の視察の付き添い的に行って、その影で向こうの担当者に「僕、魚を持ってきたんで見てくださいよ」ってのを最初にやりました。

── 入り込みやすい市場からという作戦がよかったんですね。

でも、大田市場では値段は思うようにはいかなかったですね。ただ、僕らの販売先のチャネルが増え、この先のきっかけはできたなあと。市場向けへのアプローチに加え、それまでもやっていた飲食店直接への営業に取り組んでいきました。

僕はどちらかというと飲食店向けの魚のセレクションとか荷造りをやっていました。窓口は僕で、オーダーが来て、僕が明石にいないときは、「銀座の○○さんは、これくらいの量で、魚はこの位置に置く」というのも現場の子に任せていました。

── オーダーメイドみたいに。

それは何人か言われましたね。そんな応えてくれるとこ産地にはないよって。

セリ場

── なかなかないですよね! 漁協がやっているっていうのは本当にすごいことだと感じました。明石浦漁協は、セリが特徴的ですよね。ライブ感すごいし、水浸しだし。見るだけでもおもしろいのに、漁協自体が魚の買取をしているのが珍しい。

セリの3分の1以上を時には漁協が買い取ることもありますよ。水揚げ13億円のうち、5億5000万円くらい。ざっくり。

── 本来の漁協の役割以上のことをやっていると感じました。

他の漁協を知っている人がおっしゃるから、そうなんでしょうね(笑)。僕らは知らないから。

セリの現場での工夫

── セリのときも漁価の下落を防ぐために工夫されている?

買い手である魚屋さんの雰囲気と、漁師さんが持っている量というのをセリ人は考えていると思います。今日、手鈍いな、とか。イケイケやな、とか。感じながらセリをやっているんですよね。

── 簡単に言いますけど、普通は出来ないですよね?

都合のいい勝手な解釈とは思うんですけど、漁協が売る側だけでなく、買っている側にもいるから出来ることだと僕は思うんです。最後は漁協が手だしますから。若いセリ人だと、不安定になるんですよね。値付け感が。それは先輩が買う側に立って、フォローに行きます

── へー!

たとえば漁協の若い子がセリ人としてデビューするときに、突拍子もない値段を言ってしまうことがあったとします。普通なら2000円のモノに対して、テンション上がって5000円って言ってしまった場合とか、そんなときには、漁協の先輩が買い手としてスッと入って、流れを作ったるってのをやるんですよ。

名刺ケースを魚に見立てて、セリでの値付けについて説明する宮部参事

── 魚の値段を下げすぎないためにやっていると聞いて、すごいと思ったんですけど、若い人たちの教育のためでもあるんですね。

先輩がフォローというかね、流れを作ってあげる。全部じゃなく、場面場面で。セリ人は今は2人ですけど、僕が入ったときは、4人もいたんです。大事な先発、中継ぎをベテランが務め、いい流れを作ったうえで、抑えを、覚えたての一番若い人が締めて、場数を踏むっていう

網ですくわれるタコ

── 買い取り側に漁協が入ること、最初は仲買人にいろいろ言われたんじゃないですか? 仲買の人との交渉はどのようにしていたんでしょうか。

それをやってこられたのは先人たちですね。当時、買い付けの権利を仲買と話をして作ってくれたから今があります。どういうやりとりがあったのかまではあんまり分からないですけど。年間の買い取り制限はあったらしいです。でも結果的にモノが多いので、扱わざるを得なくて、年間の制限を超えていき、買取量が増えてきたという経緯ですね。

── 同じことをやっている漁協さんってないんですか?

水揚げされているものを箱詰めして市場に送ることをメインにされている漁協が多いんじゃないでしょうか。セリすら珍しくなってきましたって言われますね。

男子校部活のような文化で築いた対応力

── 若い子に、セリの最初と最後に立たせて鍛えたなど、人材育成のやり方がおもしろいですね。

育成って言ってもぶっつけ本番ですけどね(笑)。でもここで一番大事なのは、漁師さんが分かってくれてるってことですよ。漁師さんからしたら自分の魚の値付けをするもんですから。セリ人に対する鋭い視線は常にありますよ。

新人のセリ人に自分の魚を扱われるわけですから、どう考えても不安だと思います。ベテランのエース級にやってもらった方がいい。たとえば1500円の値がつくはずのモノが、「500円」と言ったらそれで決まりなんですよ。そのリスクを漁師さんが理解してくれている、その根っこの部分がものすごいありがたい。

発泡スチロールを準備する職員

── 漁師も含め、次の職員、漁師を育てなきゃっていうのが暗黙でやっているわけですよね。

僕もそうでしたけど、「イベントやろう」って言われたら「それ自分らの仕事!?」って思いながらもやるんですよね。若い子らも、最初は「やるぞ」と言われてやってても、結果、それも経験になってきて、これもひとつの仕事なんやなってナチュラルに受け止めていくんじゃないかなって。ここにいると、自然といろんなことが起こるんです。

次の漁師を育てるって意味では、セミナーなんかも若手漁師30名程度を集めてやりました。なぎさ信用漁業協同組合連合会や、農林中央金庫大阪支店さんにも手伝ってもらって、「漁業経営」への意識を高めてもらいました。いろいろなことに手を出していて、最近では釣り堀もやってますからね。

── 釣り堀?(笑)。

去年オープン。漁協なんですけど、レジャー会社みたいなこともやっています(笑)。うちは、なんでもやれる対応力はめちゃくちゃあると思うんです。

── みなさん普通の業務を抱えてるんですよね。やるってなったら文句言いつつも......。

「やろう」って言われたらやるんです(笑)。先輩方自ら動くしね。

── いいですね、男子校の部活みたいな雰囲気。考えずにやろうって言う。「なぜやるか」の根底にある明石浦のミッションを言語化すると何なんでしょうか?

結局、周りがやるから。先輩がやるから。それしかないと思うんやけどね。「魚のためならなんでもやります!」みたいな答えがいいんでしょうけど(笑)。でも熱量はそれくらいありますよ

セリの準備をする職員

── 漁協に30年いる参事が「言葉にできない」って、文化として染み付いているんですね。では、これからやっていきたいことは?

僕はね、しっかりセリをやって、お客さん増やして、漁協を運営していくっていうのは軸にはしておきたいなって。これまでまあまあいろいろとやってきたので。あとは次の世代がいろいろな変化に対応できる集団にならないとダメかなって。今後、何か対策せないかんってのは出てくると思うんですけど、その都度対応できるポテンシャルはあると思います。

── 「集団」と言う言葉から、「みんなで」っていう意識を感じます。

それはもうほんと。僕がこうやって漁協の代表としてしゃべってますけど、実際、この10年現場でやってきたのは下の子らで。僕は、東京で営業出てペラペラしゃべっとっただけですから。本当、それはありがたいですよ。

── 男子校っぽい文化と言いましたが、セリ場に、女性の職員さんもいらっしゃいますよね。

魚を触る仕事をしたいっていう子がいて、現場で働いてくれているんですよね。漁協の求人で女性が手を挙げてくれるなんて、これまでまったくなかったんです。そもそも募集も事務職しかなかったんで。

現場に入って誰もが最初にやる仕事が、漁協が買った魚を運ぶことで、その女性職員もそれからスタートでしたが、今はセリに魚を出すところのポジションにいますから。この仕事、結構重要なんですよ。半年持つかなって思ったりもしましたが、実は今、その子が漁師の信頼を勝ち得ているんですよね

魚を運ぶ女性職員

これから、絶対的に漁業の現場の考え方とか変わるんだろうなって思うんです。漁師さんが獲ってきた魚を単に箱に詰めるだけでは、すでに成り立たないようになってますし、これからも変化するでしょうから。

明石浦漁協としては、いろんな人や状況を、自然と受け入れていきたいと思いますし、自分たちのこういった取組みが県内、さらには全国に広がっていけば、日本の水産業の活性化にもつながっていくと思います。

宮部博行参事

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