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着物から糞尿まで「土に還るまで」使い尽くしていた。江戸時代に学ぶ循環型社会のヒント

Yahoo! JAPAN SDGs編集部

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自分でパーツを修理・交換しながら使い続けられるスマートフォン。古くなったら返却し、新しい一着に交換できる、リース型のジーンズブランド......ビジネスモデルやものづくりの設計・デザインの段階から、廃棄を出さないことを前提とする「サーキュラーエコノミー」(循環型経済)の実践が、国内外で少しずつ進められています。

大量生産・大量消費・大量廃棄を前提とした従来の経済システムの限界がさまざまな面で表出する中、その突破口の一つとして、サーキュラーエコノミーが昨今注目を集めているのです。例として、オランダ政府は、2050年に100%サーキュラーエコノミーを実現することを目標に掲げているのだとか。

日本国内でも、以前本誌で取材したサーキュラーエコノミー研究家・安居昭博さんをはじめ、さまざまなプレイヤーがサーキュラーエコノミーの実践や啓蒙に取り組んでいます。

「面白そう」からはじめてもいい。日本から世界への期待もかかる「サーキュラーエコノミー」入門

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そんな中でも、一風変わった視点から、サーキュラーエコノミーの実践に取り組んでいる人がいます──「エドノミー研究家」を名乗り、江戸時代の循環型社会からヒントを得ながら現代のサーキュラーエコノミーを推進する、北林功さんです。

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北林功(きたばやし・いさお)

COS KYOTO株式会社 代表取締役/文化ビジネスコーディネーター、エドノミー®研究家 1979年奈良県橿原市生まれ。大阪ガス株式会社、株式会社グロービスを経て、同志社大学大学院ビジネス研究科の村山裕三教授に師事し、「文化ビジネス」を研究。2013年にCOS KYOTO株式会社を設立。江戸時代の循環型社会づくり「エドノミー®」の考えを中核に据え、「文化ビジネス」にまつわるコーディネート事業を展開する。2016年より、京都のモノづくり現場をオープンして交流する「DESIGN WEEK KYOTO」をスタート。「自律・循環・持続する心豊かな社会構築」が人生の軸。

北林さんは2013年に立ち上げたCOS KYOTO株式会社の代表取締役として、「自律・循環・持続し、心豊かな社会を構築する」というビジョンを提示。日本の地域・風土の中で培われてきた叡智をリサーチし、現代に合わせた形にアップデートできるようにコーディネートする事業を展開しています。

そんな北林さんの活動の背景にある考え方の一つが、江戸時代からサーキュラーエコノミーのヒントを学ぶ「Edonomy(エドノミ―®)」です。

江戸時代と、サーキュラーエコノミー。

一見すると全く結びつかないこの二つを、北林さんはいかにして結びつけているのでしょうか?

江戸時代から持ち帰る、現代のサーキュラーエコノミーを考えるうえでのヒントを聞きました。

着物から糞尿まで、「土に還るまで」使い尽くしていた?

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── 北林さんが「エドノミー研究家」として注目している、江戸時代の循環型経済的な要素には、例えばどんなものがあるのでしょうか?

わかりやすいのは着物ですね。着物は約13メートルほどの「一反」の生地から作られていたのですが、その一反の生地は余る部分のないように、全て使われていたそう。体が成長したり、多少太ったりしても、帯や着方で調整していたのだとか。

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江戸時代の人々は着られなくなった着物からも、うまく生活の道具をつくっていたという 『Textiles 5000 Years History』の図を元にCOS KYOTO(株)が作成

ボロボロになった着物でも、パッチワークのように継いで着る。それでも着られなくなったら、雑巾やおしめにする。「もうこれ以上はどうしようもない」という状態になったら、最後に燃やして灰にして、畑の肥料などにする......それが当たり前だったようなんです。

── すごい! 余すところなく素材を使っていたのですね。

そもそも当時は鎖国中で、基本的には日本列島の中で自然が提供してくれる資源の範囲内で充足しなければならず、今と比べると格段に資源が少なかったはずです。着物を新品で買える人なんて、ほとんどいなかったのではないでしょうか。

── 資源が限られていたから、「使い捨て」という発想がそもそもなかったと。

そう思います。職人さんも「モノを作り出す人」というより、「修理をする人」としての意味合いが大きかったようです。

他にもたくさん事例はあります。例えば、人々の糞尿は「下肥(しもごえ)」と呼ばれ、田畑にまく有機肥料としてリサイクルされていたのだとか。多くの庶民が住む長屋は共同トイレで、下肥を一カ所に集めることができるようになっていて、それを下肥買いと呼ばれる人々が購入し、その代金は大家の副収入となっていたそうです。

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長屋という昔の暮らしの形が、糞尿の回収と再活用を可能にした COS KYOTO株式会社の資料より引用

── 糞尿まで循環していたとは......!

それから、植物も有効活用されていたそうです。例えば、竹。タケノコは食料や飼料として、竹の皮は包装物として、竹は建築資材から道具として、さらには、おもちゃや楽器、武器として用いられていたと言われています。

とにかく江戸時代の人々にとっては、資源を余すことなく、土に還るまで利用するのが当たり前だったようなんです。

意識が高くなくても、循環型が当たり前

── 土に還るまで使うのが当たり前......いまの感覚からすると、なかなかイメージしづらい世界です。

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そこなんです。本当に僕たちがエドノミーから学ぶべきは、表面的な仕組みや事例じゃなくて、そもそもの価値観だと僕は考えていまして。

「地球環境を悪化させないようにしよう」だとか、環境問題がどうだとかなんてことは、別に江戸時代には誰も考えていなかったはずです。資源が本当に限られていて貴重だったから、結果的に自然とサーキュラーエコノミーが実現していたんじゃないかと思うんです。ただ単純にもったいないから、息をするのと同じくらい当たり前のように、資源を余すところなく使うしかなかった。

── サーキュラーエコノミーしか選択肢がなかったから、自然とそうなっていたと。

環境問題やSDGs、サステナビリティと聞くと、なんだか意識が高い人がやっていそうなイメージがありますよね。もちろんそれ自体は良いことなのですが、江戸時代にはそうではなかったはずなんです。

倫理的だとか、モラルが高いとか、節制しているとか、欲望を我慢していたとか、そういうことではなかったのだと思います。意識が高くなくても当たり前のようにサーキュラーエコノミーを実践していた価値観は、江戸時代から最も学びたいポイントですね。

── 無理なく自然にサーキュラーエコノミーを実践できるような価値観こそが、江戸時代から得るべきヒントだと。

僕らは20世紀を通じて、物質にまみれ、消費し続けている生活が豊かだと思い込まされてきた部分があります。でもそうじゃなくて、決して物質に溢れていなくても、非常に心が豊かな生活はできる......いやむしろ、そっちのほうがカッコいいという価値観になったら、世の中は変わると思っています。

近所の川がドブ川に。環境問題が自分ごとになった瞬間

── そうしてエドノミーからヒントをもらいながら、北林さんはCOS KYOTOで「自律・循環・持続し、心豊かな社会を構築する」というビジョンの実現に取り組んでいるのですね。でも、そもそもなぜサーキュラーエコノミー、ひいてはエドノミーに興味を持つようになったのでしょうか?

もとをたどれば1980年代、奈良で過ごした子ども時代に受けたショックが、原体験としてあります。ちょうどその頃、「自分たちが大人になった頃には、地球はやばくなっている」といった話をよく聞くようになっていて。子ども向けの科学雑誌などで、「環境問題」というものがあるんだと見聞きするようになっていました。

ただ、あくまでもそれは情報に過ぎません。最も衝撃的だったのが、子どもの頃からよくフナやザリガニを釣ったりして遊んでいた近所の川が、近くにマンションが建ったりしたことで、どんどんドブ川に変わっていったことです。

── それはなかなかショックが大きそうです......。慣れ親しんだ遊び場が、環境汚染によってなくなってしまったと。

いくらニュースとかで環境問題についての情報を見ていても、たぶん自分の身の回りに引きつけられないと、他人事のままなんです。

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僕の場合はたまたま身の回りでそういうショッキングなできごとがあったから、「これはたしかに、自分が大人になる頃には地球はやばいだろうな。なんとかしたい」と考えるようになりました。その衝撃が僕の根底にあって、人生観の全てを形成しているって言っても過言ではありません。

── 子どもの頃にそうした原体験があって、その後はどのような経緯でサーキュラーエコノミーにたどり着いたのでしょう?

いろいろと勉強するうちに「環境問題だとエネルギーが大事だな」と考えるようになり、新卒ではエネルギー会社に就職し、京都で省エネの設備などを売っていましたね。その後、「環境問題だけでなく世の中には社会問題がたくさんある」ということ、また「結局は人の意識が変わらないとだめだ」という当たり前のことに気付き、人材育成の会社に入りました。

僕は当時金融関係の担当だったのですが、たまたまその時、リーマンショックが起こったんです。自分よりはるかに頭がいい人たちが短期的な視点で利益を追求した結果として起こったことで、世の中の人々が苦しんでいるのを目の当たりにして、能力や「べき論」をベースとした、ロジカルなアプローチのみに頼ること、そして資本主義の限界を思い知りました。

そうして悩んでいたとき、生まれ育った奈良・京都の方々のことが思い浮かびまして。地域の風土で培われてきた産業や無形文化にこそ、欲望をコントロールして持続的に人の心を豊かにするための叡智が眠っているのではないか......そう考えるようになったんです。

── そこでようやく地場産業への興味が高まり、現在のCOS KYOTOでの活動へと至ったのですね。

はい。そして現在にも受け継がれている文化や地場産業は大抵、江戸時代頃にはほぼ今の形や仕組みができていたということも知り、江戸時代にも興味を持つようになったんです。

調べていくと江戸時代には、冒頭で説明したような循環型経済が根付いていたのではないかと気付きました。鎖国下だからこそ、シンプルに自国で循環する範囲内で供給される資源量の中で、暮らしをしたらどうなるんだろう?......そんな壮大な社会実験として、江戸時代を捉えることができるのではないかなと。そしてその仕組みを「エドノミー」と名付けリサーチをするようになりました。

「旅」をしてエドノミーを見に行き、人間のちっぽけさを知ろう

── そうして「エドノミー研究家」として実践を重ねられてきた北林さんから見て、江戸時代のような「循環型が当たり前」の社会を作っていくために、いち個人でもできるようなことはありますか?

個人としてできるのは、まずは所詮自分はちっぽけな人間だということを自覚し、自然に感謝するところからじゃないでしょうか。いまの人類は「お金さえ出せば全部コントロールできる」と思っている気がするのですが、例えば海や森の中に身を置いたら、「あ、簡単に死にうるんだな」とわかるわけです。綺麗な海であっても、崖から一歩でも足を滑らせたら死んでしまうわけですし、そういう人間の本来の弱さを自覚する必要がある。

「自然を守りたい」なんて考え方はおこがましくて、僕は好きじゃないんです。自然に対する畏怖を取り戻して初めて、ちっぽけな人間どうしで支え合いながら少しずつ自然からの恵みをいただくという考え方に、無理なく到達できるのではないでしょうか。

そしてそのためには、「旅」が大事だと思っています。

── 旅、ですか?

はい。旅が大切なのは、ディープな自然に直接触れに行くためでもあり、エドノミーに触れるためでもある。実はエドノミー的な要素は、わざわざ江戸時代にタイムスリップせずとも、いまの日本にも残っているんです。

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COS KYOTOでは、伝統的なモノづくりの現場に伺い、その仕事を間近で見学・体験するラーニングツアーを不定期で開催。写真は滋賀県近江八幡市にて、すだれの原料となる植物「葭(よし)」について教わる様子

例えば里山の暮らしが当たり前に残っている地域もありますし、複数の仕事を掛け持ちするのが当たり前だったかつての「百姓」さながらに、昼はハイテク産業の町工場で働きつつ、朝と夕方は農業に従事する人たちだっている。

江戸時代のままの暮らしが維持されていたり、現代にあわせてアップデートしながら続いていたりする企業や社会はたくさんある。そういう暮らしの中に少しでも入ってみて、そのコミュニティで長らく受け継がれてきた叡智に触れる旅を体験できると、感覚が広がっていくと思います。

まずは「顔の見える消費」から

── エドノミーは、決して過去のものではないのですね。

そう。例えば、地場産業の中には、構造的に何百年も変わっていない部分も多いわけです。焼物であれば、山の土を持ってきて、こねて形を作り、窯で焼くという部分はずっと変わらない。

そういう人たちに「あなたは何を大事にしているんですか?」と聞くと、「先祖代々続いてきたこの文化や土地を次の世代に受け継いでいくこと」といった答えが多く出てきます。大きな流れの中で、いま自分が何の役割を果たすことで次の世代につながっていくのかということを、皆さん異口同音に仰るんです。

こうして昔から受け継がれている技術や考え方、自然に対する姿勢を、その土地を実際に訪れて、人々と話すことによって知ることが大事なはず。そう思って僕はツアーコーディネーターのような仕事もしていますし、多種多様な京都のモノづくり現場をオープンにし、国内外の人々とつながる場である「DESIGN WEEK KYOTO」も運営しているんです。

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京都のモノづくりの現場を期間限定で開き、モノづくりの担い手である職人たちと一般の方々の交流を生む企画『DESIGN WEEK KYOTO』を開催。
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さまざまなモノづくりの現場を期間限定でオープンしてもらい、イベント参加者が見学する「オープンハウス」を開催。2022年11月のイベントには、京都府北部の「丹後・中丹エリア」から織物・食・機械産業などに携わる26社が参加した。

── 地域に根づいた産業を継いで働く人と出会うことが、エドノミーの価値観に触れることに繋がるんですね。ちなみに、いまの個々人の暮らしの中に、エドノミーのような要素を少しでも取り入れるとしたら、まず何から始めるべきだと思いますか?

作り手の顔が見えるところからしか消費行動をしない、ということからスタートしてみるのがいいと思います。もちろん、単に袋に生産者の顔が貼ってあればいいとか、そういうことじゃないですよ(笑)。

僕がDESIGN WEEK KYOTOで作り手の人と会える機会を作っている理由でもあるのですが、どんな人が、どんな想いを込めて、どんな風に作っているのかを見ると自然と、モノを大切にできると思うんです。例えば、1万円で売られているものを見て最初は「高い」と感じたとしても、その背後にあるプロセスや想い、人の顔を知ると、「1万円でも安くないですか?」と思ったりする。

服を買うにしても、日々の食事や珈琲一杯にしてもそうです。一つひとつ背景や作り手をちゃんと説明できるような消費行動に変えるだけでも、自然とモノを大事に使い続けるようになっていくと思います。

おわりに

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サーキュラーエコノミーと江戸時代。

一見何の関係もなさそうなこの二つを並べてみて見えてきたのは、決して"高尚な思想"ではありませんでした。

「江戸時代の人たちは意識が高いわけではなかったはず」
「『自然を守りたい』という考えはおこがましい」

......北林さんの言葉の節々から伝わってきたのは、自然体で「当たり前」のこととして、サーキュラーエコノミーを実現していくことへの想いです。

もちろん、「意識の高い」人々が声をあげ、問題視するところから解決の第一歩が始まる社会問題もたくさんあります。北林さんも、「意識の高さ」そのものを否定していたわけでは決してありません。

しかし、社会の仕組みを大きく変えるには、そうした人々だけでなく、誰もが"自然と"動いてしまうように、多くの人々の「価値観」を変える必要があることもまた事実でしょう。

そのことを肝に銘じながら、まずは毎日飲むコーヒーを作っている人の「顔」を知るところから、当たり前の暮らしを少しずつ変えていこうと思います。

▼北林さんが手がけるイベントが2023年開催予定

「DESIGN WEEK KYOTO 2023 in 丹波・京都・山城」
開催日程:2023年2月16日(木)〜19日(日)
※詳細については1月初旬に公開予定。
SNSにて随時情報を発信。

Instagramhttps://www.instagram.com/designweekkyoto/
Twitterhttps://twitter.com/designweekkyoto

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