東京はもっと緑化に向き合える。シモキタ園藝部から考える、都市緑化の可能性
神宮外苑の開発による樹木伐採や、大阪の一万本伐採計画、中古車販売会社による街路樹の無断伐採など......2023年は特に、東京や都市部で街路樹や樹木が伐採・撤去されるニュースが多く取り上げられました。
資本が大きく動く都市において、生活環境や街の歴史よりも、開発計画が優先されてしまう場面は日常茶飯事。そんな東京で暮らしていると、開発のためなのであれば、樹木・都市の緑が減ってしまうことは、仕方ないことにすら感じます。
しかし世界の諸都市では気候変動への対応や生物多様性の確保のため、都市緑化を重要視し、推進する動きが年々増えています。その結果、街路樹の樹冠拡大や、都市植樹・緑化が促進され、取り組みによる成果が見え始めているのです。
都市緑化・街路樹増加のメリットとは
昨今では街路樹を含む都市部の緑を「アーバンフォレスト」と位置づけた研究も進み、温暖化し気温が上昇し続ける都市にとっては不可欠であることもわかってきています。さまざまなメリットが研究されていますが、大別すると下記の5つ。
都市に緑が増えるメリット
- 景観形成機能:都市の景色や美観を形成する
- 都市環境の保全:青々と茂る並木が道路や歩道に緑陰をつくる、また排気ガスを和らげる
- 自然環境の保全:生物のための生息地確保、生物が移動する上での中継点としての役割
- 都市洪水の予防:植栽が雨水を蓄える
- 街全体の温度上昇の緩和:植物の蒸散作用によって冷却が望める
- 癒しの効果:心身がリラックスするなど、健康へのプラス効果が望める
上記のような効果を望み、都市緑化への取り組みは増え続けています。例えば、急温暖化やスペインの首都マドリードでは、都市に75kmの緑地を生む「メトロポリタンフォレスト(※)」計画が進行。東京の三分の一以下の面積ながら、200万本以上の植樹と郊外までの緑地を繋いだ2,300ヘクタール以上の広大な計画が、マドリード市の重要な政策として進められています。
また東京23区とほぼ同じ面積のシンガポールでは、1960年代から「ガーデン・シティ」というキャンペーンで植樹・緑化を始めるなど、世界的にも早くから国土緑化を推進。現在は「シティ・イン・ザ・ガーデン」を掲げ、国土の概ね3分の1程度(※)が緑で覆われ、管理する樹木の本数は1000万本以上、街路樹は4000haを超えているといいます。
いっぽう、マドリードやシンガポールの三倍の面積である東京都が管理する街路樹は、2023年4月時点で約100万本、植樹帯 や道路緑地の面積は約230ha。他の二都市に比べればいずれの数字も劣るものの、2008年に始まった都内の街路樹を100万本に倍増する「街路樹の充実」事業(※)により、12年もの間に100万本に増えた経緯があります(※)。
この施策・歴史を見る限り、行政側も決して緑化政策に消極的なわけではありません。ただ、すでに都市化した東京23区内の緑化が進みにくいのもデータを見る限り事実なようです。
また、街路樹が植樹されたはいいものの、歩道で十分に成長するための根を広げるスペースが十分に確保されていないがために、本来は何百年もの樹齢を望める木々が数十年で植え替えになってしまうことも。
倒伏、根上がり......街路樹は根元に注目すべし
Yahoo!ニュース
単なる開発ではなく、生活を重視した視点を街に落とし込みながら緑化を進めるためには、さまざまなハードルがあります。ただし、そんなハードルを乗り越え、市民と行政、民間事業者が関係性を築きながら都市緑化を実現したケースも。
その一つである東京・下北沢駅前、小田急線の線路跡地を取材しました。
1.7kmにわたる豊かな植栽と、シモキタ園藝部
小田急線の下北沢駅を降り、世田谷代田方面へ立体歩道を降りると、すぐ目の前に土が敷かれ、野草が広がっています。ここは線路跡地の活用プランを世田谷区と小田急電鉄、市民が共同で構想し、現在も市民が「シモキタ園藝部」という名前で植栽管理を行うエリアです。
『のはら』と呼ばれるこのエリアは2020年にオープンし、およそ713平方メートルの敷地の中に、樹木や野草が生い茂るように植栽されています。
「日本の野草や西洋ハーブだけでなく、最近はインドハーブも試しに植えています。最近の夏は暑すぎるから、熱帯の植物がよく育つんですよね」
そう話しながら『のはら』を案内してくれたのは、金子結花さん。『のはら』の植栽計画を手がけたランドスケープデザイナーでもある彼女は、小田急電鉄から植栽設計を依頼された企業「FOLK」のメンバーとして園藝部の立ち上げに関わりました。そして現在は一般社団法人となった園藝部の社員として、線路跡地の植栽管理と『のはら』向かいにある飲食店『ちゃや』の運営を担当しています。
「園藝部が小田急電鉄から委託を受け植栽管理をしているのは、東北沢から世田谷代田までの約1.7km。長い距離なので、それぞれのエリアでグループを分け、水やり・手入れを手分けしています。
各エリアで生えている植物が違ったり、目的によって手入れの具合も変えたりしていますが、大切にしているのは『手入れしすぎない』ことですね」
各エリアの中でも下北沢駅前の『のはら』周辺は、園藝部の活動拠点とも言える場所。名前の通り、野原のように植栽された敷地内は、人が歩きやすいエリアと入りにくいエリアを分け、草木が生い茂る環境を守っています。
「道沿いだと、どうしても歩くのに邪魔になりそうな植物は剪定しないといけませんが、ここは"野原"なので、人を優先しなくていい。そうすることで、動植物の生息地を確保できるようにもなっているんです。
『のはら』のオープンからたった2年で、草むらを住処にする昆虫や小動物がすごく増えてきているんですよ。都会のど真ん中で、虫の声が聴こえるようになりました」
金子さんが教えてくれた園藝部の主な活動は、大きく分けて4つ。
- 小田急線路跡地の植栽管理
- ワイルドティーと蜂蜜のお店『ちゃや』の運営
- コンポスト事業
- イベントやワークショップの開催
これらが一般社団法人シモキタ園藝部の運営のもと有志の部員主導で行われていて、現在は世田谷区内外の約200名ほどが登録。そのうち、コアで活動しているのは50人前後で、それ以外にも都合の合う日・時間だけで参加している部員も多いといいます。
「この活動を持続させる基盤となっているのは植栽管理ですが、ほかにもいろいろな活動が園藝部を支えています。いろんな職能・得意分野を持った人が下北沢エリアに出入りしていて、なおかつ『緑が好き』という共通の理由で集まっているから、それぞれのスキルを活かして役割を分担しています。
とはいえ『植物』という大きな括りの中で、関心分野もやりたいことも違います。なので、話し合いをしても同じ意見にならないのもいいところなのかなと思いますね」
循環をテーマに試みる、コンポストエリア
次に見学へ向かったのは、『のはら』の奥にある、柵で囲われたコンポストエリア。ここでは植栽管理で剪定した枝葉や除草した雑草を集め、ふたたび堆肥化しています。「循環」を大切なテーマにしている園藝部にとって、このコンポスト事業は大きな要になっているといいます。
「メインのコンポストには植栽管理で剪定・除草された植物以外に、近所のコーヒー店『Belleville Brûlerie TOKYO』さんが持ってきてくれるコーヒーかすや、果物店からいただく乾燥させた果物くずなどを混ぜて運用しています。ご近所付き合いで生まれる、いい循環ですよね。また、『のはら』で刈った草を入れる箱にも、区内のりんご店からもらったりんご箱を使っています」
敷地内にあるさまざまな仕組みや、実験中の色々を次々と紹介してくれる斉藤さん。なかでも斉藤さんが力を入れているのは、先ほどのりんご箱を使った「キエーロ」(※) の開発とのこと。
「最近妄想しているのは、園藝部でキエーロを販売して、一年間で100個売ることなんです。あくまで計算上ですが、もしもそれが各家庭で利用されたら、世田谷区の生ごみが約10トン消えたことになるんですよ。これって、すごくおもしろいじゃないですか。園藝部に出会ってなかったら、こんなに大きな循環に関わることはなかったと思います」
シモキタ園藝部の成り立ち
『のはら』を中心に、市民それぞれが役割を持ち、循環を続ける園藝部。この線路跡地は、どのようにして緑道に生まれ変わったのでしょうか。
10年以上前から線路跡地緑化計画の市民活動に関わり、世田谷区・小田急電鉄・区民の対話を観測してきた関橋知己(ともみ)さんは次のように語ります。
「東北沢駅から世田谷代田駅までの地上駅と線路の地下化後について、2010年に郵便受けに入っていた区のお知らせには、緑豊かな公共空間のイメージが載っていたから、いい未来だなと思っていたんです。
ただ、2011年の区長選の直前に来たお知らせでは、急にコンクリートのグレーな駐輪場や、エリア全体が舗装されているイメージ図に変わってしまっていて。違和感を覚えていたところに、 現職の保坂区長が当選し、住民と対話する機会が区側から設けられたんです。
出席してみると、同じように緑化を望んでいる人たちが地元にいることを知りました。そこで、明治大学教授の小林正美さんが代表をつとめる『グリーンライン下北沢』という線路跡地を検討していくためのNPO法人に参加しました」
「グリーンライン下北沢でワークショップや検討を重ね、完成したのが『のはら』を含む現在の下北沢線路街の基礎構想となる『2.2kmのエコロジカルパーク』という提案書です。見てみると、今の状態と似ていますよね」
提案書を出すまで、有志の区民のあいだで何度も重ねられたという勉強会やワークショップ。国内の緑化活動についての調査や、都市計画についての講演会も多く開催されました。さらに建築やランドスケープのプロ、そして学生も加わり、幾度も検討を重ねながら構想は完成しました。
「その後、2014年に『北沢デザイン会議』、2016年に『北沢PR戦略会議』という街づくりを議論する場が区側から設けられました。2017年からは小田急電鉄も参加するようになり、それまで不透明になっていた開発計画と、私たち区民の要望を擦り合わせる時間が始まったんです」
開発計画が固まるにつれ明らかになったのは、現在の『のはら広場』の場所に計画されていた大きな駐輪場。その上に立体緑地が通るという案も一時期設計されていました。区民からは、緑地が増える方針は歓迎しつつも、「大きな駐輪場や構造物をつくるのは本当にいいアイデアなのか?」という意見が寄せられました。区民との対話を避けず、話を聞くことを楽しんでくれた世田谷区と小田急側の担当者も大切な存在だったと関橋さんは振り返ります。
「結局、区民側も計画案を完全に否定してしまうのではなく、アンケートや区民の意見を集めて提出したんです。そのアンケート結果を尊重する形で、現在の設計へと合意が進んでいきました。
ここで意見が割れずに議論を重ねられたのは、三者の態度変容があったからだったと思います。まず、区民が世田谷区の動きに対してただ批判だけをせず、対話しようとしたこと。そうすることで開発業者である小田急電鉄の姿勢も、利己的な経済目線で作る開発ではなく、街のニーズに耳を傾ける支援型の開発に変わっていきました。そして区民も、言ったからには自分たちがコミットできることを見つけ、プレイヤーになったんです」
区長が変わったことで区政が一般市民にも開かれ、参加・協働を促す体制に変わったことが一番大きかったのでは、と関橋さんは考えています。ギリギリまで議論は続きながらも、下北沢駅西側の計画は現在の形へ変更。2022年に工事が終わり、『のはら』のお披露目が行われました。
「一昨年の7月に『のはら』に掛けられていたチェーンを外して、ここまでに色々な苦労を共にした区の職員も、小田急の方たちも、みんな一緒にお披露目会をしたんです。世田谷区職員の方も『本当にこうなって良かった』と言ってくれてたんですよ。感慨深かったですね」
都市でコミュニティと自然を持続させていくため必要なこと
『のはら』にある緑は市民の参加がなくては生まれなかったんですね、と関橋さんに伝えると、こんな返事が返ってきました。
「ここが生まれる一連の動きは、参加型民主主義と言えるでしょうね。参加し議論し、それぞれが頑張ったおかげで、自分たちの望む街に少しでも近づいていると思います。ただ、始まりは『自分たちにとって好きなことをやる』であることが、きっと大切なんだと思います。
10年前にグリーンライン構想に関わった人も、ただ緑が好きで街を良くしたいがために、行動を起こしたんです。いま園藝部に関わっている人も、緑が好きだからここを続けていくために関わっています。自分が楽しい、やりたいと思う地域の関心ごとについて、役に立てるかもしれない部分を探す。それくらいの気持ちがあれば、ほかの街でもこういったモデルは実現するかもしれないですよね」
「何より、ここを歩く人たちって気持ちよさそうじゃないですか。人類史で考えたら、長い時間のうち99パーセントくらい、ずっと自然の中で過ごしてきていたのに、急に切り離されちゃった。それなら、もう一度野生化して、戻していくほうが健全な気もするんです。
線路跡地も、森と言うほどにはならなかったけれど、ずーっと見晴らしが良くて、草木を感じられる場所になりました。これから数年経ったら木も成長して、木陰もできれば、温暖化し続ける都市部の木陰にもなっていくはずです」
意見を持った区民とそれを対話する場を持った行政、その声を聞きにきた企業。三者がフラットな立場で意見を交わせたことで、下北沢での線路跡地の緑化は実現しました。他の都市でも、目先の資本を追うのではなく、未来を想像しながら対話できる場が増えれば、自ずと都市緑化は推し進められていくのかもしれません。
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取材・執筆ヤマグチナナコ
X(旧Twitter): @nnk_dendoushi
取材・執筆淺野義弘
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